ソーシャルゲームと従来型ゲームは何が違うのか

 このところ、ソーシャルゲームとはなんなのか、ソーシャルゲームはこれからどうなっていくのかといった記事が相次いで話題になっています。どれもなかなか興味深くはあるのですが、一読して「あれ?これって別にソーシャルゲームに限らないんじゃ?」という感想を抱いた人も多いんじゃないかと思います。「射幸心」「承認欲求「自己達成感」…言われてみればどれもなんとなく納得してしまいそうですが、だからといって「それ」がヒットしている最大の要因だと言われると首を捻ってしまいますよね。実際、これらはゲームそのものがもともと持っている面白さの一要素であって、ソーシャルゲームが特別何か新しいアプローチをしているわけでもないんです。

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 では一体今ソーシャルゲームと呼ばれているものは従来イメージされてきたゲームと何か決定的な違いがあるのでしょうか?ここであえて断言してしまいますが、「ゲーム」という切り口で見る限り、ソーシャルゲームと従来型ゲームに本質的な違いは何もありません。従来型のゲームで培われたセオリーはソーシャルゲームでも通用するし、今稼動しているサービスの多くは、ゲームの歴史をなぞるように次々と新しい仕掛けを用意してユーザーを楽しませています。

 その一方で、今ソーシャルゲームと呼ばれているゲームの一群は、やはり従来イメージされてきたゲームと一線を画す部分もあります。それは「時間」の扱い。ブームの源流となった海外製の3タイトル「Travian」「MafiaWars」「FarmVille」から脈々と受け継がれ、今なお変わることのない唯一にして最大の特徴。それは「プレイヤーのプレイ時間に制限をかける」というルールを導入していることなんです。

 少しでも遊んだことのある人なら誰でも知っているかとは思うのですが、ソーシャルゲームと呼ばれるタイトルのほとんどは、ほんの数分プレイしただけで「待ち時間」が発生します。行動力の回復時間、作物の育つ時間、建築物の建造時間、あるいは必要なゲーム内資源が貯まる時間。ちょっとプレイするとすぐ「待て」がかかる。これが従来型のゲームに慣れた人からするとストレス要因に感じてしまう。それをマネタイズの側面から見ると、まるでプレイヤーにストレスを与えてそれを換金しているかのような印象を持ってしまう。実はここに大きな誤解がある。「待ち時間の解消」によるマネタイズはあくまで結果から生じた副産物であって、「待ち時間」を作ることこそがソーシャルゲームの最大の発明であり、本質的な魅力なんです。

ソーシャルゲームの「待ち時間」

 「待ち時間を作る」というのはどういうことなのか。それはゲームをしていない間もゲーム内の時間が流れているということ。ゲーム画面とにらめっこしていない間にも作物が実り、行動力が回復し、資源が貯まってまっていく。従来型ゲームというのは基本的にプレイヤーがモニターの前でコントローラーを握っている間だけがゲームで、コントローラーから手を離せば時間は止まるし、ゲーム内のリソースもゲーム内でのプレイからでしか手に入らない。ゲームをしている時間とゲームをしていない時間の線引きが明確にある。それはオンラインゲームでも同じで、プレイしていない間他のプレイヤーの時間は進んでも、プレイしていない自分の時間は基本的に進まない。

 一方ソーシャルゲームは「ゲームをプレイしている時間」と「プレイしていない時間」の線引きが明確ではない。30分たったらあれをやって、3時間たったらこれが出来る。もう何日かして資源が溜まったらあれをしよう。そんなふうにゲームをしていない時間も平行してゲームが進行していって、日常生活の中にゲームが溶けこんでいく。これがソーシャルゲームが「ソーシャル」と呼ばれるそもそもの所以なんです。ソーシャルゲームが携帯電話を中心に拡がっていったのも、それが多くの人が24時間肌身離さずに持ち歩いているデバイスゆえ、なんですね。

 ここまで読んできて「ちょっと待て、従来型ゲームにだって時間進行するものはあるじゃないか?」と思った人は鋭いです。コンシュマーゲームで言えば「シーマン」「ラブプラス」「どうぶつの森」あたりが代表的ですね。前世紀に一世を風靡した「たまごっち」なんてのもあります。そこまで本格的でなくても、たとえばポケモンたまご育て屋さん木の実のように、時間経過で結果の出る要素というのは昨今珍しくはありません。私はこれらのタイトル群も「ソーシャルゲーム」のくくりに入れてしまって良いと考えています。というよりも、今のソーシャルゲームブームそのものが、この10数年野心的なタイトルが挑戦してきた、生活空間にゲームを紛れ込ませるという挑戦の上に成り立っているとすら考えています。

