ゲキ×シネ「蛮幽鬼」 〜復讐が、その男のすべてだった〜


 ――復讐が、その男のすべてだった――


 自分を貶め辱め足で蹴落とし踏みにじり侮蔑し嘲笑した人間に、報いを。
 憎いヤツを殺したいか、ひと思いに命を絶ってやりたいと願うならば、それは本当の憎悪ではない。殺して命を絶つなんて、してやるものか。この世から存在を消して楽になどしてやるものか。
 心の底から憎いヤツに、簡単に死なんて、与えてやるものか。
 自分が味わった以上の屈辱と悲しみと孤独と痛みを与えてやらないといけない。もし殺すとしても、ひと思いには殺さない。目の前でそいつらの家族を切り刻み、叫び声を聞かせて己が罪を悔いさせ思い知らせ、それでも出来るだけ生かして永い永い間苦しみを与え続け、悔いても悔いても拭えぬ罪を覆わせて、殺してくれと懇願しても生かせ続け、そして爪を一枚ずつ剥いでやろう。鋭利な刃物で目の玉をついてやろう。まるで地獄の賽の河原の石を積むように、痛みと苦しみを重ねてやろう、永遠と見紛うほどの時間をかけても。三途の川を揺るがすほどの高笑いを響かせて全身全霊かけて苦しめてやろう。
 自分を人ではなく鬼だとお前らは言うだろうか。それならば心に深く、深く刻んでおけ。

 鬼にしたのは、お前たち、だ。
 これはお前たちが、望んだことなのだよ。



 先日、いつもお世話になっている方の御好意により、劇団☆新感線のゲキ×シネ「蛮幽鬼」の試写会に行かせて頂きました。
 「ゲキ×シネ」とは何か。簡単に言うと映像で見る演劇です。詳しくはこちらのリンクをご覧ください。
 「復讐」をテーマにした時代活劇。出演は(以下敬称略)上川隆也稲森いずみ早乙女太一堺雅人、他。
 休憩を挟んだ三時間近い映画で、正直観るまては「途中で寝たらどうしよう」と思っていたのですが、もう、寝るどころか瞬きするのも勿体無い興奮と陶酔の時間でした。

 あらすじはこちら
 とにかく観た方がいい、損はしないとしか言いようがない。どこにもツッコミどころがない。最初から最後まで画面から目を離せない。
 数人で一緒に観ていたのですが、観終わって全員が感激して興奮状態覚めやらず、でした。これは観ないと人生、損をするとすら思った。私も公開されたら、絶対にもう一度、劇場に足を運ぼうと思っています。

 主人公・伊達土門(上川隆也)――これは、勿論、「巌窟王」のエドモン・ダンテスから来ている。裏切られ罪を着せられ十年間監獄島に捉えられ自分を陥れた者達への復讐を糧にして生きながらえ、さながら白髪鬼のように変わり果てた男は、サジ(堺雅人)という男の助けを借りて故国へ帰り復讐劇が始まった――。

 「映像」で捉えるからこそ見える、細かい俳優の表情。復讐に燃え憎悪の炎を全身に燈した上川隆也演じる土門の「顔」、張り付いた笑顔で遊戯のように人を殺しまくる狂気を漂わせた堺雅人演じるサジの「顔」、土門がかつて愛した女、美古都(稲森いずみ)への忠誠を誓い刃を鳴らす暗殺者一族の残党、刀衣(早乙女太一)の寒気が走るほど怜悧な美貌の「顔」。
 人間の顔をいうのは、これほどまでに「語る」のかと、改めて大画面にて痛感した。
 全ての役者、演出、脚本、舞台そのものが、本当に「神が宿っている」ようで戦慄を覚えた。
 「芸能」――芝居だけではなく、映画でも小説でも音楽でも――の神が祝福するのは、神にその身を捧げた者なのだと思った。
 その身を捧げた者だけが、神に祝福されるのだと――芸能の神に。
 人の心を震わす者を作り演じる人間は、そのように神に身を捧げ、それは同時に魔物に魂を売り渡しているのだと、そんなことを考えていた。

 映画を観ながら、ずっと「復讐」についての想いが怒涛のように押し寄せてきた。復讐といえば、愚かなことだという人もいるだろう。けれど、復讐心は、強く壮絶なエネルギーを燻らし、人を救い、生き永らえさせることもあるのだと、私は知っている。

 個人的なことを書くがこの十年近くの私のエネルギーは「復讐心」だった。復讐の相手は1人じゃない。人ですらないかもしれない。復讐心で生き永らえて這い上がってきた。殺そうなんてことは、今は思わない。ただ、自分を貶め侮蔑し嘲笑した人間達なんぞに負けたくはないと。それは、自分自身の人生に負けたくないということなのだ。
 呪っているし憎悪している。地獄に落ちてくれと願わずにいられない。そしてお前らの思うように貶められたままでいてやるものかと、もがいて這い上がってきたつもりだ、一度落ちた深く暗い地獄の穴から。死神に何度も囚われて足を引っ張られそうになったけれど、死んでたまるかと草を掴み泥を食ってきた。そのエネルギーは、「復讐」だった。人は愚かだというかもしれないが、私にとってはこれ以上に前向きなことはないのだ。死神に足を囚われず生き永らえるために。
 生きる為に、復讐し続けるしか、ない。

 けれど、この映画に中で伊達土門の心が揺らぐように――寂しく悲しいことであるのも知っている。復讐は、壮絶なエネルギーの源であると共に、同時に月と星が失われた闇のような孤独も齎す。

 だから、復讐劇は悲しい。けれど人は1人では生きていけぬことも、孤独だからこそ知らざるを得ない。衣を纏わぬ裸の心が、降り続ける雪に触れ、寒さと冷たさにひりひりと痛むように。人が、恋しい、と。


 
 「蛮幽鬼」10月2日より公開です。
 劇場情報などは公式サイトで→http://www.banyuki.com/