リアリズムと防衛を学ぶ

本の感想などを書いています。

流出犯の自白と、2つの事件の混同

 尖閣沖の衝突事件の捜査資料であるビデオがYoutubeに流出した事件で、ビデオを流出させた容疑者が自白し、警視庁に引き渡されました。他方で、容疑者が所属している神戸海上保安部には激励の声が数多く届いています。しかし「漁船衝突事件」と「ビデオ流出事件」は関連してはいても別々の事件なのであって、切り分けて考えるべきものです。その上で、「ビデオ流出事件」について法に則った手続きを踏むとともに、「漁船衝突事件」においてその手続きを曲げたことについて、地検と政府はあらためて説明せねばならないでしょう。

自白した海上保安官

容疑者は神戸海上保安部に所属する海上保安官です。ビデオのアップロードが神戸の漫画喫茶から行われたと発覚したのがキッカケになり、自白がなされました。(時事通信11/10)

10日午前9時10分ごろ、乗組員の間で「神戸の漫画喫茶から映像投稿」とのニュースが話題になり、主任航海士の様子がおかしくなった。このため、船長が「大丈夫か」と声を掛けたところ、船長ともう一人に「自分がやった」と告白した。


 主任航海士は「自分で警察に話す」と語ったといい、巡視艇が神戸港に接岸後、警視庁の捜査員に身柄を引き渡された。(2010/11/10-19:47)

時事ドットコム

ビデオを流出させた動機などについてはまだ確かな情報がありませんが、テレビの報道ではこういうコメントがでています。

この海上保安官はNNNの取材に対し、映像の流出にかかわったことを認めた上で、「誰にも相談せず一人でやった」と話した。また、「映像は元々、国民が知るべきものであり、国民全体の倫理に反するものであれば甘んじて罰を受ける」という趣旨の主張をしていた。

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  身柄を引き渡された航海士は、事実関係の取調べのあと、正式に逮捕されることになるでしょう。ビデオ流出事件は2日前から国家公務員法(守秘義務)違反容疑で刑事告発されているからです(AFP 11/8) 彼が流出させたと称しているビデオは未だに捜査資料として扱われており、それを根拠として政府は非公開の方針でおりました。肝心の捜査機関たる海保の職員が、捜査資料を、政府の方針に反逆して流出させたということで、自白が事実ならば逮捕は避けがたいでしょう。

 これに関しての私の所見は先の記事で述べたとおりですが、以下に引用するsionsuzukazeさんのご意見に完全に賛同するものです。

今回の映像をアップロードした人間が「真実を見せてやるぜ」以上の意識は無かったと考えますが、それは故意ではないとしても、政府方針に反する行為であることは明らかで、増してそれが公務員の側から、となればそれは「情報を活用できる能力、知ることに対する責任と義務」が欠如していると言えるでしょう。……


政府が決定したことを現場が覆すようなことが頻発すれば、そのような政府とどの国が約束事をするでしょうか。相手だって約束を守る気などなくなりますし、それを非難などできないでしょう。……「圧倒的民意を得ようが政府としての基板が甚だ貧弱で政府機関さえ統制できない」という貧弱っぷりを全世界に公然と晒すことが「国益」などになるわけが無いではないですか。


「公開」するのであれば、それは政府自身の手によってさせるべきで、そのために圧力をかけるのは構いませんが、このような無秩序に快哉を叫ぶ神経を自分は疑わざるを得ません。

はてなダイアリー

 政府の方針に反発した当該機関の公務員が一々暴発しているようでは、行政はなりたちません。とくに外交事案においては、社会的に意見がわかれる政治判断なんて何度となく起こりえます。そんなとき一々後ろから撃たれているような政府は自国からも外国からも信頼を受けないでしょう。政府の行為に明確な違法性があって、それを内部情報を用いて内部告発したというのならば話は別です。しかし今回のように明確に違法とはいい難いが意見が分かれる政治判断について、ただ自分の意見と異なるために暴発するような人がいては組織的な統制がとれません。

