「永遠のチェルノブイリ」


昨晩録画した NHK BS1 「世界のドキュメンタリー シリーズ チェルノブイリ事故 25年」の第1回、「永遠のチェルノブイリ」を観た。

チェルノブイリ原発事故から25年。事故を起こした原発はいまだに周囲を汚染し続け、その処理は今も続いている。しかし甚大な被害を被ったウクライナでさえ、事故は風化しつつある。番組は、チェルノブイリを題材にしたゲームソフトが流行している現状や、いま進められている対策が根本的な解決にほど遠いことなどを指摘。さらに原子力エネルギーが注目を集め、ヨーロッパ各地に原発が次々と建てられている現状に警鐘を鳴らす。
(http://www.nhk.or.jp/wdoc/yotei/index.html?week=20110509)

福島第一原発の事故によって「スリーマイル」と「チェルノブイリ」は再び人々の記憶の底から浮かび上がってきたが、3月11日の大震災以前に制作されたこの番組は、福島の25年後をいま考えておく必要性を訴えかけていると言えるだろう。チェルノブイリ原発安全技術担当、アレクサンドル・ノビコフ氏はこう語っている。「矛盾した考えかもしれませんが、この危険地帯に外の人を連れてこなければならないと思っています。たしかに、危険はあります。しかしそれより深刻なのは、あの出来事が風化してしまうことです」。長期的に言えば、警戒しなければならないのは政府や電力会社による隠蔽工作よりも、我々の忘却能力の方なのかもしれない。
もっとも印象的だったのは、同じくノビコフ氏による次のような発言だった。

プリピャチには4万7000人が暮らしていましたが、ある日突然、「ここにはもう住めなくなった」と告げられたのです。最初は、3日間だけの避難だと伝えられました。わずかなお金とIDカードを持って人々は街を後にしました。しかし、真実を告げられていたら、どうだったでしょう? 「家から離れて下さい、もう二度と戻ってくることはできません」。持って行ったのはお気に入りの本でしょうか? 写真でしょうか? 好きなレコード? 冬なら、子供用の衣類かもしれません。たくさんの好きなものの中から、いくつかを選ばなければなりません。持って行けるものは限られています。でも、どんなに念入りに選んだとしても、きっと何か、大切なものを忘れてしまいます。そしてそのことを生涯悔いることになるのです。

原発事故の影響を目に見える死者の数だけで測ることの愚かさがよくわかる。


もう一つ。こういう番組を放映していながら「原発推進派に都合の悪い番組をアーカイブから削除した」とか言いがかりをつけられてしまう NHK にちょっと同情した。