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1950年代に作られたケーブルカー装置。かつては鉱山作業員たちを運んでいたが、今は地元住民の公共交通でもある。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)

ソ連時代の鉱山、時が止まったような街と人々の暮らし 21点

2017.06.09
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 山の中にあるマンガン採鉱場にたどり着くのには、35分ほどかかった。黒海沿岸の国ジョージア(グルジア)で活動する写真ジャーナリスト、ダロ・スラカウリ氏は防護用ヘルメットをかぶり、鉱山作業員とともに、長さ13キロの鉱山鉄道に乗り込んだ。彼らが従事しているのは、世界で最も光が当たらない仕事の1つだ。

 トンネルはところどころのカーブで急に狭くなるため、車両から身を乗り出すと危ない。途中で真っ暗になることもある。だがスラカウリ氏が最も閉口したのは、トンネル内の空気の悪さだった。重たく、じめじめして、圧迫感がある。「じっとしていれば慣れるよ」と、ベテランの作業員たちが慰めた。

坑道に入る鉱山鉄道の車両に乗り込んだ作業員たち。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
坑道に入る鉱山鉄道の車両に乗り込んだ作業員たち。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
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 鉱山があるのは、ジョージア中部のチアトゥラだ。カフカス山脈で最大のマンガン埋蔵量を誇る。ここがソビエト連邦の構成国だった時代、マンガン鉱の採掘事業は栄えた。1991年にソ連が崩壊すると、経済は急速に冷え込み、鉱業も大きな打撃を受けた。2016年の時点で、チアトゥラにある7つの鉱山と8つの採石場で働く作業員は3000人強しかいない。

 山々に点在する坑道と採鉱場に加えて、もう一つ存在感を放っているのが、さび付いたケーブルカー装置だ。「ロープ・ロード」とも呼ばれる旧式のケーブルカー網が、チアトゥラの深い峡谷を往来する。スターリン時代に建設され、作業員を乗せて崖を上り下りしてきた。今では、地元の人々や工場労働者、そして観光客も運んでいる。1954年の敷設以来、一度も改修されていない。

作業員のズラ氏は、チアトゥラの鉱石工場で18年働いている。スラカウリ氏によると、1日8時間働き、月給は200米ドル(約2万2000円)だという。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
作業員のズラ氏は、チアトゥラの鉱石工場で18年働いている。スラカウリ氏によると、1日8時間働き、月給は200米ドル(約2万2000円)だという。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
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 当初、この町の現実離れした雰囲気に引かれたスラカウリ氏だが、作業員たちが置かれている労働条件とその環境へすぐに関心は移った。(参考記事:「幼くして花嫁に、東欧ジョージアに残る児童婚の現実20点」

 作業員が受け取る賃金は、ジョージアの通貨で月に700ラリ(約3万2000円)ほどにすぎないとスラカウリ氏は話す。仕事中、負傷や死亡事故を防ぐ保護具はほとんど着けていない。労働組合は弱く、労働監督機関は往々にして腐敗している。ストライキを打っても、大した改善はなされない。

 作業員の多くは、山の斜面に建てた家に暮らしている。採掘を進めるため、坑道内で爆発物を使い、その衝撃波で家々の土台が損なわれていく。スラカウリ氏の写真にもある通り、壁は段ボールのパネルのように裂け、床も天井もぐらついている。「家族を養うため、自分たちが住む家の下を掘り、爆破するのです。マンガンを探して」とスラカウリ氏は話す。

作業員の家の多くは、地下の採鉱場で行われる爆破の衝撃波で傷んでいる。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
作業員の家の多くは、地下の採鉱場で行われる爆破の衝撃波で傷んでいる。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
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 女性も工場で働いており、マンガン鉱の洗浄や加工を担っている。街を見下ろす台地の高層建築は、共産主義時代のゴーストタウンに似ている。基本的な安全や衛生環境は顧みられず、熱や電気の供給も乏しい。水は室内に入り込んでくる。

 谷あいでは、街は汚れた粉塵にたびたび包まれる。開いた採掘抗から流れ出て、街まで降りてくるのだ。「通りを歩いていると、粉塵が目に見えることもあります」とスラカウリ氏。「晴れた日でも、辺りにマンガンの存在を感じることができます。街のいたる所にあるのですから」

 いま取り組んでいるプロジェクト「ブラック・ゴールド(黒い金)」で、スラカウリ氏の写真はこうした生活を余すところなくとらえている。もやに包まれた街の不気味さは、家々の崩れゆく壁や、さび付いた車両で身を寄せ合う作業員たちの薄暗い現実に重なる。いずれも、この地が放棄され関心も払われていないことを感じさせる。(参考記事:「荒野の地下都市の不思議な生活14点、オーストラリア」

鉱山作業員の娘が、さびたケーブルカーに乗って出かける。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
鉱山作業員の娘が、さびたケーブルカーに乗って出かける。(PHOTOGRAPH BY DARO SULAKAURI)
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 なかには楽しそうな瞬間もある。内気なティーンエイジャーの写真からは好奇心と希望が垣間見え、彼女の日常の足であるケーブルカーに乗り合わせたような気にさせられる。大きく開けた谷を背にコンクリート製の足場で遊ぶ姉妹の様子も目を引く。

 一連の写真は、物語的な作品となっている。それを構成するのは、スラカウリ氏の心を動かし、鉱山で働く人々や地元住民が置かれた状況を広く伝えようと決めるきっかけになったストーリーの数々だ。「鉱山の中に入り、彼らの働く様子を見ると、本当に心を動かされます」と彼女は言う。「この物語を伝えなければと強く感じます。まったく光が当たっていないのですから」(参考記事:「世界魂食紀行第35回  長寿大国グルジア、その秘訣は食にあり?」

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