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手を動かすことの怖さとその意味

最近、ディープラーニングの話ばっかり書いているが、今日はコルクの佐渡島さんと連載している #コンテンツ会議 の更新日。ということで、ディープラーニングの周辺で思ったことを書きます。

ディープラーニングを勉強すると数式がたくさん出てくる。ぼくのように数学がそれほど得意ではない人間には、これが最初はまったくわからない。教科書を読もうとしても、目が紙の上をすべっていって、ぜんぜん頭に入ってこない。

でも、しぶしぶ手を動かして、ノートに数式や図を書いてみる。そうすると、不思議なことに、だんだんわかってくる。たくさん書けば、書いた分だけ、理解が進む。

よく、えらいひとが「手を動かしなさい」というけど、あれは本当だ。

「手で書く」という行為は、時間がかかるし、両手もふさがる。だから、その問題に向き合わざるを得なくなる。一文字ずつ手で書きながら、その問題について、順番に、ゆっくりと考えることになる。手で書くと、そういうシチュエーションになるから、必然的に理解がすすむのだ。

ぼくは高校生のころ、理系クラスだったのだけれど、数学で挫折している。途中でわからなくなって、受験科目に使うのをあきらめたのだ。高校生のころ、ぼくが数学を苦手になった理由が、いまはわかる。

授業をなんとなく眺めて、教科書をちらっとみて、テスト前にちょっと見直して(文字通り見るだけ)、それでテストを受ける。こんな感じで、できるわけがない。そして、わからないことが増えるにしたがい、ついていけなくなる。

当時は単純に「手で書くのは面倒」だと思っていたんだけど、いま考えると、その奥に「恐い」という感情があったのかもしれない、と思う。ちゃんと問題に向き合って、それでもわからなかったら、かっこ悪い。でも、なにもしなければ、そんなことにならずにすむ(←アホです)。

でも、大人になったぼくは知っている。ぼくらが目にする範囲の数式には、だれでもわかるような数式しかないはずだ。人間のかしこさなんて大差ないんだから、ちゃんと手を動かして、まっすぐに取り組めば、わからないことなんてそうそうない。

そしてこれは数学だけの話ではなく、わりとなんでも、そうだよね。ぼくらはつい、いろんなことを面倒くさがってやらないし、その背後には怖さがあったりするし、そして、やってみると意外とかんたんにできたりする。

この半年くらい、会社に外部の講師に来ていただいて数学の勉強会をしている。みんなで、ひーひー言いながら課題をやって、線形代数の範囲がひととおり終わり、先生に感想をもとめられたCTOのkonpyuはこういった。

「カルマがあがった気がします」

わかる、と思った。

マンガでわかる線形代数

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