どうして本名を名乗らないの?

 コミティア96と第十二回文学フリマで頒布したパンフレットの内容を、ダイアリーでも公開します。
 なお、PDF版もありますのでお好みに応じてご利用ください。

 「ブログのコメント欄を閉鎖しました。私のブログの内容を匿名で中傷するコメントが昨日からたくさん来て気持ち悪いです。彼ら異常者は、私の批判が図星だから、匿名でコソコソとしか反論できないのでしょう。私はきちんと実名を名乗っているのですから、何か意見があるのなら実名で堂々と言いなさい。こうやって日本の若者が幼稚化していく様子を見るなんて、嘆かわしいものです。」
 ネットで時々見かけるセリフです。上のような内容とまでいかなくとも、「インターネットではみんな実名を名乗るべきだ。そうすれば、匿名性を利用した中傷が減ってネットは平和になる」と信じている人が一部にいます。しかしそれは正しいでしょうか?

「実名」の反対は「匿名」ではない

 本題に入る前に、言葉の意味をはっきりさせておきましょう。日本人であれば、ほとんどの人は日常生活で戸籍に登録された氏名を使っていると思います。これが「実名」です。
 しかし、「実名」の反対は「匿名」ではありません。名前を付けない「匿名」と違い、小説家や漫画家などの使う「ペンネーム」や、インターネットで使われる「ハンドル」は、一種の名前です。芸能人とか、舞妓さんに芸妓さん、最近ではメイド喫茶メイドさんも名乗る「芸名」、これも本名ではない名前です。これらを、「顕名(けんめい)」と呼ぶことがあります。仏教では死んだ人に「戒名」を付けることがありますが、これも実名ではない、死んだ人専用の名前です。

非実名の利点

 しかし、なぜあえて実名を名乗らないのでしょうか。一つは、「覚えにくい実名なので、覚えやすいペンネームや芸名を付ける」という事です。名前をまるっきり変えるだけでなく、名前をひらがなにしたり読みやすい漢字を宛てることがあり、場合によっては選挙活動でその名前を使う事さえあります。
 次に、「自分が活動する場にもっとふさわしい名前を付ける」事です。たとえば伝統芸能ではその伝統に沿った純和風の名前が好まれますし、お笑い芸人は芸名自体が言葉遊びになっている事もあります。
 そこまでいかなくとも、「文学界や芸能界やネットのような非実名で活動する場と、実名で活動する日常生活とのメリハリを付ける」助けになるのも、実名を名乗らない利点と言えます。

発言を重視?それとも肩書きを重視?

 また、「先入観で評価されない」、という事も非実名の利点です。大学教授や弁護士や医師や政治家など、自分の実名が世間に知られることで一目置かれたり仕事が増える人は良いでしょう。しかし、私を含め多くの人はそんなメリットをあまり感じません。場合によっては、実名が知れた事で年齢や性別や職業や経歴等の素性がわかってしまい、たとえば「どうせあいつは中卒だから」「在日だから」「無職だから」というレッテルを貼られて、ハナから「教養のない事しか書けない」とか「信用が置けない」という偏見で見られてしまう事もあります。
 しかし、ある発言が実名でなされたか否かと、その発言が信用に値するものかどうかは、別問題ではないでしょうか。第一、人によっては同姓同名の人もいますし、名前だけでは信用の裏付けにはなりません。せいぜい、「実名と他の情報から割り出した、本人の肩書きや社会経験」が信用のヒントとして加味される程度ですが、それも100%の信用は保証されていません。
 第一、「実名なら自分の発言に責任を持ち、しっかりとした対応ができる」かどうか自体、疑わしいものです。実際、実名でも根拠のないデマを流したり、誹謗中傷する人がいます。世間の評価の高い立場、たとえば大学教授とか政治家とかジャーナリストといった人でさえも、一部にそういう人がいますし、むしろもっとたちが悪い事すらあります。そのような人たちは、職場では自分の人気とか肩書きに物を言わせてトンデモ発言を権威付けたり味方を増やし、やろうと思えば反対意見も圧力をかけてつぶす事が比較的容易にできるかもしれません。そこまでいかなくても、誰かが反対意見を言おうものなら、本人が手を出さずとも取り巻きが「あなたは無知で教養のないくせによく偉そうに言えますね」なんて言うことでしょう。
 しかしネットはそんな従来の常識が通用しない場所です。自分は実名と肩書きを明かして意見を述べても、いつもの職場みたいに周囲はイエスマンばかりではありません。名前も肩書きもわからない人が、自分の意見にどんどん反対意見を言ってくる世界です。その反対意見が図星であればあるほど、自分の肩書きに泥を塗られているようで悔しくなるだろう事は、想像に難くありません。
 もちろん、実名とか社会的な肩書きは全く無意味というわけではありません。しかし、実名にこだわるあまりに、その権威を全面的に信用してしまうのも問題です。まずは発言の内容が第一。実名や肩書きは飽くまでも参考情報です。

