査読における不採録コメントの取り扱いの難しさ

2月に入ってから一週間の間にジャーナルの再査読3件と論文の締切りが重なってやや忙しかったが,今日やっと全てを片付けて一段落した.今回は再査読なので本当は一回目の査読より楽なはずなのだけど,実際には一回目より大変な査読になった.その一番の理由は不採録としたコメント(2件)の取り扱われ方(今回は両方とも再査読することになった).
一つのジャーナルではそれがそのまま著者に渡ってしまっており,著者らは対応しようと苦慮しているのだけど(不採録コメントでは単に問題点を指摘しているだけで,どう直せば良いか具体的な方針を示していない項目もあって)十分に対応できているとは言えない箇所も多く,そのまま再査読するなら不採録(か良くて照会後判定)とせざるを得ない.ただ,不採録コメントに直接対応しようとすること自体にそもそも無理があって,これで採否を判断するのは忍びないと感じる.再査読に回すのであれば(採録のための条件となるよう)論点を整理させて欲しかったところ(こういう場合,第三者による意見調停があるのが普通だと思う).
もう一つのジャーナルの方では,メタ査読者の判断で不採録コメントから採録の条件を抜き出して著者に渡しているのだけど,こちらが問題点として指摘した全ての項目を抜き出しているわけではないので,再査読する原稿にはまだ穴が空きっぱなしの箇所もあり,それで(照会無しで)採否を判断しろと言われると,やはり不採録にせざるを得ない.というか不採録でも論文の改善に少しでも役に立つようにと思ってコメントを書いているのに,採録のための条件だけ満たせば良いと都合よく解釈して,不採録コメントについては簡単に対応できる項目ですら無視とくれば相当に萎える.不採録にするにしてもその責任は著者にあると感じる.
ジャーナルは研究者を育てる場でもあると思って,特にしっかりコメントを書くようにしてきたけど,最低限の対応だけして楽して論文を出そうという著者ばかりの論文誌の査読のときは,これからはこっちも切って捨てるつもりで JMLR みたいに,数行書いて不採録としようか.
[追記] 振り返ると,苦手な国内ジャーナルの査読が続く - ny23の日記 でも似たような愚痴を書いていた.ジャーナルの著者には,「色々穴はあるけど,査読者に指摘されたところだけ直せばいいや」とか,「練りきれていないけど,査読者が直し方を教えてくれるだろう」とか中途半端な気持ちで投稿して欲しくない.こういう学生気分の著者はいつまでたっても(査読者の全力のコメントを受けても)成長せず,中途半端な原稿を投稿し続ける.学会と違って締切りがあるわけでもないので,少なくとも著者は初回投稿時に自身の全力を尽くすのが前提のはず.査読者としてはそういう全力を尽くした著者にこそ,全力をもって応えたいと感じる.ジャーナルの査読は,そういう著者と査読者の真剣勝負の場であって欲しい.
[追記] 上に書いたのは Computer Science におけるジャーナルの査読の場合.Computer Science では,研究成果のメインの発表の場は学会で,ジャーナルは研究のまとめの場として位置づけられている(照会は一回だけ*1というジャーナルも多い)のでどうしても緊張感を持って査読に望まないといけない.他の分野(例えば言語学とか)だと,ジャーナルが基本で査読者と議論をしながら共同作業で研究を作っていくという雰囲気があるのかもしれない.学会とジャーナルの中間ぐらいの雰囲気がちょうどいいんだけどな.

*1:この場合,著者は一回で査読者のコメントに必要十分に応える必要がある.(自分も以前ジャーナルを書いたとき,共著者の先生から注意されたが)査読者の指摘した内容以外を直してしまうと,再照会が必要なって差し戻し,ということも十分ありうるので,そう意味でも(再投稿したくないなら)初回時の投稿でやれるだけのことはやったほうが良い.