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菅政権は機能しているか?
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疑惑追及からは逃れたが……

大津波に襲われ、がれきで覆われた岩手県陸前高田市の様子=2011年3月18日【時事通信社】

 まるで疑惑追及から逃げ出すように、国会から去っていった菅首相だが、この日を境に、震災復旧・復興、原発放射能漏れという国家的規模の重大危機への対応を迫られることになった。だが、皮肉なことに、同じ危機でもまったく次元の異なる個人的なスキャンダルによる政権崩壊という危機からは脱することができたのだった。

 一方、地震発生当時、国会議事堂本館2階の民主党国会対策委員会事務局にいた安住淳国対委員長は廊下に飛び出し、大声で叫んだ。 「でかいぞ!」

 安住氏は衆院宮城5区選出。多くの犠牲者を出した石巻市が地盤である。部屋に戻り狼狽しながらも、食い入るようにテレビの地震速報をながめた。震源は東北地方! 片手で携帯電話を操作する。だが、親族につながらない。「生きてるんだろうなあ」

 安住氏が両親の生存を確認したのは、その5日後のことだった。

 地震と津波、それに続く東京電力福島第1原子力発電所の爆発、放射能漏れへの対応で、首相官邸の不手際が続く中、一部の議員は個人的な救援活動を展開した。

 自民党の菅原一秀衆院議員は自ら2tトラックを運転し、瓦礫を避けながら岩手県陸前高田市の避難所を訪問、救援物資を届けた。菅原氏は22日に開かれた自民党緊急災害対策本部で現地の状況を「被災地は凄惨な状況だ。小高い丘に車が埋め込まれている。津波で流された車がまだ瓦礫に挟まっている。現状はそういうことだ」と報告。さらに、次のように付け加えた。
「陸前高田のプレハブでのことだが、人の列が……物資を求める列かと思った。だが、違った。死亡届の書類を出す列だった」

 菅原氏は石巻市で安住氏と偶然出会った。安住氏が力なくポツリとつぶやいた。
「高台から見ると、東京大空襲のようですよ」

 その安住氏は22日に東京に戻ると、首相官邸を訪ねた。そして、現場で聞いた人々の声を参考にして、菅首相に対して、復興を遅らせかねない行政の問題点をこう指摘した。
「自治体は役人の作った法律に右往左往させられている。細かな法律を突破していく力が今、必要だ」

 安住氏は被災現場で、放置された乗用車が道路をふさぎ、緊急車両が通れないが、車は私有財産なので片づけられない――などという声をさんざん聞かされ、法律上の制約を取っ払う必要性を感じたのだ。

 菅原氏の言う死亡届の列にしても、安住氏の言う車両撤去の話にしても、些細なことのように思えるが、現実の被災現場ではそういう問題ひとつひとつの解決が実は大事なのである。

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