「匿名の批判」という言い訳

 そもそも、「ネットで自分の主張が匿名で非難された」事を問題視している人も、実名を名乗って同じ反対意見を述べる人が登場したところで、その人の意見を聞くだけ聞いてみる、なんて様子もあまり見ません。結局、同じように門前払いする事が多いように思います。
 これは要するに、自分が反対意見を受け入れない事や、自分の発言の間違いを認められない事を、「匿名の批判」という言葉で「言い訳」しているだけではないでしょうか。言葉を換えるなら、「自分は実名で発言しているから正しくて、奴らは匿名だから間違っている」という印象操作です。
 しかし、仮に自分を非難する「気持ち悪い人」たちの口を封じられたところで、「やっぱり自分の主張は正しい」と考えるのは早とちりです。ネットで可視化されなくなっただけで、ネット外や心の中で主張が非難されてるだろう事には、きっと変わりないでしょう。

非実名は「みんなと違う意見」を言いやすい

 本当かどうかは知りませんが、日本人は「欧米と異なり、ネットで実名を名乗るのを嫌がる人が多い」と言う意見があります。もしそれが本当であるなら、それは「和を尊ぶ」日本文化ゆえの現象なのかもしれません。
 冒頭の発言にあった、「実名で反論する人がほとんどいない」事の最大の原因は、その行動が「出る杭」として「打たれて」しまう危険性が高いからです。それでも、反論相手やその取り巻きだけに名指しで「打たれる」ならまだマシです。ハンドルや、特に実名を名乗って行うと、なぜか味方からも名指しで「余計なことをしている」「売名行為」と叩かれやすいものです。
 一方、元々反論したかったが勇気がなかった人も、一旦「みんなが反論してる」「自分だけじゃなかったんだ」「実名を名乗らなくていいので敵からも味方からも叩かれにくく、安心だ」という雰囲気ができると、反論に加わりやすくなり、これがいわゆる「炎上」へとつながります。
 私は時々疑問に思います。「実名で反論する人がほとんどいない」事を嘆いているブログに限って、なぜか「反対意見がある事を理解してもらえる」どころか「門前払い」されてしまったり、「実名でも安心して違う意見を述べられる」雰囲気があるどころか「違う意見を言おうものなら何されるかわからない」と思わず過剰防衛してしまう雰囲気なのはどうしてでしょうか。
 もっとも、単なる「違う意見」「反対意見」の度を超えた誹謗中傷や下品な投稿まで受け入れろ、という意味ではありません。そのような投稿が歓迎されず排除されたとしても、投稿者の自業自得です。しかし、そうではない誠実な異論まで一緒くたに「中傷」扱いするのは、いかがなものでしょうか。
 私も、いわゆる「匿名の卑怯者」や「私の実名を勝手に名乗る卑怯者」に嫌な思いをさせられた事が何度かあります。一方「そんな時に、実名を明かさなくても自分の味方になって助けてくれた人」もいました。「彼らの間違いを指摘したら、どんな報復を受けるかわからない」と「触らぬ神にたたり無し」の人が多かった中、嫌がらせ対象にされるリスクを賭けた、むしろ非常に勇気ある行動でした。今でも感謝しています。

その「実名」は本物?