「やらなくてもいいゲームはないか」

 今を遡ること10数年前、ファミ通に掲載された吉田戦車の4コマ漫画のこんなセリフが話題になったことがありました。当時はまだプレイステーションすら発売されていない時代。その頃からすでに重厚長大化するゲームに「飽き」を感じる人が出て来はじめていたんですね。そのセリフがずっと耳から離れず、20世紀も終わる頃になって、これからゲームが進むべき方向は、まさにその地点なのではないかという思いを強くしていました。実際に先に上げた「シーマン」や「どこでもいっしょ」といった、「やらなくてもいい」を目指したタイトル群がその当時から目立つようになったようにも思います。任天堂DSやWiiも、まさにその方向に向いて新しいファン層を獲得して行っているなあと思ったり。そして一昨年に初めてソーシャルゲームと呼ばれるタイトル群に触れ、まさにこれだ!これこそがずっと追い求めていた「やらなくてもいいゲーム」そのものだ!と強く感銘を受けそれ以来ずっと飽くことなくソーシャルゲームをプレイし続けています。

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 ソーシャルゲームに対して「時間をお金で買うこと」に対する強い反感、というものが根強くあります。努力をないがしろにされることに対する言い知れない不快感と言ったものでしょうか。しかし例えば長大なRPGをプレイしていて「あーお金払ってでもいいから誰かこのレベル上げ代わりにやってくれないかなー」などと思ったことのある人は少なくないでしょう。これはまさに吉田戦車の4コマで描かれていたシチュエーションなのですが、ソーシャルゲームのマネタイズはこれを実際に形にしたものなんですね。

 これもまた根強い誤解のひとつなのですが、ソーシャルゲームのヘビープレイヤーは何も騙されて、あるいはサンクコスト効果で後に引けなくなって大金をつぎ込んでいるわけではありません。私自身それなりに実際にお金も使いましたが、お金を注ぎ込んだゲームであっても既に飽きてしまって今は触れていないタイトルも少なくありません。その中にはサービスを既に終えているものもあります。だからと言って後悔とか喪失感とかがあるかといえば、そんなわけはないわけで。もっと言ってしまえば、例えば全盛期に数十万円という単位で注ぎ込んだ格ゲーや、あるいはマジックザギャザリングのようなカードゲーム、更に遡って子供の頃に夢中になったファミコンタイトルたち…これらは今も遊べるかといえばほとんど遊ぶ可能性はないですし、実際手元には何も残っていない。だからと言って後悔なんて微塵も無いですよね。ただ、あの頃は楽しんだなあというほんわかとした思い出だけが残っている。

 ソーシャルゲームのプレイヤーも基本的には何も変わりません。ただ、今この瞬間を楽しむためにお金を投資している。それでその瞬間楽しめればそれが勝利だし、楽しめなかったら、あくまでその時に選択を失敗したというだけで、それが本質的に楽しいものであるという事実は揺らがないんです。

ソーシャルゲームの「中」で何が起こっているのか

 もう少し具体的な話もしましょう。ソーシャルゲームの「中」で、一体誰がお金を支払っているのか、という事です。先程も言ったとおり、ソーシャルゲームにお金を注ぎ込んでいる人の殆どは、それを納得した上でお金を使っています。ではその納得はどこから生まれるのか。これを言うと意外に思われるかもしれません。しかしヘビープレイヤーのほとんどは「ゲームに習熟すること」によってお金を払う事への納得を得ているんですね。

 これを理解するには歴史を紐解く必要があります。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのモバゲーとGREEですが、ほんの3年前までは、この2つをゲームサービスだと思う人は誰もいなかった事を思い出してください。この当時、携帯向けのソーシャルゲームが収益の柱になっていくと考える人は誰もいなかったでしょう。実際の所、最初期のモバゲー、GREEのゲームというのはあくまでコミュニケーションの肴程度の扱いで、2社の売上の中心はマイページに掲示するアバターを着飾るアイテムだったんですね。
 その状況を一変させたお化けタイトルが「怪盗ロワイヤル」なのですが、この怪盗ロワイヤルにしても、何も当初から売上を期待され、注目されていたわけではなく、気がついたら莫大な利益を上げていて、突然降って湧いた金の鉱脈にドッと人が押し寄せて後付で色々な理由が付けられ、また同時にこれが「原理的にすごく儲かる仕組み」であることに改めて気付いたからこそ、強気のCM攻勢と事業拡大を図って今に至っている、と私は理解しています。

 ここで重要なのは「気がついたらいつの間にか莫大な利益を上げていた」という点です。何も最初から狙ってヒットさせたわけでもない。開発費も決して高いわけでもなく、あくまで大半が無料プレイヤーであることが前提であったのに、気がつけばゲームに習熟した一部のユーザーが猛烈な勢いでお金を注ぎ込んでいたんです。これはゲーム史の黎明期インベーダーブームの時にも起こったことだし、あるいはストリートファイターIIに端を発する格ゲーブームで起こったことでもある。とにかく、なんだかよく分からないけれども猛烈な勢いでハマっている人たちがいる。この人達は誰かに教えられたわけでもなく、巧妙に仕掛けられた罠にはまったわけでもなく、ただゲームを面白がって、その上でお金を注ぎ込めばゲームが更に面白くなることを理解して、そこにお金を注ぎ込んでるんです。

