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理想主義と現実主義を内に持つこと

先日紹介したバイステック『ケースワークの原則』からの引用。

 筆者は、援助関係について行った議論全体を通して、一人ひとりのソーシャルワーカーが、成長して獲得すべき専門家としての高潔な理想を明確にしようとした。ケースワーカーはまず、しっかりと地に足をつけた現実主義者でなければならない。また同時に、見通しのきく眼をもった理想主義者であることも求められる。現実主義者としてのケースワーカーは、クライエントの人生がもっている厳しい現実、またときには嫌悪の情をもつような醜い現実を、目をそらさずに見つめ理解し、そして援助するよう期待される。一方、理想主義者としてのケースワーカーは、ある場合には、自分がかけがえのない人間であるという信念を失ったクライエントの尊厳と価値を、具体的に発見し認識するよう期待されている。  理想主義者としてのケースワーカーは、個人の権利を守る闘志である。一方、現実主義者としてのケースワーカーは、個人の権利が他の人びとの権利や社会の共通の福祉によって制限を受けることを知っている。  またケースワーカーは、現実主義者として、困難に巻き込まれた人びとの人生において情緒的な要因が大変重要であることを理解しているが、これに対して理想主義者としては、情緒的なニーズや問題がいかに重要であろうとも、それだけが人間生活において考慮すべきもっとも重要な事柄でないことも理解すべきである。ケースワーカーは、自分の基準や価値をクライエントに押しつけるのではなく、クライエントが自ら客観的に社会的・法的・道徳的境界のなかにとどまるよう、援助に努めるべきである。  ケースワーカーは、理想主義者としては、クライエント一人ひとりを天にまします父の貴い幼子として捉えようとするが、現実主義者としては、クライエントが神の振舞いとはまったく異なる態度や行動を示す現実ももっていることを知っている。ケースワーカーは、愛という動機をともなって、助けを求めるきょうだいを援助するために諸科学の知恵を使いこなす技能を獲得するよう努力しなければならない。すなわちケースワーカーは、小さな規模ではあるが、自らが神の摂理の道具となるよう願うのである。 P215-216

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2011年08月09日 08:02に投稿されたエントリーのページです。

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