政府の大本営発表と報道管制は被災を拡大させる | こんな本があるんです、いま

政府の大本営発表と報道管制は被災を拡大させる

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      東日本大震災によって被災された

  すべての書店、取次店関係者のみなさまに

      心からお見舞い申し上げます。

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東日本大地震は天災であったが、この大震災のある部分は人災の要素もあろうし、福島第一原発事故は人災そのものである。そして、原発事故の現状は依然として危機的で、政府の大本営発表と報道管制は被災を拡大させる可能性がある。すべての原発を無条件即時停止するべきである。

反原発関係の本を出版してきた出版社の人間からすれば、原発を建設・稼働したことそのものが、今日の事態を招いたわけである。原発を推進してきた政府、政党ではとりわけ自民党などの政党、東芝、日立などの原子炉メーカー、東電などの電力会社、原発を推進してきた東大をはじめとする原子力開発の学者たち、その提灯持ちをしてきた新聞テレビなどの報道関係、御用評論家などは、その罪は万死に値する。1機あたり10億年に1回というラスムッセン報告を金科玉条にして事故などありえない、緊急事態に対してはECCS(緊急炉心冷却装置)が発動しないことなどありえないと、原発反対論をあざ笑っていたからだ。ECCSはすべて作動しなかったではないか。

福島第一原発事故では、重大な事実が隠されていたが、ここにきて隠しきれなくなってきたようだ。三号機には、MOX燃料が装着されて稼働していたからだ。ほとんどは核分裂によって人類が手にした地球最悪、最強の猛毒物質プルトニウムを大量に混ぜたMOX燃料は、あまりに危険で燃料にするべきではないのに、女川、浜岡原発などでも使われている。プルトニウムは1グラムで一般人の年間被曝制限値の2億人分といわれ、半減期は2万4000年、内部被曝でガンなどを引き起こす。女川原発のプルサーマル事故災害評価では、致死リスク50%は110キロ圏内、致死リスク10%は332キロ圏内とはじきだされている。

米独仏など多くの外国関係者や外資が80キロ圏から退避し、日本を脱出しているのは、福島原発の状況はチェルノブイリを上回る被害を及ぼす可能性があるとみているからだ。

官邸記者クラブなどには、フリージャーナリストを入れないから、番記者がアホな質問をして真実を明らかにしていないと、かの上杉隆はラジオでカンカンになって怒っていた。政府マスコミは総力を挙げて、原発に危険がない、この程度の放射線量は直ちに健康に影響しない、と大本営発表を繰り返している。プルトニウムが検出されても変わらない。こういう人たちには、原発炉内で作業をして健康に直ちに影響のないことを証明してもらいたいものだ。

そして、これを批判する言論をマスコミから閉め出し、批判論は風評であり、風評被害が出ていて由々しき事態だと言う。しかしとんでもない話で、虚偽の風評を垂れ流してきたのは政府マスコミなのである。安全神話を垂れ流してきた原発推進派や御用学者の言うことに真実があるわけがなかろう。彼らの言う逆がすべて真実と考えた方がいい。

チェルノブイリの汚染を考えれば、少なくとも200キロ以内の18歳未満の子供や妊婦は、西日本に疎開させるが必要があるし、市民もできればどんどんそうした法がいいのだ。放射能の影響は、すぐ影響がでるのは大量被曝したケースであって、怖いのは5年、10年先の長期的な低線量内部被曝によるガン、白血病などの影響だからだ。パニックを怖れて、虚偽の安全情報を垂れ流し、適切な避難命令を出さない政府マスコミは、国民を無用な戦地に追いやって殺した大日本帝国そのものの姿だ。目に見えず味も臭いもしない放射能という敵に、逃げるな、突撃と叫び続けているようなものだ。事は多くの市民の生命にかかわることだからだ。

大本営発表、……わが方の損害は軽微なり! 直ちに健康に…… バカか!

ちょっと熱くなってしまった。書店さんの被災は目覆うばかりだし、出版社も倉庫の棚が倒れたり、計画停電で改装、出荷が滞ったり、製紙会社は被災し、紙の倉庫が液状化やスプリンクラーでダメになったりで、紙の入手に四苦八苦している。新刊発行も予定通りにいかない。原発次第ではもっと厳しい事態すらありうるのだ。

そんな最中の3月24日、文科省で第6回「電子書籍の流通と利用の円滑化に関する検討会議」が開かれた。これに先立つ同じ日、「国立国会図書館のデジタル化資料を用いた『図書館間貸出』の代替措置に関する資料デジタル化及び利用に係る関係者協議会申合せ(案)」が、国立国会図書館、書協、雑協、文藝家協会、日本図書館協会など関係11団体の連盟で発表された。これによると、国会図書館がデジタル化している資料(画像データ)を公共図書館などに貸し出す場合は、現在行われている紙の本の貸出と同様に、利用者の求めに応じて国会図書館内の端末から紙に出力したものを貸し出す。対象となるデジタル化資料も絶版等で入手が困難なものとなっている。

こうした合意を背景にしているのか定かではないが、第6回検討会議では、国会図書館から地域の公立図書館、大学図書館等への送信サービスについて、閲覧のみでプリントアウトは行わず、必要な場合は公立図書館等の求めに応じ国会図書館内の端末から紙に出力したものを貸し出すという方向が読み取れた。家庭への配信、国会図書館の蔵書の検索サービスなども議論されたが、いずれも長尾構想そのものである。しかし検索のためのテキスト化もOCRによるもので精度に問題があり、精度を高めるには膨大な予算がかかるという。国立図書館を東西に作り複本収集をしてこなかったツケは大きい。次回で取りまとめの案がでるそうで、長尾構想は構想として検討課題として残すのか、より踏み込んだものになるのか、注目される。国会図書館は地震で120万冊の蔵書が棚から落下した。長尾構想どころではあるまい。

長尾構想といえば、『新文化』2月3日付の筆者の小論「電子納本と長尾構想の問題点」について、どういう訳か湯浅俊彦氏が「誤解されている『長尾構想』」という「反論と問題提起」(『新文化』3月3日付)を寄せられている。同時に掲載された国立国会図書館収集書誌部・原田圭子氏の論文は、電子納本制度の解説なので私の議論には関係ないのだが、長尾館長ご自身か納本制度審議会の会長が反論されるのならいざ知らず、審議会の一委員である湯浅氏がなぜムキになって反論されるのか、筋違いとしか思えず、なんとも理解に苦しむ。委員にはいろいろの立場の方がいるはずだからだ。湯浅氏は彼らの代理人なのか、先ずその辺をはっきりさせていただきたいものだ。湯浅氏の反論も見当違いが多いが、論評は、別の機会にしたい。

グーグルブック検索和解修正案を連邦地裁が承認しなかったことは朗報だが、再修正の余地が残されている点は気がかりだ。これも別のメンバーに譲りたい。

それにつけても昨今のテレビ新聞報道はひどい。出版社の役割はますます重要になっていると思う。


●高須次郎 (緑風出版 /流対協会長

※『FAX新刊選』 2011年4月・206号より