神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

上海日本近代科学図書館の松井松次

水島治男『改造社の時代 戦中編』に、上海日本近代科学図書館の松井松次が出てきた。『改造』昭和12年10月号に「上海籠城日記」を書いた大和太郎という人物について、

戦争は長引くという。そこで上海在留邦人の生命をまもるため、軍務に関係のない非戦闘員は一時内地へ引きあげて、様子をみるようにとの通達があって、婦女子を中心として身よりをたよって東京へきたり、帰るため都合のいい長崎や神戸へ一時引きあげてきた人びとがあった。
「上海籠城日記」の大和太郎(ペンネーム)はその一人で、本名は松井松次という。上海近代(ママ)日本科学図書館勤務である。彼は東京についたその足で改造社をたずねてきて初対面だったが、私が面接すると上海市街戦の実況を話してくれたので、すぐとびついて原稿をたのんだ。
(略)
松井松次(前出)が上海近代(ママ)日本科学図書館をやめて、東京へかえってきたとき、東亜公論社がはじまったばかりなので、一時籍をおいてもらったが、半年ばかりして、どうもわが社の先行きの見込みが面白くなさそうなので、もういっぺん上海に行って働いてはどうか、そのうち僕も出かけるかもしれないからといって送り出した。松井君は今度は上海領事館に入り、中支の日本領事館警察を統轄していた島田叡副領事の下で上海在留邦人の文化関係の仕事をしていた。

とある。

この松井の経歴は、『第三版満洲紳士録』(昭和15年12月)によると、

松井松次 上海青年会事務局長
[出生]明治四一・一長野県小諸町
[本籍]同上
[続柄]希佐次男
[学歴]昭六東京高師英語科卒
[経歴]昭和十一年十一月上海日本近代科学図書館創立の為渡支後同館研究部主任たり
十四年六月東京市東亜公論社創立に参画
十五年四月現職に就く
[特記]著書「我ガ(ママ)闘争」*1翻訳其他論文随筆多数
[住所]上海崑山路共和里OA八号

松井は日本図書館協会の会員ではなかったようだが、会員だった同図書館の鈴木賢祐は『図書館雑誌昭和12年10月号の「彙報」欄によると、「神田区神保町二ノ二〇東亜学校内上海日本近代図書館」へ転居とされている。上崎孝之助、宮原正己、眞田茂についても同じとされている。

ググると、松井は昭和56年没。戦後は、館界とは関係していないようだ。

(参考)『昭和21年度版最新出版社・執筆者一覧』によると、松井は東方書局(代表・林廣吉)の主要事務責任者である。また、前掲紳士録によると、上崎は、

上崎孝之助 上海日本近代科学図書館長
[出生]明二九・二熊本県植木町
[学歴]大一一*2早大商科卒
[経歴]爾来東京朝日新聞社経済部に勤務、昭和十一年現職に就く

*1:周仏海著・松井松次訳『我が闘争』(東亜公論社、昭和15年

*2:早稲田大学校友会会員名簿によると、大正9年が正しい。