フクシマ:おずおずと明かされる事故の帰結

LEMONDE pour Le Monde.fr | 20.05.11 | 15h42
ルモンド 2011年5月20日15時42分公開


東京より特派員―フクシマの原子力事故について、日本人に与えられる情報が変化を見せている。3月11日の地震津波のあと、原発の6つの原子炉のうちの4つで起こった事故について、二ヶ月にわたって、ありうる危険を最小限に見積もり、事態の深刻さについての質問を避けつづけてきたあげく、政府と東京電力、さらには日本の強力な原子力村に加わっていた研究者たちまでもが、多少なりともはっきりと物を言うようになってきたのである。

この変化を示す顕著な、とはいっても実に控えめな証拠は、枝野幸男官房長官が、5月24日から6月2日まで日本を訪問する国際原子力委員会IAEA)の調査チームについて、「最大限の情報の透明性を確保すべくつとめる」と約束したことだ(注)。この告白は、これまで政府がとってきた政策について多くを語っている。
注:枝野官房長官の会見全文〈17日午後〉には「我が国としては、この事故について国際社会に対し最大限の透明性を確保すべく努めてきているが、この調査団の受け入れはその一環として、我が国の経験の各国との共有のためにも有意義なものとなると考えている」とある。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105170604.html


同様に、5月16日に東京電力によって公開された資料は、東北地方をマグニチュード9の地震が襲った直後の原発の混乱ぶりを明かしている。これらの報告では、これまで東京電力と「公認」の専門家たちの大部分が言い、また日本のマスメディアが言ってきたのとは反対に、原子力事故は、すでに津波の到達する前から始まっていたことが浮き彫りにされている(注)。それは、世界でも最も厳しいとされる基準に基づいて建設された原発の設備も、地震には抗えなかったということを明かしている。津波はこの状況を悪化させたに過ぎなかったのである。
注:経済産業省に提出された「東北地方太平洋沖地震発生以降の当社福島第一原子力発電所内外の電気設備の被害状況、外部電源の復旧状況等に係る記録に関する報告書」をさすか。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/11051605-j.html


とどまりつづける危険性同様に、原子炉の圧力容器は無傷であり、燃料は部分的な溶解にとどまるとしてきた東京電力の発表も誤りであり、現実にはほど遠いものであった。とりわけ、5月20日(金)に東日本を襲ったようなマグニチュード5.8とか4.6の強い余震が、原発周辺地域で続いている以上、状況は予断を許さず、危険性はとどまりつづけているのだ。これらの新事実はまた、4月17日に発表され・5月17日に再確認された、原発を今後6ヶ月から9ヶ月で統御するという東京電力の約束を、疑わせるに足るものである。


しかし今日、もっとも日本人の不安の的となっているのは、放射能汚染の程度についての情報である。文部科学省は、日本のすべての都道府県の計測値を毎日更新している。
参考:文部科学省都道府県別環境放射能水準調査結果」
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303723.htm


ウラン濃縮還元の専門家である武田邦彦教授はじめ、複数の研究者たちがこの計測のやりかたを批判している。武田教授が問題にするのはとりわけ、この計測が地上18mの高度で行なわれていることだ。住民が実際に曝される放射能の程度を知るためには、計測は地表の水準で行なわれるべきだ、と彼は言う。しかしこの水準では、計測値はおそらくずっと高くなってしまうのだ。


汚染地域のひろがりもう一つの批判は、食料品の放射能汚染への対応に向けられている。牛乳や葉野菜(ホウレンソウ、パセリなど)で高い放射線が検出されたにもかかわらず、販売は全面的に禁止されてはいない。
参考:厚生労働省放射能汚染された食品の取り扱いについて」
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e.html


他方、日本政府は4月に一度と、5月17日にもう一度、総計二度にわたって汚染地域の地図を公開した。もっとも被害の大きい区域は原発から北東に40 kmの地点まで広がっており、この区域の8万人の住民は5月末までに避難しなければならない。ところが、政府はこの区域の住民に対して(注)、許容される放射線被曝の上限を年間20ミリシーベルトに引き上げたのである。この決定に反対して、放射性安全学の専門家である東京大学教授の小佐古敏荘は、4月29日、政府参与の職を辞すにいたった。
注:文部科学省が、児童・生徒の屋外活動を制限する放射線被曝の上限を年間20ミリシーベルトに定めたのは、周知のとおり、避難区域の外を対象とした処置だった。


原発労働者でさえ、年間20ミリシーベルト放射線に曝されることはまれです。学者として、また人間として、私は子供たちがそんな被曝をうけることを受け入れることはできない」と、小佐古氏は辞任後の記者会見の席で涙ながらに訴えた。彼はまた、放射能影響予測システムSPEEDIを作動させるのにも、その後収集された情報を公開するのにも、政府が手間取ったことを批判した。「政府は法を無視して、場当たり的な対処をした結果、事態を迅速に収拾するのに失敗したのです。」


主張のうつろい小佐古氏の不満は、なんとも居心地の悪い事態をあからさまに示している。小佐古氏自身はかねてから熱烈な原子力擁護派で、とりわけ地震学者の石橋克彦に批判を加えた人間の一人だったのである。この石橋教授は、以前から日本の原発地震に対して脆いことに警鐘を鳴らしてきた、ごく稀な人物である。1997年に「原発震災」―強い地震によって起こる原発事故―という概念を提唱した彼は、決定権を握った一部の人々が、無謀にも、地震学的に言ってきわめて危険な地帯に原子力発電所を建設しようとするのを、これまでつねに批判してきた。彼の観点からすれば、原発など日本のどこにも建てられるわけがないのだ。


主張を変えたのは、小佐古敏荘だけではない。原子力安全委員会委員長の班目春樹もまた、原子力の強力な推進者で、石橋教授の立場に対してはきわめて批判的だったが、4月1日、15人の原子力推進派の専門家たちとともに、福島原発の事故の危険を認めたのである(注)。
注:原子力推進派の学者たちが3月30日づけで出した「福島原発事故についての緊急建言」には、班目春樹原子力安全委員長は参加していない。
http://peacephilosophy.blogspot.com/p/blog-page_31.html

同様に、5月20日、彼が長を務める委員会は、記者会見を開いて、年間20ミリシーベルトへの被曝許容値の引き上げが巻き起こした「誤解」について釈明し、「被曝許容量は上限のところで定めるべきだった」としながら、「政府の情報を、年間20ミリシーベルトの被曝をしてもかまわないという意味にとる人々があった」のは遺憾であると発表している。

Philippe Mesmerフィリップ・メスメール


(trad. KO)

参考:武田邦彦ホームページ
http://takedanet.com/
20ミリシーベルト、「撤回を」=子ども被ばく量、文科省前で訴え(5月23日)http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011052300803
校庭線量上限、撤回を 「20ミリシーベルト高い」福島の保護者直談判(5月24日)http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011052402000030.html
子どもの被曝量、年間1ミリシーベルト以下目標 文科省(5月27日)http://www.asahi.com/national/update/0528/TKY201105270708.html
「1ミリシーベルト以下」目標に困惑 取手・守谷の学校(5月29日)http://mytown.asahi.com/areanews/ibaraki/TKY201105280484.html


6.11 脱原発100万人アクション!6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
今なお放射能の放出は続いています。私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。全国各地域の人々とともに、6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。6月11日は、声をあげましょう!今こそ脱原発へ!!  http://nonukes.jp/wordpress/
黙ってられない!声を上げよう!!