yuhka-unoの日記

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無意識に理想が高い人

死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。

上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。
私は、鬱病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、本人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。
だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、本人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、本人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。)
 
私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い過ぎる母は、自分の気遣いレベルが普通で常識で皆そうしているものと思い込んでいて、私にも躾としてそういう振る舞いを求めた。元来気を遣い気配りすることが苦手な性分で、母の要求レベルになかなか応えなれなかった私は、「自分は、人と上手く付き合うことができない人間なんだ」と思い込んだ。
お隣さんの「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」という一言がきっかけで、母の気遣いが一般よりも高レベルであることと、他人は、そこまで気を遣ってコミュニケーションしているわけではないということが初めてわかり、それから楽になっていった。
また、『仕事ができない「過真面目」な人について』にも繋がる話なのだが、私はかつて、「若者はすぐ辞めてしまうから困る」という世間の言葉を間に受け、「社会人になったら、そういうことをしてはいけないんだ。それが責任ということなんだ」と思い込み、自分に全く向いていない仕事でも辞めずに続けてしまって、精神的に追い詰められた。明らかに向いていないものは、さっさと辞めてしまうことだ。自分の心身の健康が一番大事なのだから。
 

なぜ虐待は起こる?
 
1 育児についての理想が高い:
  意外なことに子どもを虐待してしまう養育者(特に母親)の多くは、「良い親でありたい」という気持ちが強い人達です。
  そのためにかえって子どもの発達や「しつけ」について高い理想を持ち、その理想どおりにいかない現実の子育てにいらだちます。
  さらに、「こんなことではいけない」と自分を責めることで自分自身を追いつめ、気持ちのゆとりを無くしてしまう傾向があります。

これも同じことで、育児ノイローゼになりやすいタイプの親は、育児本に書いてあることや、周囲の人からのアドバイス、世間の子育て論などを、非常に素直かつ真面目に受け取り、それら全てを忠実に実行しなければならないと思い込んでしまったりする。その結果、「子育てとは、こうしなければならないものなんだ」という思いに囚われ、「なのに、それができない自分はダメ親」と、精神的に追い詰められていき、精神破綻をきたしてしまう。
 
こうした無意識の理想の高さが厄介なのは、一見それがとても正しく、良いことのように言われているからだ。頑張りにしても真面目さにしても子育て論にしても気遣いにしても、世間的にも推奨されていることで、道徳的ですらある。なので、まさかそれが間違っているなんて、思いもしないのだ。
いくら世間が言っていることでも、自分にできないことはできない。自分にできることの範囲内で自分をコントロールしていくしかない。それに、その「世間」というのは、実は非常に狭い範囲での世間であって、多くの場合、自分の生まれ育った環境、もっと具体的に言うと、自分の親の感覚だったりする。
 

環境という足枷 - G.A.W.
 
というより、ふつう低学歴で育ってきた人って「教育にコストをかける」っていう考えかたがあんまりないんですよ。所得の問題もあるかもしんないです。現実的に金かけられないって。でもより重要なのは「学歴なんてあってなんになる。それより手に職をつけろ」ってまず考えるっていうこと。

 これね、親自身がホワイトカラーの世界をあまり知らないからこうなります。つまり「あいつらがなにやってんだか実際のところはわからん」ということ。

こちらのエントリは低所得層の家庭の話だけれど、逆に、エリート層の家庭で、本来非エリートとして生きていくのが向いている子供が生まれてしまった場合にも、似たような悲劇が起こるだろうと思った。
親が、一流大学を出て良い会社に就職し、持ち家を持って家族を養い、なんとなく子供もそうやって生きていくのが当たり前だと思っている場合、子供が調理師や漫画家やお笑い芸人や戦場カメラマンの才能があったとしても、「漫画なんて描いていてなんになる。それより勉強しろ」ってまず考えるだろう。そして、会社勤め以外の生き方については、「あいつらがなにやってんだか実際のところはわからん」となるのではないかと。たとえ親が子供に対して明確にそう言っていなくても、無意識にそう思っていたら、それは子供に影響してしまう。この手の悲劇の代表的な例が、奈良医師宅放火殺人事件だと思う。
いずれにしても、観測範囲の狭い親は、子供の可能性を狭めることになってしまう。私の母もそうだったのだが、たとえ世間的には決して高いわけではない理想でも、子供本人に向いていないことをさせるのなら、それは子供に対して高い理想を持ってしまっているのと同じことなのだ。
 
