玖足手帖-アニメブログ-

富野由悠季監督、出崎統監督、ガンダム作品を中心に、アニメ感想を書くブログです。

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フラクタル 第一話 モノローグ主人公に宝島を見た。

「出会い」←ボトムズかwww


山本寛監督のフラクタルの一話を見た。
ツイッターの僕のTLのアニメファンの人はつまらないって言ってたので、僕をブロックしても良いよ。僕は面白かったから。
この世の面白さを感じる事が出来るのは僕の心だけだからねえ。他人はいなくても同じなのさ。
で、ジブリ、っていうか魔女の宅急便以前の宮崎駿の影響は、というかそのものずばりのシーン引用だったりするんで、俺がわざわざ言う必要はないんだが。
主人公のモノローグの使い方が、この間見た出崎統の宝島の一話に似てるなーって思った。
宝島一話のモノローグの使い方についてのエントリ↓

出崎統の宝島 第一話 主にモノローグ主人公ラノベ考 - 玖足手帖-アニメ&創作-
ま、端的に言うと
「設定が濃いけど、ラノベみたいに先に説明しない(時にXXXX年、???と呼ばれる\\\が・・・ってやつ)」
事象を見せてから、台詞か行動で視聴者に後から理解させる」
「説明セリフは世界観の説明だけじゃなく、説明セリフを言う者のキャラクター&アイデンティティの紹介でもある」
「説明セリフで説明できるのは、話し手の認識の範囲内だけであり、その変遷がドラマ」
「だから、視聴者の疑問はすぐに解決されないまま謎だけが提示され続け、興味を引かれる」
っていう。
主人公の小林ゆうのクレインがフリュネに「(君の謎を)話してくれなくても良い。おいおい判るだろうから」ってのが、そういう宝島ニズムの直球宣言でしたねー。


説明を後にする事で、興味を抱かせて、解決の快感を視聴者に見せる、ってのは、

アニメスタイル第8回イベント 出崎統NIGHT3」

(中略)

家なき子ビタリスがレミを守って、雪に埋もれるシーン、出崎演出どろろでも同じシーンがある。

(中略)

松園さんが、東映的演出方と、出崎演出法との違いを熱く語る。

「たとえば、裁判が終わってビタリスが出て来る。ここで、ビタリスのアップ、見つめるレミをアップがくり返し続いて、馬車が走り出してから、やっとお互いの位置関係が示されるところ。東映的(高畑的)では、ビタリスが出て来てレミを見つけた時点でまず、二人の位置関係を見せてから、演技が始まる」「どろろの母が、おかゆをもらうのに素手を差し出す。東映的なら、ここで、素手におかゆを入れられたら、熱い、苦しい、という表情をかかないと気が済まない。が、出崎演出は、おかゆをいれてもらってから、どろろに食べさせるまでずっと顔が出ない。どろろがおかゆを食べ終わって、どろろが母のやけどに気がついてから、やっと、にっこり笑った母の顔をだす。」

出崎さん「そのシーンの前に、おかゆを入れたら、あつくて手がただれると坊さんに言われている、それでも構わないといって、手を差し出しているのだから、熱い、とか言ったら、おかしいじゃないか。」
http://f1.aaa.livedoor.jp/~yabuki/kako/kako46.html
出崎の断片収拾〜どろろと佐武市 - まっつねのアニメとか作画とか
より

出崎統は「対象物を先に映してから、全体像を見せる」って演出が多いしなー。それって富野も映像の原則に描いてたかしらん。



絵的にも岬の上の一軒家で、階段を上がった所に住んでるとか、超宝島。ポニョっぽくもあるけどー。
あと、普通で大した悩みも葛藤も不満も無さそーな少年に、常識が通用しない、というか違う常識を持っている物が流れてくるってのも宝島っぽいなー。
美少女が、海賊野郎と同等の濃さと言うか、インパクトを持てるかがキーであるな。
あ、少年が大して悲しいと思ってない人生について勝手に悲しいって泣くのは、少女にしかできない芸当だな。おにいさまへ…の優しい美少女の影響だったりして?


まあ、常識が通じない異物と言うと、落ち者ヒロインのmunto様でもあるわけだが。
いや、ムント様というか空を見上げる少女の瞳に映る世界の日高ユメミ様は、作中の現実の常識からも少し外れていたけど。電波だったけど。
フラクタル世界は21世紀の視聴者から見ると、まあ、現実離れしてるし、電脳コイルみたいな立体ホログラフのドッペルに囲まれてる所は、21世紀の常識から見ると夢を見てる感じでもあるか。
うむ。
おれ、結構ムント好きなんすよ。
ムントを作ってる時の京都アニメーションにスタジオ見学に行ったし
(というか京アニ京都文化博物館のアニメーションの歴史コーナーで、何を思ったのか、ムントのOVAの製作現場を展示してたwww)
で、ムントっぽいと評判で、ムント大好きのヤマカンのフラクタルも、結構楽しく、早送りせずに見れた。
山寛もムント好きらしい↓
ムントtoフラクタル〜ヤマカンはついに「アニメに湧くゴキブリ撲滅」を成し遂げるか - まっつねのアニメとか作画とか

あと、出崎統宮崎駿の影響だけじゃなくって、サマーウォーズとかのアバター世界とか、いまどきの美少女陳列システムとか、美少女の挿入歌とか、左さんのキャラクター原案とか東浩紀の原案でアップデートしてるのも面白いな。
おれは、ヤマカンの発言や過去の作品はあんまり詳しくないし、あずまんはtwitterですぐブロックするから、俺もブロックしてるけど、作品が面白かったら、どうでもいい。
アニメが面白いかどうかって言う事くらいしか、この世界には価値はないだろう。というか、僕のような貧しい者が触れたくて触れられる幸せなんて、それくらいだよ。



あと、富野由悠季が映像の原則とかで「最近のアニメーターは机から見降ろしてるんで、俯瞰の構図ばっかり描く癖があるんで、直させる。普通の映画は俯瞰はよっぽどの事がないとやらねーよ。普通の人間の視線はむしろ煽りが多い。カメラは身長の胸の位置が一番自然」って言ってた。
あと「アニメーターの手癖の絵はアップが多すぎてキモい」とか言ってた。
で、フラクタルも序盤(だいたいオープニング前まで)は俯瞰の構図が多くて、ちょっと気持ち悪かった。

富野由悠季 特講 「アニメ演出チェックの五原則」 ‐ ニコニコ動画:GINZA
ニコニコのコメントによるとコンテヤマカンは富野の演出論を否定したらしーが。
でも、フラクタルはオープニングのCM明け、クレインがフリュネと出会ってからはカメラ位置が下がって、会話シーンは大体カメラ位置は胸の位置に成ってる。
ただ、両親のドッペルが出る所とかで、違和感を出すために要所要所で俯瞰の構図を差しはさんでて、ちゃんとした演出意図を感じた。ヤマカンは京都大学のインテリだからなー。そこら辺のカメラワークは抑えてるよな。ごめんね。なめてました。
で、ラストにフリュネが月や星を見上げ、パソコンから出てくるネッサ10歳CV花澤香菜を見上げて、空間を意識してオッと興味を上げておいて、一気に次回に引く。構成上手いな。


芝居も割と嘘くさくない作画というか、違和感を感じなかったと思う。退屈だったら、俺は絶対早送りしてるもん。
体が固いくて暖かいヒロインとか、体の感覚が感じられていいね。
あと、色遣いも見てて楽しいねー。
面白いまま行ってくれたらうれしいね。