2011.03.24

【特別寄稿】日本のメディアが変わった10日間
小さなメディアの大きな力

小林 弘人

調査協力:丸山裕貴

 東日本大地震という日本を引き裂くような痛ましい災害が起き、いまも多くの被災者の安否が気遣われる。また地震によって発生した津波の被害を受けた福島第一原子力発電所で発生した問題も刻一刻と状況が変化していて、ネット上ではそれについての記事やつぶやきも絶えない。

 地震発生後、痛ましいニュースがツイッター上でも多く流れたが、同時に多くのフォロワーをもつツイッタラー、ブロガーたちが緊急性の高いニュースを継続的に配信し、情報のハブとなって活動し続けた。個人のツイッタラーも、遠方の被災者や不安に感じている人々を励まし、節電や買占めを諌め、原発事故に関するデマに対しての意見や新しい情報を提供した。その人たちの多くは逐次伝わる未曾有の被害状況に対し、折れそうになる心と闘っていたのではないだろうか。

 平時には既存メディアから負のイメージばかり強調されることもあったオンライン・メディアが、ここにきてひとつにまとまり、その威力を発揮しつつ、存在感をこれまでと違ったやり方で示したことの意味は大きい。現実社会と同様、皆が意思をもってオンライン上で行動するならば、小さなメディア群はそのスケールよりも大きなことをなし得るということを多くの人が気づき始めた。このことによって、日本のメディアを取り巻く環境は大きなバージョンアップを果たした気がする。

メディアの序列が変わった

 ツイッターは、自分がフォローする相手によってタイムラインの中身や情報源、それらニュースを構成する"空気"が違ってくる。また、フローが高いゆえ意図しない間違えや誤報も含まれる。

 この連載の冒頭でも述べた「アフォーダブル・メディア」の時代には、政府や第三者機関の許認可も要らず、誰もがメディア人となるため、そこには必ずしも美談だけがあるとは限らない。当然ながら情報を運ぶすべてのツイッタラーがメディア的自覚をもっているわけではない。ある局面ではノイズになりえることもある。感想はただの感想ではなく、発信されることで可視化された情報として現出する。それだけを以て、「だから、ネットはダメだ」ということは簡単だ。

 しかし、シグナル(信号)はノイズのなかに含まれる。個人的な意見はフェイスブックやミクシィのような、その人を知る知己のネットワーク内で発言し、ツイッターの活用はニュース発信に、という使い分けを行う人も散見された。今回の震災では、多くの人たちが自らの手でどう自身が小さなメディアを行使すべきか手探りながら試行しつつあるように感じる。

 災害時のマスメディアがそうであるように、喫緊の重大事件に遭遇したとき、日頃は個人的な事柄やテーマを特定したつぶやきであっても、それがメディアである以上、ユーザーを取り巻く様相は一転する。そのような選択も含めて、多くの人たちはこのような状況下で、自身のメディアとのつきあい方を突きつけられたのではないだろうか。そして、手探りながら、自分にできることを粛々と続けているだろう。

 誰もがメディアをもてる時代だが、これまで以上に今回は個々がメディア発信者としての自覚をもつことはなかっただろう。

 多くのメディアには、それを支えるテクノロジー基盤やライフスタイルの違いにより、それぞれのオーディエンスがいる。もちろん、インターネットの情報がすべての人に開放されているわけではない。しかし、今回インターネット上に籍を置くアフォーダブル・メディア群は他のコミュニケーション・インフラよりも安定していたことから 【註1】、リアルタイムに情報を配信し、それにより他メディアに影響を与える立場にいたと言っても差し支えないだろう。

 それはこれまでのメディア間の序列や構造を変えてしまった。もし、変わっていないものがあるとしたら、コミュニケートする方法論であり、ひいては情報を受発信する組織の構造に立ち戻る。テクノロジーによるコミュニケーションの変容に取り残された組織構造とそれを支える惰性的な"力"が、はからずしも露呈したとも言える。

 これはメディアだけの話ではない。政府・企業の情報開示やその発信方法も含むものだ。メディア・テクノロジーを語るときには、これまで以上に組織論についても目配せをしなければならないだろう。これについては本稿の末尾でも触れる。

 なお、本稿で取り上げた事例は一部の活動であり、記載しきれないほどの多くの有志らの活動が同時多発的に起き、今も活動を続けながら、さらに追従者を増やしているということをご理解いただきたい。

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