生ジュリ……“生でジュリー・アンドリュース”

1996年10月、仕事でニューヨークに出かけました。
12日くらいの滞在で、夜は比較的暇だったのでなにはともあれミュージカルを、と調べていたら、なんと、目を疑うことにジュリー・アンドリュースがミュージカルに出ているではないですか!

ジュリー・アンドリュース……

もちろん誰でも知っているでしょう。
「サウンド・オブ・ミュージック」「メリーポピンズ」をはじめとする数々の主演映画はもちろんブロードウェイでも活躍しました。というよりもともとブロードウェイの舞台女優だったのです。あの「マイ・フェア・レディ」も映画ではオードリー・ヘップバーンが主演しましたが元はといえばジュリー・アンドリュース主演の舞台だったのですから。

お恥ずかしい話ですが(別に恥ずかしくはないか)ボクは「サウンド・オブ・ミュージック」が大好きです。ベスト10には必ず入れるくらい好きです。あのオーバーチュアが流れるだけで涙が出てくるのです。その、涙が出てくる感じが好きなので、見慣れちゃわないようにこの頃はなるべく見ないようにしているくらいです。ですから「サウンド・オブ・ミュージック」のLDは我が家ではめったにかからないのです。

生で、ジュリー・アンドリュース……

彼女の舞台がこの目で見れるとは!
生きて動いているジュリーを見れるとは!

ボクは時差ボケも忘れていきり立ち、一緒に仕事しているコーディネーターに電話しました。

「あ、あの、ジュリー・アンドリュース、とれるかな?」
「ハ?」
「ジュリーのミュージカル!」
「そんなのやってましたっけ?」

たわけめ!
宝の持ち腐れとはこういうのをいうのです。
ニューヨークに住んでいながら、お宝を間近にしながら、いったい何をしているのか!
「なんでもいいからすぐ取って!!」

なんとかチケットは取れました。
開演の1時間前に入ったのですが、周りの家族づれなんかもみんな「ジュリーが見れる、ジュリーに会える」と(英語で)ワーワー話し合っていました。(こういう時外人はものすごく素直に感情表現しますからね)
「ほんとにジュリーが出るのか?」と案内係のおじさんに訪ねている人もいました。うれしくなりました。みんながすごく好意的に暖かくジュリーを愛している感じが会場中溢れているのです。こんな一体感はめったにありません。

その雰囲気は開演して10分後彼女の登場時に最高潮に達しました。
スタンディング・オベーションです。あまりの拍手歓声にしばらく彼女は台詞が言えませんでした。

ミュージカルの題名は「ビクター・ビクトリア」。
彼女の役どころはある事情からビクターという男性歌手を演じるはめになったビクトリアという女性歌手。男の衣装を着てタップは踏むは踊りは踊るは早変わりはするは、とにかく大活躍でした。

歌は、ちょっと裏返ったりした衰えを感じさせましたが、なんのなんの例の一拍遅らすようなジュリー・アンドリュース節は健在。歌詞の崩し方が昔と(映画と)同じなのです。「昔の恋人に昔と同じ癖を見つけた」時の心に広がる郷愁、わかっていただけますよね。


ところで彼女は一体いくつなのでしょう。
1935年10月1日生まれと資料には書いてあるから、1996年で61歳、かぁ。まだ若いなぁ。
ねぇ、意外に若いですよね。なんかもっともっとお年かと思っていました。61歳だったら舞台でまだ充分踊れます。よしもう10年は唄えるぞ、ジュリー!

ちなみに「サウンド・オブ・ミュージック」の封切りが1965年ですから31年前。あの時ジュリーは30歳だったんですね! 30歳とは思わなかったなぁ……


ラストももちろんスタンディング・オベーション。
一体と化した観客が全員立ち上がって讃えます。となりの見知らぬ客と握手している人もいます。こんな一体感、出会ったことありますか?本当にとっても楽しい晩でした。
とにかく同じ空気が吸えてうれしいって感じの人、今やそうはいませんが、その中の一人に会えて嬉しかったなぁ。一言で言って光栄でした。


こんどは舞台でなくて個人的にお会いしてみたいなぁ。
なんとか方法はないものだろうか。


1996年12月記




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