 ソーシャルゲームに懐疑的な人の中には「知りもしないで批判するわけにもいかないので一応自分でも遊んで見てお金も使ったけどやっぱり面白くなかったよ」と言う人も少なくないのではないかと思います。しかし例えばゲームセンターに行って、ゲームのルールをろくに理解しないまま、ただ漫然と100円なり1000円なりを投入しても、それで何かを得られるほどゲームというのは簡単ではありません。それは、ソーシャルゲームと言えどもまったく違いはない。あくまでゲームを理解してやるぞという姿勢を持って、その上で創意工夫し自分なりの解法を見出してこそ、ゲームというのは輝くんです。

 「基本無料」のソーシャルゲームというのは、その試行錯誤の過程をタダで試させてくれるゲームなんだと考えないといけない。そうやって試行錯誤した上で納得してコスト…それはお金であったり時間であったり人脈であったりするわけですが…を支払う。ソーシャルゲーム重課金プレイヤーというのはそうやって成り立っているんです。

ドラコレの「今」から見えるもの

 最後に「ドラゴンコレクション」というタイトルの今について話しておきましょう。1年以上に渡りGREEのランキングトップに君臨し数々の傍流を生み出し、誰しも名前は聞いたことはあるし、実際にやってみたという人も多いとは思いますが、もし休眠状態のキャラがいたら是非一度ログインしてみてください。呆れ返るほどの大量の…その中には強力なレアカードを引けるレアガチャカードも多数含む…大量のアイテムがプレゼントで送られてビックリするんじゃないかと思います。去年の秋口に話題になった記事でもドラゴンコレクションがあまり強力にアイテム販売を押し出してないという話がありましたが、もはやその時の比ではないくらいの大盤振る舞いぶりです。そして、これが売上が落ちてきて、少しでも客足をつなぎ止めるための撤退戦であるなら話は簡単なのですが、現実には未だにドラゴンコレクションはずっとランキング1位をキープして莫大な利益を上げている。

コナミが古い常識を破壊しちゃったおかげでどれだけマネタイズを隠すか、というのがトレンドになりつつある

 これが何を意味しているかというと、ドラゴンコレクションの売上の中心となっているユーザー層は、既に強力なカードを集めるという段階は終えていて、その先のリソース管理やライバルとの駆け引きにこそコストを投入しているんです。レアカードやゲーム内資金の大盤振る舞いは、ユーザーが「そこ」へ辿り着くまでの道を整備してショートカット出来るようにしていると言ってもいい。具体的にはこれらのユーザーは逐次開催されているイベントでの入賞というのを目標にしているんです。特にドラゴンコレクションの場合は仮にイベント上位入賞しても実はそれほど特別なアイテムが手に入るわけではなかったりします。手に入るのはあくまでゲーム内コミュニティでの名誉くらいと言っていい。ほとんど自己満足の世界ですが、ゲームというのは元々そういうものです。その上で、この順位帯ならだいたい1イベントで3000円、より上位を目指すなら5000円、1万円みたいな感じでおおよその相場観というのが形成されている。その順位にいる人はだいたいそれくらい注ぎ込んでるんだな、というのが目に見えてわかるので、馬鹿みたいに一人だけ突出してアイテムを大量消費したりはしない。自分の懐具合と相談しながら、もうちょっと上を目指してみるかな?とか今回はちょっと諦めるかな?、とか考えながら、上手く行ったり行かなかったりという浮き沈みそのものを楽しんでるんですね。
 ここまで来ると、はっきり言って理路としては従来型のゲームとなんら変わることがない。そこに「お金」というファクターが自然に組み込まれていることに違和感を覚える人もやはりいるとは思いますが、これは、実際のプレイ感覚で言えば「参加料」なんです。ある順位帯にエントリーするにはだいたいこれくらいの金額が必要。その上で、上手く立ち回れば想定の順位より上にもいけるし、下手を打てば下回ってしまう。それを読んだ上でBETする、というのがイメージとしては近い。それはモバゲーやGREEが基本的に、まずは仮想通貨を前払いで買ってから、その後にゲーム内アイテムを買うという手順を踏むことからも自然と身につく感覚でもあります。コインを3000円買ったら3000円分使う、5000円買ったら5000円使う。そういうスタイルの人がほとんどで必要に応じて逐次買うという人は少ないんじゃないかというのが個人的な印象です。

 以上、長々と語ってしまいました。今まではどうしても既存のゲーマーと接点が薄いためこういった話をしても納得は得られないかな、と思っていたのですが、昨年末から今年にかけてアイドルマスターファイナルファンタジーといった既存のゲーマーとの接点の高いタイトルが投入されたこともあり、書くなら今かな?とつらつらと書いて見ました。異論や反論、それでも納得のいかない事もあるかとは思いますが、20数年来ゲーマーをやってきて、ここ数年ソーシャルゲームにドップリとハマった人間のひとつのものの見方として受け止めていただければ幸いです。

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