「国家社会主義」はなぜ支持されたのか

ナチスの「25カ条綱領」は日本人必読では
http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program
■右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である
http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right

 まああらゆるレベルで間違っていると言えてしまうのですが、キリが無いので少しだけ。
 
誰がナチスを支持したのか?
 ワイマール共和国において、ナチスは政権を取るまで一度も過半数議席を獲得したことが無い、というのはよく知られているとおりです。1933年の選挙でナチスは288議席を獲得しましたが、それでも全体の4割程度を獲得したにすぎませんでした。退潮傾向にあったとはいえ社会民主党は120議席と3ケタを維持し、共産党も前回から票を減らしたとはいえ81議席を獲得しました。また、カトリック政党である中央党も支持基盤の磐石さにより74議席を獲得しています。
 ナチスへはどこから票が流れたのか?失業者や労働者?確かにそのような階層からの支持もありました。しかし一方で、労働者や失業者には社会民主党*1共産党という受け皿があり、実際に合わせて200議席超というナチスの約70%に匹敵する票を集めているわけです。ナチス躍進はその社会主義政策が国民に受けたからというわけでは必ずしもない。
 ではナチス支持に転化した層というのはどのような層なのでしょうか?1919年の選挙と1933年の選挙を比べてまず指摘できるのは、右派左派問わずリベラル政党の退潮です。主に都市の教養市民・ホワイトカラー層に支持されていた民主党と、主に新興の企業家・ブルジョワ層に支持されていた人民党は、相対的安定期においてはともに一貫して政権を担ってきた政党にも関らず、1933年では両方合わせて1けたというミニ政党に転落しています。また、伝統的な右翼政党である国家人民党も、52議席を獲得しましたが一時期の隆盛から比べると明らかに退潮傾向にありました。ナチスは、左翼の票というよりもこうした右翼・中道の支持層を取り込んで肥大化していったのです。ナチスの特徴とは、どのような階層かに関らず幅広く票を集める、いわばワイマール期唯一の民政党であったことなのです。1920年代における社会の急速な大衆化、そして1929年の大恐慌。その中で従来の政党では回収できなくなった人びとを、ナチスは吸収していったのです。
 
ナチスの「国家社会主義」とはどのような思想か?
 この流れにおいて、「国家社会主義*2という政治姿勢は決定的に重要だったといえます。では、ナチスの「国家社会主義」とはどのようなものだったのでしょうか?元記事のように「国家主義」と「社会主義」をわけて、さらにそれを後で合体させてみせるようなポリティカルコンパス脳ではそれを正しく捉えることはできません。はじめから国家社会主義」であることがそもそも重要なのです。ドイツ史のえらい先生が、とある学会の飲み会の席で言っていました。「NationalsozialismusのNationalってのはナチスの場合Volkと同義であって、sozialismusってのはむしろKorporatismusと同義なんだよ。国家社会主義って訳語が一人歩きしてみんな勘違いしてるのは困ったもんだ。××大学の○○先生なんか…(以下愚痴)」。つまり、ナチスの「国家社会主義」とはすなわち「民族共同体主義」であって、民族一丸となって強力な共同体を築いていこうとするもの。その中で社会主義的な政策が手段として用いられることはあっても、けして根底に社会主義的な理念(少なくともマルクス主義的なそれ。国際主義とか階級闘争とか。)があるわけではないのです*3
 同時にこれは、ドイツにおける資本主義の伝統に即したものでもありました。ドイツは資本主義形成が英仏に比べ遅れたということもあって、国家主導の資本主義化が行われました。国家が労使を仲介し、国家、資本家、労働者が一体となった経済をつくりあげていったのです。このようなあり方は独占金融資本の成立とともに帝国主義へと進んで行きますが、一方で、たとえば労働者の経営参画など、現代ドイツの福祉国家の特徴である社会市場経済にも引き継がれる伝統でもあります。このような共同体主義(コーポラティズム)的な資本主義の伝統があったからゆえに、資本家やお金持ちも、安心してナチスを支持できたのでした。「国家社会主義」とは現状における社会格差を引っくり返そうとするものではないからです。
 実際、ナチスがやったことは簡単にいえば次のようなものでした。国家は自国企業が儲けるためならば、戦争も含めてあらゆることをやる。国家は労働者の生活をある程度保証させ、また社会インフラをととのえるが*4、その代わりストライキなど企業活動を阻害する行為は弾圧し、労働者を企業のため、ひいては国家のための労働にまい進させる。これは、労働者を保護し、社会インフラを整えること以外はむしろネオリベ政策に近いのではないでしょうか。かつては保護政策が自国企業を儲けさせるために合理的でしたが、今では自由放任のほうが合理的になっているだけで。
 
「ワルモノ」はどこにいたのか?
 このような「国家社会主義」は政権獲得以前は国民の40%に支持され、さらに政権獲得後は雪崩を打ったようにナチス支持が広がりました。ナチスの排外主義政策・軍国主義政策についてはもちろん当時から知られており、眉を潜める人もたくさんいました。
 にも関らずナチズムが選択されたのは、「国家社会主義」という政策が、少なくとも「ドイツ国民」*5にとって利益を約束していたからに他なりません。ユダヤ人への迫害について道徳的な後ろめたさを持ちながらも、ナチスに対してけして反抗しなかったドイツ人が多かったのは、弾圧の厳しさのみならず、彼らがそれによる利益享受者であったことも大きかったでしょう。もちろん、彼らを単純に非難することはできません。全体主義政権下で個人が批判の声をあげるのは、実際問題として難しいことです。
 ただし、社会的立場の高い個人や企業は別です。じっさい、ナチスを支持した大学関係者たちの多くは教職を追われ、強制収容所や捕虜収容所の強制労働によって利益を得ていた企業は個人補償を行っています。いかに個人の自由が保障されない体制だからといって、われわれには自由があるからです。その自由がある限り、ある社会的抑圧に対してはわれわれ全員が「ワルモノ」であることから逃れられないのです。かといって、「善」*6を訴えることをあきらめたり、「善」の相対性という考え方に逃げ込むことはできません。イギリス・フランス流の「人権」概念という「善」が、ドイツの「善」とは合わないとしてしりぞけたのがほかならぬナチズムだからです。自分自身も「ワルモノ」であることは自覚するとしても、「善」を追及することをやめるのならば、それでどうやってシステムや構造をより良いものに変えることができるのでしょうか?
参考

ワイマール共和国の崩壊

ワイマール共和国の崩壊

ワイマル共和国―古典的近代の危機

ワイマル共和国―古典的近代の危機

ナチス・ドイツ―ある近代の社会史

ナチス・ドイツ―ある近代の社会史

*1:1925年のハイデルベルグ綱領では、まだ社民党マルクス主義に基づく階級政党と自らを位置づけていました。

*2:近ごろでは「国民社会主義」とよぶことが多いと思いますが。

*3:もちろんマルクス主義的な傾向を持った党員も少なからずいましたが、多くの人が指摘しているように1934年に大体粛清されています。

*4:ナチスは労働者や青年といったあらゆる国民の組織化に熱心でした。それは日々の健康管理からバカンスの過ごし方まで徹底したものであって、皮肉っぽくいえば「福祉国家」ですが、それはまさに「生権力」がむき出しになった「福祉国家」でした。

*5:注意しておかなければいけないのは、実際は「ユダヤ人」の多くも「ドイツ国民」であったことです。ナチスはそこで「例外」をつくりだすことによって、ユダヤ人、ロマ、障害者や病人などを、排除していったのです。

*6:元記事では善と正義の区別がごっちゃになっているので、とりあえずカッコをつけておきます。