- saavedra8902
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最近「山月記」についていろいろ考えてるんだけど、李徴は反省が足りないね。 僕らTwitterユーザみたいな奴だね彼は。
2015-10-01 12:50:47「山月記」は「最後まで反省が足りない人」を書いた残酷な話なんだよね。「表現」という制度の限界を書いた「表現」ということもできる。 中島敦はブッキッシュな文学者だけど、その立ち位置はじつは文学の外だったんだなーとわかる。
2015-10-01 13:37:26「山月記」の李徴は「俺のやってたロックって、ロックじゃない世間を見下してるつもりで、ほんとは自分が世間を怖がってることを直視できないただの自己欺瞞だったんだ」って懺悔した舌の根も乾かぬうちに「それでは最後に1曲、聴いてください」と言う! ホントに反省した奴の言うことじゃねーよ!w
2015-10-01 13:48:45これを暴き立てちゃう残酷な中島敦の想定する着地点は、もう文学の完全に向こう側なんだよね。それを古典の再話という形でやっちゃうという手の込んだ仕事。しびれる。憧れるゥ。
2015-10-01 13:56:31いや、あれがよくない?こう、「それでも俺にはロックしか、いや、俺がロックだと思っていたものしかないんだ…」みたいなさあ。で、聞いてる袁も「確かにうまいんだけど、なんか微妙…」って思うところもさあ。
2015-10-01 14:50:18はい。李徴のそれがイイってのは「山月記」の「文学」のよさ、袁傪が「テクはある…でもなんか足りねえ」と思うのがイイってのは「山月記」の「文学の外」のよさで、前者の「よさの力」が後者の「よさの力」につい押し流されるのが好きなんです。 twitter.com/glpn/status/64…
2015-10-01 15:06:01李徴がいくら自嘲しようと、というか自嘲すればするほど、言表内容とは逆に言いわけがましさが目に立つ。「俺は自分のダメさをわかってるんだ」って言えば言うほど、言表内容とは逆に、虎として黙ってないでそれを言明する行為が自己正当化に見えてくる。僕らTwitterユーザに似てる。←俺も黙れ
2015-10-01 15:11:24『山月記』における李徴の推測の「変身の理由」は大きく三部構成となっている。最初は「理由も分らずに押付けられたものを大人しく受取って、理由も分らずに生きて行くのが、我々生きもののさだめだ。」と述べる。次に「臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」と述べる、続
2015-10-01 14:43:29続、最後に「飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業の方を気にかけているような男だから」と述べる。李徴は何故2度も主張を翻したのか、この作品の構造を無視してひとつの主張にのみ焦点を当てることこそが「狼疾」に近くあるまいか
2015-10-01 14:46:43李徴は己の内面を見つめすぎて深淵に呑まれて行ってる感がある。「自嘲癖」があるのは頭が良くて繊細だから自分のダメなところが見えすぎるからのような
2015-10-01 15:05:15李徴の作品にはホントに欠けるところがあったんですか?! あの漢詩のどこに欠けるところがあったんですか?! ホントに李徴は後世に残る価値のない作家だったんかな?! なんで詩作の才まである官吏の袁傪にすらそれは言い表せないと言わしめたのかな?!
2015-10-01 15:21:27『山月記』におけるひとつの謎のひとつが「何故人間失格だからといって、中国大陸では神にも等しいような、神聖な虎という獣になったのか」という点であり、そこについては「ゲジゲジあたりになっとけよ」とつっこんでる論文もある
2015-10-01 15:26:05重ねて言うと「虎」はその文様が文字にも見えることから「言葉や文字の化身」とする説もあり、それを採用すると「虎への変身」は「李徴への祝福である」という見方もある
2015-10-01 15:27:18「文学の中」での流儀で読むのならば、おっしゃるのがまったく正しいと思います。 「文学の外」から見ると、そういう流儀自体が「文学」にすがる人を慰撫するお作法に見えるものなのです。すがらない者は馬鹿で単純で残酷なんです。 twitter.com/snhrSK0/status…
2015-10-01 15:26:23僕は「山月記」の残酷さは、李徴の作品がホントに後世に残りうる傑作だったとしても成立するからますます残酷だと考えています。 twitter.com/snhrSK0/status…
2015-10-01 15:26:27その場合、「親友」袁傪による語りだと思われる「この作品物足りないんだよなぁー」という晒しあげの話になるわけで、ものすごいことになるね
2015-10-01 15:33:07李徴については「衣食に困る妻子のために夢を屈して再び官吏に戻るという、心弱き青年でもあり、その優しさと甘さこそが命取りであったのだ」という説もあり、個人的にはその優しい李徴への視線がとても好きなんです twitter.com/chinoboshka/st…
2015-10-01 15:44:16おっしゃるとおり、作品の語り手は李徴にたいしてもちろん単純に否定的ではありません。じゅうぶんにいたわっていると思います。そこ、結構じんわりきますよね。短くてきっぱりした文章の作品だけど、味わいが込み入ってます。 twitter.com/snhrSK0/status…
2015-10-01 15:48:37なるほど勉強になる。「李徴作品がホントに残念なのかどうか」を問題にするのは文学青年らしい問いだなあ。「それが傑作だったら李徴は詩神に祝福された悲劇の英雄かもしれない(だって虎ってカッコイイじゃん)」って考えること自体が「文学青年」のロマンだし、文学研究にも大義を与える感じだ。
2015-10-01 15:39:58文学研究者には文学青年出身の人が多い(僕は若いころこれが意外だった)から、「文学作品中で文学が取り上げられたら文学を擁護するメッセージとして受け取りたい」というバイアスがあるように思います。
2015-10-01 15:44:27