帝京大学病院の多剤耐性アシネトバクター問題について、警視庁が「業務上過失致死」の疑いで捜査を行う方針という報道に目を疑いました。
報道をみている限りでは、何が問題だったかなどの詳細は皆目わかりませんが、これが純粋に院内感染であった場合、「業務上過失致死」に当たるのでしょうか?
抗菌薬に対する耐性菌というものは、抗菌薬を使う限り出現するものです。今回、この耐性菌が何らかの形で関わり、最終的にお亡くなりになった方やご遺族の方々には大変お気の毒でした。しかし、だからといって「業務上過失致死罪」という刑事事件として警察権力が介入する問題であるとするには、違和感を感じざるを得ません。
そもそも、故意ではない診療関連死が業務上過失致死に問われるべきなのでしょうか?
これが業務上過失致死に当たるのであれば、例えば、飲酒運転による死亡事故は飲酒運転を取り締まれなかった警察の業務上過失致死にならないのでしょうか?
消防士が火事現場で消火出来ず、死者が出たら、これも業務上過失致死なのでしょうか?
メディアの報道の仕方も、何が問題だったのか、見ていてもさっぱりわかりません。
今回もありましたが、病院側の幹部が記者会見の場で深々とお辞儀をして謝罪する。あれはやらないといけないものなのでしょうか?
ちょうど最近刊行された「地域医療は再生する」(医学書院)という洛和会音羽病院の松村理司先生の本を読んでいるのですが、この中でメディアについて、2005年に同病院であったVRE事件(実際は「事件」でもなんでもないのですが)を通して述べておられたので、ここから引用します。この時は、VREの保菌患者さんが見つかり(「保菌」と「感染」の区別もついていないメディアがほとんど)、法的な規制はなかったものの、公衆衛生的な見地から保健所に届けられました。行政(京都市)の勧めもあり、記者会見を開くことになったそうですが、この時のメディアの姿勢についてです(p50-51)。
引用ここから(ブログ上で見やすくするために、改行を加えています)
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第1に、記者会見以前にちょっとでも先陣を争おうとする。種々の院内情報は漏れるものだが、その入手時期はメディアによって温度差がある。そのあたりに関する報道側への配慮が難しいのは、こういう羽目に遭遇した当事者でないとわからない。
第2に、メディアは先験的に正しく、医療者側が間違いなのが前提になっている。だから、ともかく猛々しい。「それだけなのか。謝罪をしないのか」と大声で迫る。「患者・家族には道義的に謝っている。不可避な医療事故なので、メディアを含めて第三者に謝る気はない」と言うと、むくれる。深々としたお辞儀がないと、絵になりにくいのだろうか。
第3に、ともかく学習不足である。医師に例えると、「できの悪い研修医か粗雑な若手医師」といったところである。「腸球菌が健康者にも常在するとは一体どういう了見か!」と大新聞の記者に罵られたときは、高等教育を受けてきたのか、それでも社会の木鐸かといぶかった。
第4に、記事が画一的になりやすい。翼賛体制の下での大本営発表に踊らされているのではと思えることすらある。
第5に、継続性がない。時々刻々の報道というテレビや新聞の宿命もあるだろうが、時間をかけて掘り下げて熟慮するという姿勢が乏しい。だから、以下のような当院の弁明は圧殺され続けた。
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引用ここまで
書き写していて思いましたが、これでは飽きっぽくて勉強嫌いな単なる子どもみたいです。極めて幼稚です。
また、p60の医療事故のくだりでは、「事件に感付いて近寄ってくるメディアへは原則として対応しない」とありました。
ちょうど昨日の岩田健太郎先生のブログにも同様のことが書かれていました。
マスコミのバッシングには、マスコミ・パッシングを
松村先生の「地域医療は再生する」の「院長の出番」には医療事故への対応にも記載があります。
過失があっても故意でない限り徹底的に職員を守る、研修医を守るという松村先生の姿勢に感銘を受けました。是非ご一読を勧めます。
(山本舜悟)
地域医療は再生する―病院総合医の可能性とその教育・研修
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報道をみている限りでは、何が問題だったかなどの詳細は皆目わかりませんが、これが純粋に院内感染であった場合、「業務上過失致死」に当たるのでしょうか?