現代においては、親の無意識の理想の高さが、子供を追い詰めてしまいやすい時代だと思う。なぜなら、景気が悪くなっているからだ。今の若者のほとんどは、親より低レベルの生活をすることになるだろう。むしろそれが「普通レベル」だ。時代によって「普通レベル」は変動する。親世代の生活レベルが「普通レベル」だったのは、親の時代までだ。子供が親より豊かな生活をするのが当たり前だった時代は、もう終わったのだ。
それがちゃんとわかっている親なら良いのだけれど、なんとなくわかっていない親がいて、子供は、自分と同レベル、もしくはそれ以上の生活ができて当たり前だと思っていると、子供がプレッシャーを感じてしまう。
 

id:rzio
日本人のほとんどはこれに対する適切な答え方を知らない。知るわけがない。レールから外れたらなんて想定は不謹慎だからしない。悩みを相談しないで死ぬのはそんな理由じゃないかな。

たぶん、就活生が鬱になったり自殺したりする最大の要因は、これと言っても良いんじゃないかと思う。これからの時代は特に、レールから外れて生きていっている人の存在を、もっと意識するべきだと思う。本当は、大人がそういう人の例を、若者に提示して、「こういう生き方もあるよ」と言っておくべきなんだろうけど、若者が教育課程で出会う大人の中で、それができる大人がどれほどいるのかを考えると、今の日本ではかなり難しいと思うので、若者の側が、そういう大人の存在を意識しないといけないのが現状だと思う。
「こういう生き方もある」と知った上で、レールに乗っかる人生を選択するのと、それを知らないで、この生き方しかないと思い詰めてしまうのでは、かなり違う。
 
それを考えると、私の父がレールから外れまくったフリーダム自営業だったのは、まだ良かったんじゃないかと思えてきた。私は、『「普通」の親が子供を追い詰める』で書いたように、「普通」の枠の中に住み込むことに固執し依存する母に絡め取られてしまって、身動きが取れなくなっていたが、もし両親とも「普通信者」だったらと思うと、ぞっとする。
父は色々と問題のある人だったが、父の仕事は面白いと思っていた。稼ぎも少なく常に経済破綻寸前だったが、企業勤めして安定収入を得ている人に比べて、父を惨めだと思ったことはなかった。父は、わりと自分の人生を生きることができた人なんじゃないかと思う。ただ、もう少し私の話を聞いてくれたら良かったのに、とは思うが。
むしろ私は、そこそこの安定収入を得ている母のほうが可哀想だと思っている。母は、自分の本音がわからない。だから、自分の人生を生きていない。そして、そのことに気付かないまま一生を終えるのだろう。
 
世間的には、ひきこもりが異常で、働いたり学校へ行ったりしている人が正常に見えるのだろうが、私は、ひきこもる前の自分が異常で、ひきこもりになってから、徐々に正常な自分を取り戻していったと思う。ひきこもりになったことは、今までの自分の生き方が、自分に合っていないというシグナルだったのであり、ひきこもり期間は、本来の自分自身を取り戻すための戦いだった。
自分の生まれ育った環境や親の価値観が、たまたま自分の性分に向いていなかった場合には、認識を変え、環境を変えて生きていく必要がある。私は、自分のペースを保って生きて、他人から「あの人はそういう人なんだな」と思ってもらう方向で生きていくことにした。そして、気を遣い合う付き合いからは離れ、なるべく本音で話す人と付き合うことにした。
 
 
[追記]
続きを書きました。
ひきこもりの品格―精神的扶養家族からの脱却―
 
 
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