 さて、仮にインターネットでみんなが実名を名乗ることが義務付けられたとします。しかし、それが本当に守られるかどうかはかなり疑わしいです。
 法律ではなく単なるマナーであるうちは、守らない人が多いでしょう。それでも、単なる偽名であるだけならまだマシです。「嫌がらせのターゲットが正直に実名を名乗っていたので、嫌がらせする人も同じ名前を名乗って、誰かを中傷する内容をあちこちのブログのコメント欄に書き込んだり、偽者のブログを作成する」という手口は、今でも時々見かけますから、今後も無くなることはないでしょう。「正直に実名を名乗った人が損をして、他人の名前も勝手に名乗り放題」では、まるでザルです。
 実名という個人情報だけを盲信するのは危険です。同姓同名の他人と誤解したり、そもそも間違った素性を勝手に付けてしまう事すらあるからです。たとえば、ある芸能人は、本名と出身地を挙げて「殺人犯のくせにのうのうと芸能人としてテレビに出ている」とするデマが実際に広まった事がありました。実名との結び付きすら間違っている事があります。かつて私も、関係ない別人を「毒ガステロを行ったカルト宗教のメンバー」と決め付けるデマを発見して削除した事がありますが、その事を逆恨みされて、「こいつはそのカルト宗教のメンバーだから、事実を隠したがって削除しているんじゃないか」と、そのメンバーの一人の実名(私の実名ではない)と結びつけられて一緒に中傷された事があり、大変迷惑した経験があります。後に、その連中には、私の実名を勝手に名乗って特定の人を中傷する内容の悪質なブログを勝手に作られてしまった事もあります。

よくあるネットでの嫌がらせの手口

1.直接本人の掲示板やブログに不快なコメントが書かれる事で、自分に嫌がらせをする人が出た事に気付くとは限りません。嫌がらせ犯人は、本人の知り合いとか、全く関係ない人の掲示板やブログを使う事も結構あります。
2.嫌がらせ犯人は、匿名とか捨てハン(その場一回限りのハンドル)を名乗るとは限りません。本人とか本人の知り合いの使っているハンドルを勝手に名乗る事が多く、特に嫌がらせ対象の実名がわかると、面白がってその名前を名乗りたがります。「本人は実名を名乗らないが、偽者は実名を名乗るので区別できる」事があるくらいです。
3.嫌がらせ犯人は、嫌がらせ対象のハンドルや本名を勝手に使う割には、大抵、本物の真似がものすごく下手です。本物は「神の○○」「仏の○○」と周りに言われてるくらい、文面からやさしさの伝わってくる人のはずなのに、偽者はハレンチで汚らしくてふしだらな悪口で他人をしつこく中傷しているので、すぐばれてしまう、なんて事もあります。
4.嫌がらせ犯人は、あたかも嫌がらせ対象から被害を受けたように装って、「こういう嫌がらせをされているので、アカウントを削除してください」とか「個人情報を開示してください」とシステム管理者にタレ込む事があります。もっとも、それをまともに受けるシステム管理者はあまりいませんが。
5.「オンラインでROMって(ただ見てるだけで)、オフラインでコソコソする中傷」もあります。たとえば、相手の周囲の人間に誤解を招く噂をネットを使わず流し、「周囲を巻き込みたくない」気持ちを引き出して相手を黙らせる、という手口があります。たとえ「ネットで実名義務化」になったところで、ネット外には通用しないものです。
6.ひどい場合は出前を大量に注文する、自宅や会社に乗り込む、本人に危害を加えるという場合もあり、こうなると警察も動きやすくなりますが、警察が簡単に動けないギリギリの範囲の嫌がらせをされる事の方がむしろ多いです。

