理論社・新しい児童文学を追い求め続ける出版社の軌跡 その2 70・80年代編

第一回 理論社・新しい児童文学を追い求め続ける出版社の軌跡 その1 60年代編
前回は、60年代理論社が新しい世代の作家を見出し、今も読み継がれるロングセラーになるような傑作を次々と刊行していった様子を報告しました。理論社はこれだけの実績をつくってもそれにあぐらをかくことなく、常に前衛を志向し新たな児童文学への挑戦を止めませんでした。さらに新たな才能を発見し、児童文学の可能性をどんどん拡大していきます。

70年代の新星たち

70年代理論社を語る上で、カリスマ編集者小宮山量平が見出した最大のヒットメーカーにまず触れないわけにはいかないでしょう。74年に『兎の眼』で児童文学作家としてデビューした灰谷健次郎です。

兎の眼 (理論社の大長編シリーズ)

兎の眼 (理論社の大長編シリーズ)

兎の眼』は、新任の小学校教師小谷先生と緘黙児の鉄三の交流が描かれた物語です。子供に対する絶対の信頼をうたいあげる著者の姿勢は多くの読者の共感を呼び、理論社初のミリオンヒットを成し遂げました。
地べたっこさま (理論社名作の愛蔵版)

地べたっこさま (理論社名作の愛蔵版)

72年にはさねとうあきらが創作民話集『地べたっこさま』でデビューしました。彼の創作民話では弱い民衆がさらに弱いものを虐げる救いのない世界が描かれており、トラウマ児童文学として有名です。理論社斎藤隆介の『ベロ出しチョンマ』によって確立した創作民話の世界を、『地べたっこさま』によって自らの手で変革してしまいました。
おとうさんがいっぱい (新・名作の愛蔵版)

おとうさんがいっぱい (新・名作の愛蔵版)

75年には『地べたっこさま』に比肩するトラウマ児童文学、三田村信行の短編集『おとうさんがいっぱい』が登場します。ある日突然家に帰れなくなったり、自分の家から出られなくなったり、おとうさんが増殖したり……。確固として存在していたはずの日常に裂け目をあけ、実存の不安という高度なテーマに踏み込んだ不条理短編集です。
朝はだんだん見えてくる (名作の森)

朝はだんだん見えてくる (名作の森)

77年は岩瀬成子が『朝はだんだん見えてくる 』でデビューした年です。米軍基地のある町に住む中学三年生の少女が、反戦喫茶に出入りするようなったことをきっかけに、大人から期待されるレールから逸脱していく物語です。
少し時間が飛びますが、理論社は87年に岩瀬成子による戦後児童文学史上最大級の実験作『あたしをさがして』を刊行します。この作品は難解すぎてわたしの手には負えないので、宮川健郎による評を引用します。

イメージをつぎつぎと繰り出すだけで、ストーリーは、すっかり破壊されている、難解だ、子どもの文学といえるかと、困惑された作品である。(中略)児童文学の物語づくりには、そういったテーマにおけるタブーより以上のタブーがあって、岩瀬成子は、それをとうとうやぶってしまったようなのだ。だが、その試みがうまくいったのかどうか、正直にいって、よくわからない。
(『現代児童文学の語るもの』(NHKブックス)p215〜216)

あたしをさがして (大長編Lシリーズ)

あたしをさがして (大長編Lシリーズ)

79年・フォア文庫創刊

1979年に岩崎書店金の星社童心社理論社協力出版フォア文庫が創刊されました。『チョコレート戦争』や『王さま』シリーズなどこの時にはもはや定番になっていた作品が文庫化され気軽に買えるようになり、さらに多くの読者を獲得しました。既存作品の文庫化だけでなく、後に文庫書き下ろしの傑作も多数生むことになります。

80年代・大長編豊饒の時代

70年から80年代にかけて児童文学の長編化が進みました。それにともないストーリー展開や表現方法の自由度が増し、文学性がどんどん深化していくことになります。そんな80年代の大長編の傑作群から数作を紹介します。ただし、ここで挙げる作品は重要な作品のごくごく一部でしかないことをお断りしておきます。

ピラミッド帽子よ、さようなら (復刻版理論社の大長編シリーズ)

ピラミッド帽子よ、さようなら (復刻版理論社の大長編シリーズ)

乙骨淑子の未完の遺作です。地下の国アガルタから来たという少女に導かれ、別世界を探訪する物語です。
ひげよ、さらば (理論社の大長編シリーズ)

ひげよ、さらば (理論社の大長編シリーズ)

本屋や図書館の棚でこの本を見たことのある方は、その圧倒的な存在感を覚えていることでしょう。800ページ近い厚さと、その厚さをはるかに上回るヘビーな内容。野良犬に対抗するためにヨゴロウザという猫が野良猫のリーダーになり、猫を組織化しようとする話です。様々な困難の末野良猫たちは野良犬たちとの決戦の日を迎えますが、思いがけない形で決着がつき、悲劇に向かって物語は崩壊していきます。
昔、そこに森があった (復刻版理論社の大長編シリーズ)

昔、そこに森があった (復刻版理論社の大長編シリーズ)

校門から玄関口まで百メートルも続く木のトンネルがある農業高校を舞台にした奇妙な学園小説。この学校、人間の学校のはずなのになぜか生徒がみんなサルに変身しています。生徒だけでなく教員も学校に足を踏み入れるとブタだのタヌキだのカメレオンだのに変身。人間性という仮面をはぎ取ったところで体当たりの教育が展開されます。
国境―大陸を駈ける〈第1部 1939年〉 (大長編エルシリーズ)

国境―大陸を駈ける〈第1部 1939年〉 (大長編エルシリーズ)

満州で事故死した親友の謎を追って、京城帝大予科の青年が大陸を駆け巡る歴史物語です。これもものすごく厚い上に三部作という威圧感のある本なんですが、謎が謎を呼ぶミステリアスな展開に魅力的なキャラクターが配置されていて、非常に娯楽性が高い作品になっています。

89年・次の潮流への伏線

つめたいよるに

つめたいよるに

80年代最後の年、理論社江國香織の『つめたいよるに』を刊行します。繊細で文学性の高い内容から比較的高年齢の読者からの支持を集め、児童文学の領域を拡大しました。この作品を礎として、その後のYAブームへの流れが決定づけられます。
理論社はさらに児童文学の新時代に向かって舵を取りました。
90・ゼロ年代編につづく