2011.07.19
# 雑誌

スクープ!ホンダ創業者本田宗一郎の長男が刑務所に入るまで

検察と全面対決、弁護士費用はなんと20億円を超えた。悪名高き検察にハメられた御曹司の「無念」

 父と同じく求めた、心から信じられる「女房役」。その男に裏切られ、長きにわたる裁判闘争を強いられることになるとは。70歳目前にして刑務所に入る「長男」の葛藤を徹底取材で追った。

初めに検察のシナリオありき

 ホンダの創業者・本田宗一郎は世襲を良しとせず、長男の博俊(69歳)を会社に入れなかった。博俊自身も「宗一郎の息子」と見られることを嫌い、宗一郎とは距離を置いていた。ただ「車好きの血」は争えず、30歳でエンジンメーカーの無限(埼玉県朝霞市)を設立。F1で4勝するなど、モータースポーツ界で知らぬ者のない存在となった。

 その本田博俊が6月末までに小菅拘置所から刑務所に移送され、受刑者となった。脱税の罪をこれから2年にわたって償う。

「本田宗一郎の息子の会社が査察を受けた。脱税事件に発展するかもしれない」

 そんな情報が流れたのは10年ほど前のことだった。実際、博俊が社長の無限は2001年7月に関東信越国税局の査察を受け、脱税容疑で厳しい取り調べを受けていた。

 以来、調べはさいたま地検に移され、'03年7月1日に博俊は逮捕された。否認のまま270日を浦和拘置所で過ごしてから、長い公判が始まる。'06年5月25日にさいたま地裁で無罪判決を受けた喜びもつかの間、'07年9月19日には逆転有罪判決。上告するものの最高裁第一小法廷が'11年1月27日までに棄却を決定した。

 脱税事件としては極めて特異である。

 その最も大きな理由は、博俊には「たまり(不正に蓄財された資産)」がないことにある。脱税は資金を隠匿するために行うものであり、国税当局はその「たまり」を見つけ出して脱税の証拠とする。ところが博俊の事件では「所得隠し資金」が複雑な経理操作を経て、無限元監査役の広川則男が実質的に経営する会社の土地と広川と親しい女性のKが住む土地に流れていた。

 広川とKが博俊のダミーというのなら脱税事件は終結する。ところが構図はもっと複雑で、実は広川とKはさまざまな手法で博俊からカネを収奪していた。「2つの土地の約30億円」はその一部に過ぎず、2人は博俊と14件もの民事訴訟を争ってもいる。

 つまり「信頼していた2人に騙された」というのが博俊の主張。これに説得力があるのは、民事訴訟はすべて博俊側の勝訴(一部和解も含む)に終わり、刑事事件も含めて唯一の敗北が前述の東京高裁の「脱税10億円で懲役2年の実刑判決」だからである。

 博俊は一連の裁判に持てるエネルギーの大半を注いだ。PwC会計士事務所の数人の公認会計士や税理士、光和総合法律事務所の石川達紘弁護士(元名古屋高検検事長)などでチームを編成、これまでに各種の公判対策で20億円以上の資金を使っている。

 10年の公判のなかで、博俊に一貫していたのは冤罪への怒りだ。「本田家から資産を収奪した男女の罪」を問わず、「広川が脱税事件の主役でそれを認めた博俊が準主役」という構図のまま裁かれ、懲役に服することが我慢できなかった。10年にわたって事件を追った本誌も冤罪だと考える。

「出所して、自分の考えとやり方で存分に戦います」

 と今回、博俊は本誌と〝連帯〟することはなかった。ただ戦後日本を代表する経営者の本田宗一郎の長男が脱税で受刑者となったという事実は、いま議論になっている「司法の在り方」「検察捜査の在り方」に様々な論点を提起している。
本田博俊が受刑者となるまでを振り返りたい。

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