2013年5月31日金曜日

最高の自分を求めて、最高じゃなかった一日を攻撃するのはやめよう!

攻撃は快楽である。



人類は攻撃することで生き延びてきた。
攻撃して、危険を事前に排除し生きてきた。



僕等の体の中には、攻撃が染みついている。
攻撃の快楽が染みついている。



何かを攻撃している間は、悩みが消える。
何かを攻撃している間は、苦しみが薄れる。
だから僕等は攻撃する。




攻撃する相手を探して、
弱点を見つけて、
そこを攻める。




自分を守る為に戦う。
勝利を目指して戦う。
それは、まるで素晴しい事だ。




悪いものを攻撃して排除し、
良いものだけを生き残らせる。




攻撃する。
戦う。
勝利する。
排除する。
良いものだけが生き残る。
世界はどんどん良くなっていく。
僕等が息づくこの世界は、そうやって進歩してきた。




良くなりたい。
もっと良くなりたい。

自分の人生を良くしたい。
素晴しい人間になりたい。

そんな当たり前の小さな希望と、
人に染みついた攻撃性が出会うと、
ちょっとやっかいな事がおこる。




頑張って、頑張って。
努力して、努力して。
よりよい人生を手に入れようと、
毎日あくせく頑張る。
必死に頑張る。
賢明に頑張る。
それでも、君は言う。




「もっと頑張れたはず」って。




そして、責めるようになる。
攻撃するようになる。




他の誰かではなく、自らを責めるようになる。
誰かが悲しい思いをするのは、おまえの努力が足りないからだ。
何かが上手くいかないのは、おまえがもっと頑張らなかったからだ。





人は自らの事を、なんだって知っているというわけではない。
自分自身について、あまり知らずに生きてる。

それでも、怠慢についてだけは、誰よりもよく知っている。
自分が少しでも手を抜いたならば、あなたはそれにすぐ気付く。
僅か五分でもさぼろうものなら、あなたはそれを見逃さない。
人は自らの怠慢という狭い分野においてだけは、全知全能の生き物なのだ。




それは攻撃のきっかけになる。




もっと頑張れただろう。
もっとうまくやれただろう。
どうして努力を怠ったんだ。

そうやって、自らを責める。




「これは罵倒じゃないよ」
「これは攻撃じゃないよ」
「これは、期待の裏返しなんだ」
「君自身の為を思って、言ってるんだ」

そうやって、自らを攻撃する。







頑張っても、頑張っても、褒められる事はない。
まだ最高じゃない。
最高には届かない。
もっと良くして、もっと努力して、もっと頑張って。

最高の1分が最高の5分を作り、最高の5分が最高の1時間を作る。
最高の一時間が最高の一日を作り、最高の一日が最高の一ヶ月を作るんだ。




一秒たりとも歩みを止めてはならない。
最高の一瞬を、最高の努力で実現せねばならない。
来る一秒を、最高のモチベーションで迎え撃たねばならない。




そんな不可能に基づいて、手当たり次第に自分を攻撃する。




おまえは最高じゃない。
どうしてもっと頑張らなかったんだ。

おまえは一日を無駄にした。
おまは最低の人間だ。




そうやって、自分を責める。
攻撃する。

これは攻撃じゃないよ。
期待の裏返しなんだよ。
君のためを思って言ってるんだ。
あなたが明日一日、もっと頑張れるようにって思ってね。




そんな風にして、また責める。
来る日も来る日も、自らを責める。




目標の無い人生。
希望の無い人生。
手に入れたいものの無い人生。
幸せにしたい人の居ない人生。

この人生に一里塚はない。
この世界には何も無い。
到達すべき場所はない。




なのに責める。

「まだ達していない」
「まだ届いていない」

もっと頑張れ。
もっと歩け。
もっと進め。
もっと走れ。
努力しろ。




理不尽な攻撃に晒されて、
どんな努力も否定される。

最高の自分を求めるあなたに、
僕の一日は否定される。




自らを否定された僕等は心を閉ざし、
手当たり次第に自分をなじるんだ。
「もっと頑張れたはずだろ」って。