抗菌薬に対する耐性菌というものは、抗菌薬を使う限り出現するものです。今回、この耐性菌が何らかの形で関わり、最終的にお亡くなりになった方やご遺族の方々には大変お気の毒でした。しかし、だからといって「業務上過失致死罪」という刑事事件として警察権力が介入する問題であるとするには、違和感を感じざるを得ません。
そもそも、故意ではない診療関連死が業務上過失致死に問われるべきなのでしょうか?
これが業務上過失致死に当たるのであれば、例えば、飲酒運転による死亡事故は飲酒運転を取り締まれなかった警察の業務上過失致死にならないのでしょうか?
消防士が火事現場で消火出来ず、死者が出たら、これも業務上過失致死なのでしょうか?
メディアの報道の仕方も、何が問題だったのか、見ていてもさっぱりわかりません。
今回もありましたが、病院側の幹部が記者会見の場で深々とお辞儀をして謝罪する。あれはやらないといけないものなのでしょうか?
ちょうど最近刊行された「地域医療は再生する」(医学書院)という洛和会音羽病院の松村理司先生の本を読んでいるのですが、この中でメディアについて、2005年に同病院であったVRE事件(実際は「事件」でもなんでもないのですが)を通して述べておられたので、ここから引用します。この時は、VREの保菌患者さんが見つかり(「保菌」と「感染」の区別もついていないメディアがほとんど)、法的な規制はなかったものの、公衆衛生的な見地から保健所に届けられました。行政(京都市)の勧めもあり、記者会見を開くことになったそうですが、この時のメディアの姿勢についてです(p50-51)。
引用ここから(ブログ上で見やすくするために、改行を加えています)
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第1に、記者会見以前にちょっとでも先陣を争おうとする。種々の院内情報は漏れるものだが、その入手時期はメディアによって温度差がある。そのあたりに関する報道側への配慮が難しいのは、こういう羽目に遭遇した当事者でないとわからない。
第2に、メディアは先験的に正しく、医療者側が間違いなのが前提になっている。だから、ともかく猛々しい。「それだけなのか。謝罪をしないのか」と大声で迫る。「患者・家族には道義的に謝っている。不可避な医療事故なので、メディアを含めて第三者に謝る気はない」と言うと、むくれる。深々としたお辞儀がないと、絵になりにくいのだろうか。
第3に、ともかく学習不足である。医師に例えると、「できの悪い研修医か粗雑な若手医師」といったところである。「腸球菌が健康者にも常在するとは一体どういう了見か!」と大新聞の記者に罵られたときは、高等教育を受けてきたのか、それでも社会の木鐸かといぶかった。
第4に、記事が画一的になりやすい。翼賛体制の下での大本営発表に踊らされているのではと思えることすらある。
第5に、継続性がない。時々刻々の報道というテレビや新聞の宿命もあるだろうが、時間をかけて掘り下げて熟慮するという姿勢が乏しい。だから、以下のような当院の弁明は圧殺され続けた。
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引用ここまで
書き写していて思いましたが、これでは飽きっぽくて勉強嫌いな単なる子どもみたいです。極めて幼稚です。
また、p60の医療事故のくだりでは、「事件に感付いて近寄ってくるメディアへは原則として対応しない」とありました。
ちょうど昨日の岩田健太郎先生のブログにも同様のことが書かれていました。
マスコミのバッシングには、マスコミ・パッシングを
松村先生の「地域医療は再生する」の「院長の出番」には医療事故への対応にも記載があります。
過失があっても故意でない限り徹底的に職員を守る、研修医を守るという松村先生の姿勢に感銘を受けました。是非ご一読を勧めます。
(山本舜悟)
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