 そもそもビデオを非公開にするという政府の判断は正しかったのか、あるいはそういう政府の意向を汲んで未だに不起訴処分をしていない地検の態度は誤っていないか、といった諸問題についてはそれぞれに論じられなければならないでしょうが、他方で行政組織の統制を維持する必要性から、今回の流出犯は取調べ、逮捕、起訴のうえ裁判で理非を明らかにして法律に則って処分されるべきでしょう。「漁船衝突事件」において政府の判断が不当だったとしても、「ビデオ流出事件」を起こした海上保安官の(意図はともかく)行為までが正当だとは必ずしも言えず、まして免罪してよいということにはなりません。

 一方で逮捕は流出犯を英雄にし、政治不信を高める恐れが大です。

 

神戸海保へ「激励」の声、または5.15の風景

 もともと今回の流出事件では、そもそもビデオ非公開が間違っているのだ考える市民から「よく流出させた! 勇気ある告発だ」という賛意の声がみられました。ビデオ流出直後から、海保には激励の声が寄せられたといいます。(時事通信11/6)

尖閣諸島沖での漁船衝突事件を撮影したとみられる映像がインターネット上に流出して以降、海上保安庁には「激励」の電話やメールが相次いでいる。
同庁によると、広報部門には5日午後7時半までに一般から114件の電話が寄せられた。このうち、海保側が「応援的だ」ととらえているのは83件。「よく公開した」「断固海保を支持する」といった映像が公になったことを評価する声から、「犯人捜しをしないで」「尖閣諸島に上陸して」との内容まであったという。

時事ドットコム

 今回の海上保安官の自供によって、彼が所属している神戸海上保安部には改めて400件ほども激励の声が届いているそうです。(時事通信11/10)

 神戸海保には夜までに、電話とメールが400件以上寄せられた。「頑張れ」「捕まえないで」など、ほとんどが保安官を激励する内容という。


 東京・霞が関海上保安庁。首脳級幹部の一人は記者と目を合わせようとせず、問い掛けにも口を真一文字に結んだまま。別の幹部は「一般の人が応援してくれるのはうれしいが、それと証拠の流出は別だ。ああいう映像が出たら、領海警備などに支障が出る。海上保安官として考えられない」と肩を落とした。

時事ドットコム

 そもそもビデオ非公開が間違っているのであって、国民の知る権利を妨げていた、という観点に重きをおけば「このビデオは本来、国民が知るべきものだ」という流出犯の意図に共感するのは自然なことかもしれません。かかる状況で流出犯が逮捕、起訴されたならば、流出犯にはさらなる同情が集まるのは避けがたいでしょう。

 政治が信用できないとき、それに反発して暴走した公務員に賞賛があつまる――規模や暴走の内容はまるで異なるとはいえ、どこかで見たような風景です。こういう場合、いくら心情的に賛同できたとしても、それによって違法行為を免罪するか、不当に軽い処分で済ませた場合、悪しき前例となってさらなる暴走を呼ぶことになりかねません。

 

容疑者には法に則った手続きを。政府と地検はかつてそれを曲げた説明と責任を。

 ここに至って、ジレンマが成立します。政府機構の統制を維持するためには流出犯が厳正に処分されねばならないが、流出犯のみが厳正に処分されることは政府の信頼をさらに貶めることになるでしょう。違法操業をやり、衝突事故をおこした中国漁船の船長は、一度は逮捕されたものの、釈放されました。

中国人船長は無事に釈放されたけれど、それに怒った海上保安官は逮捕され、裁判にかけられる。この何とも言いがたい対照は、「理不尽だ」と思う国民の不満と政府不信を招かずにはいないでしょう。

 流出事件の容疑については裁判で明らかにされなければなりません。それと同時に、「ビデオ流出事件」について法に則った手続きを求めるなら、「漁船衝突事件」においてそれを曲げることを許した件を、政府は今一度説明すべきでしょう。さもなければ政府不信はさらに止め処なく進んでしまいます。

 世論沈静化のためにより望ましいのは、容疑者の起訴に併せて、このような事態を招いた管理責任を海保上層部がとるのみならず、ビデオ非公開という判断の結果責任を内閣のしかるべき人が取ることですが、それは望み薄かもしれません。