未来のいつか/hyoshiokの日記

hyoshiokの日々思うことをあれやこれや

新卒で入った会社の同期会に出た。

わたしは、1984年に日本デジタルイクイップメント研究開発センターという会社に大学院を修了して新卒として入社した。日本ディジタルイクイップメント研究開発センターというのは米国のコンピュータベンダーDigital Eiquipment Corporation(これよりDECと記す)のEngineering部門の子会社で、当時日本には別法人で日本ディジタルイクイップメント株式会社という販売サービス子会社というのもあった。後に二つの日本法人は合併する。

これはIT産業の歴史の話なので若い人にはなじみがないことだと思うので、ちょっと詳しく書くと、当時、IT業界というのはIBMがその覇権を握っていて、日本のハードウェアベンダーがそのIBMにキャッチアップするために熾烈な戦いを挑んでいた。世界的にみると、IBMの後を、DEC、日本のハードウェアベンダー、富士通、日立、NEC東芝、三菱、沖電気などが競争をしていた。

その二番手グループのなかで最も元気がよかったのがDECで、IBMをキャッチアップすべく、VAXというハードウェア、VMSというOSそしてDECnetというネットワークアーキテクチャーで快進撃を続けていた。

80年代というのは、まだ、Sunが出来たばかりで、MicrosoftMSDOSやBASICを出したのだけどビジネスで使えるようなものだとは思われていなかった。IBM-PCが出て来たのも1980年代である。

歴史は残酷で、その後の物語の結末を我々はよく知っている。DECはPCやUnixの流れに乗れず、1998年にPCベンダーのCompaqに買収され、Compaqは後にHPに買収される。

新卒で入った会社が消滅するという経験を持つ人は、少なくとも日本という地域ではそれほど多くはないように思うが、そのような貴重な経験をした一人である。

前置きが長い。その消滅した会社の日本子会社に新卒で入った同期が先日集まったのである。同期会。

販売会社と開発の子会社は別組織だったのだけど、新卒研修は一緒にやって、200人近い同期がいた。

当時、DECはエクセレントカンパニーなどと呼ばれていて、社是はHonestyであった。Ken OlsenというMIT出身のエンジニアが1959年に設立し、コンピュータは身近な道具であるべきだというビジョンのもと、PDPやVAXというベストセラーミニコンを売りまくっていた。

UnixPDP-7というDECのミニコンで開発され、PDP-11およびVAXに移植され、それらのコンピュータはUnix環境を動かすデファクトスタンダードアーキテクチャであった。

ニコンというのはIBMに代表されるメインフレームに比べて、安くて使いやすいミニコンピュータということであった。

大学の研究室のデファクトのコンピュータだった。

さて、その米国DECの子会社に新卒で入った同期の連中の話だ。

勢いのある会社が選ばれる

会社がなくなっているので、全員転職経験者である。

1990年代には、多くの友人が、様々な会社に転職した。今回集まったのは営業が多かった。90年代はMicrosoftOracleAppleなどのベンダー、その後、独立して会社を立ち上げた人もいるし、最近ではSalesforceCISCOなどいろいろな会社に散っている。

会社(仕事)を選ぶとき、それが新卒のときでも、中途のときでも、それなりに相当真剣に悩んだり考えたり調べたりして決めると思う。学生時代の就職活動の評価尺度と社会に出てそれなりに経験を積んだ時の評価尺度が違っているというのは、当然と言えば当然である。

就活本みたいなものにはどうやって志望をしぼるかみたいなことが書いてあるのだろうか。

それはともかく、会社がリストラをするとか、会社の業績が悪くなって将来が暗いという段階になって、いよいよ尻に火がついて次の会社を探すとき、どんな会社を選ぶかというと、成長している会社を選ぶと思う。それが同業他社(競合)になるのか、どうかは別として。間違っても大赤字の会社に転職する人はいないと思う。そもそも大赤字の会社が求人しているとは到底考えられないけど。

成長が鈍化した会社にも多分転職しないと思う。

ある程度、業界にいれば、世間的な知名度とは別に業界での評判というのも耳に入ってくるから、自分のやりたいこと、出来ることなど希望やスキルとのマッチング、擦り合わせもある程度できると思う。

若ければ安定性を求めて公務員を選ぶ人もいるかとは思うが、中途入社先としてはほとんど考えられない。

結局のところ、転職先は、知名度とか安定度とかではなく、成長力のある企業が選ばれやすくなる。

ミクロでみれば、そう思って入社したんだけど、あっさり事業縮小とか倒産とかあるかと思うが、マクロでみれば、衰退する企業から繁栄する企業へ人材は流動する。群衆の叡智としていい会社が人材を吸収していく。

DECからも前述のように、多くの同僚が、90年代中頃に勢いのあったSun MicroやMicrosoftなどへ多数転職していった。

同時期に日本IBMも多量に人員削減をしていたので、日本IBM出身の人がIT業界いたるところにいた。

日本の大手企業には転職先がない

一方で日本の大手企業の人材戦略は学校卒業時に一括採用というのが主流で、中途採用はほとんどないかあっても例外的な扱いなので、外資系ベンダーを辞めた人材の受け皿にはならなかった。

IT業界に限らないのかもしれないが、ベンダー同士で人材が横に移動するということはほとんどない。例えば富士通出身者が日立に行くとか、NECに行くとかは通常ありえない。大手ベンダーだと、移動があっても、関連子会社へ出向とかである。

競争力のある会社が人材吸収力を持つ

結局のところ、90年代の転職事情は、伸び盛りの外資系(ほとんどが米国シリコンバレーの)ハードベンダー、ソフトウェアベンダーで、優秀な人材の受け皿になっていた。

21世紀になっても、それは変わらない。

優秀な人材は様々な経験を積みながら成長をしていくし、その成長する機会を求めて転職をする。そして人の移動によって競争力が担保される。

日本IBMやDEC出身者が様々な企業にいることになる。同様にOracleMicrosoftの出身者もいる。見えない人的なネットワークがそこにある。これはDEC出身者にとって大きな財産である。

赤字の会社には誰も転職をしない。いい会社は成長する会社である。

DECという知名度のない会社に新卒5期目で入った同期は、知名度や安定性ではなく他の何かの志望動機で入ったチャレンジャーである。

DECという会社はなくなってしまったが、同期は一生同期である。会社は違っても同じ釜の飯を食ったものとして、腹を割って話せる仲間というのはありがたい。

同期会に出てそんなことを思った。