「正規の連絡先を通してください」

 自分がレストランや航空会社の社長になったところを想像してみてください。苦情受付先の電話番号として、「従業員が責任持って対応するために」という理由で、ウェイトレスやCAの個人の携帯番号を公開するでしょうか。教えたらどうなるか想像がつきそうなものですし、ほとんどの人はそうしないでしょう。
 読者の皆さんの中には、コンピュータソフトの開発会社に勤めている方もいらっしゃるでしょう。ソフトを納品した客先の会社で、「おたくの会社のサポートセンターの電話番号は9時から6時までしかやってないから、あなた個人の携帯番号を教えてよ」と言われたら、素直に教えるでしょうか、それとも「それはできない事になっています」と丁重にお断りするでしょうか。根負けして教えてしまったことで、他の客先に入っている時も、車の運転中や寝ている時でさえ昼夜構わず1時間、2時間もの長電話を頻繁にかけられてしまい、しかもサポート契約に含まれない、他社の納入した機械やソフトの事まで質問攻めに遭ってうんざりする、などという経験をした人は少なくないはずです。
 昭和40年代頃までは、ファンレターの受付先として、自宅の住所を雑誌等に公開していた芸能人や漫画家が大勢いましたが、今ではほとんどいません。代わりに、事務所や出版社を通して送ることになっているのが普通です。
 それと同じことで、ネットユーザが「実名や所属を公表しない」という選択をする事は、「公私の混同を避ける」も挙げられます。ネットという「公の場所」での問題は、原則として「公の場所」のための「正規の連絡先」でしか受け付けない、ということです。
 ネットは誰もが自由に見られる以上、本名が割れると、自分を知っている人のタレコミ等から住所や所属が割れる可能性もあります。その場合、自分のメールアドレスではなく「自分の住所」や「自分の学校や勤務先」や「自分の身近な人」を「クレーム用ホットライン」にされてしまう事も考えられます。実際にそうしないまでも、「あなたが言う事を聞かないので、あなたの身近な人に相談することになったら、どうなるでしょうね」と脅して牽制する、なんてパターンもあります。ですから、教える義務のない人の「明かさないのは卑怯だから実名教えろ」に簡単に応じる前に、「本当に必要なのか、それとも相手は自分の弱みを握ろうとしているだけなのか」をよく考えましょう。
 このように、「どうせ仲間内しか見ていない」「常識ある人間ならまさかこういう行動は起こさないはず」が簡単に「想定外」になるのがネットトラブル。インターネットは誰もが見る事ができます。迷惑行為とか犯罪を犯しても失うもののない、頭のおかしい人も同じネットを見ている事を忘れてはなりません。私の経験上、特に「精神的におかしい人の思い込み」と「迷惑行為を注意した事の逆恨み」はかなりしつこくエスカレートする事があるので要注意です。

知る権利のある人だけ知ればよい

 そもそも「実名」は「個人情報」である事を忘れてはなりません。職業上、実名を公開しなくてはならない人もいますし、実名を公開するリスクよりメリットの方が大きいので公開を決めた人も多いでしょう。それは各人が天秤にかけて決定すべき事ですし、必ずリスク対策も必要です。
 しかし、「全員に公開するか、全く公開しないか」の二択にとらわれないでください。「必要な人や信頼できる人にだけ公開する」という選択肢もあるのです。
 自動車のナンバープレートに所有者の実名と住所と電話番号まで記載すれば、ひき逃げや犯罪が防止できるでしょうか。むしろ、その個人情報を悪用した犯罪がもっと増えるだろう事は容易に想像できます。それに、ひき逃げや犯罪の被害者も、ナンバーさえあれば十分です。
 同じ事で、実名は、(警察やプロバイダや掲示板・ブログ等のサービス提供者や、オークションの取引相手等どうしても必要な人のような)「知る権利」のある人が知っていれば十分です。不特定多数に公開する義務はありません。事実に反する中傷を広める人やストーカーや変質者のような「知る権利」のない人にまで公開するのは、それなりのリスクが付いて回るので、特に女性や子供にはおすすめできません。リスクをゼロとはいかずとも、減らすのは大切です。

非実名の問題点?

 もちろん、「ネットでは皆が実名を公開すべき」と主張する人も、単なる思い付きでそう言っているわけではありません。非実名、特に匿名のユーザに侮辱や中傷を受けた事がきっかけという人もいます。
 しかし実際には、「実名を公開するか否か」ではなくて別のところに問題があるのではないでしょうか。「実名か非実名かにかかわらず、とにかく侮辱や中傷を書き込む人がいる」事と、「サイト管理者に連絡しても、その内容がなかなか削除されない事が多い」事です。特に後者はサイト管理者に無視された場合、警察と相談したり弁護士を立てて裁判を起こすなどの時間と費用がかかるため現状かなり敷居が高く、泣き寝入りしている人も多いように感じます。相手がわからない事をもどかしく感じたり、サイトを管理している企業相手よりは個人相手だともっと勝ち目があるのにという計算もあるかもしれません。
 今後、ネット上のトラブルを解決する専門機関ができる等、その敷居が低くなる事はあるでしょうか。もしそうなった時、トラブルは本当に減るでしょうか、それともまた新たな問題が出てくるでしょうか。その答えはまだわかりませんが、少なくとも、「ネットで皆が実名を公開する」事で丸く収まる話ではない事だけは確かです。