松尾匡「新しい左翼入門」(承前)

 
 この本の感想については、この前の記事で、本を購入記録を書いたときにあらかた述べたので、それでいいと思っていたのだが、もう少し書いてみたくなった。それで承前である。
 この前の記事で、「読んでみて何だかなあと思った」といったことを書いたのだが、それがどうしてなのかと考えてみた。世代論というのは嫌いなのだけれども、やはり年齢の違いということが大きいのだろうかと思った。
 著者は1964年生まれであるから、60年安保の時にはまだ生まれていない。1968年にもまだ4〜5歳である。わたくしは戦後の生まれだから、戦前・戦中の昭和の重苦しさというのは、知識としては理解できても、実感としてはわからない。それで松尾氏の本を読んで、われわれの世代はまだ肌で感じたであろう「マルクス思想」に射していた後光のようなもの、あるいは「革命」という言葉が持っていた独特の輝きのようなものを、氏の世代はまったく体感としては解らないのだろうなあと思った。
 氏は「左翼」とは「世の中の仕組みのせいで虐げられて苦しんでいる庶民の側に立って、「上」の抑圧者と闘って世の中を変えようと志向する人々」のことであるというのだが、この「世の中を変えよう」という言葉のニュアンスの問題なのである。今よりも少しでもよくすることを氏は社会主義の当然の目標のようにいうのだが、われわれが若いころには「マルクス主義」というのはそういうものでは全然なかった。たとえば、戦争というものは資本主義体制がなくならない限りは根絶できないものと信じているひとは多かった。わたくしは昭和22年生まれであるから、父の世代の持っていた何よりも戦争の悲惨を二度と繰り返さないことこそが最優先の課題であるという信念に強く影響されて成長したわけである。もしも、戦争というものがわれわれが経験しうる最悪の事態であって、それを根絶するためにには資本主義の廃絶しかないのであれば、世の中を少しでも変えようなどと悠長なことを言っている余裕はないことになる。
 そしてわれわれの20歳前後にはベトナム戦争があった。ベ平連ベトナムに平和を!市民連合)というものもあって、ベトナム人民がアメリカの近代兵器の大量投入に対して、竹槍で英雄的に抵抗しているというようなイメージを伝えて、ベトナム人民への連帯を呼びかけていた(そしてマスコミの報道もまた、そのような立場であった)。ホーチミンという北ベトナムの指導者は聖人君子であり慈父であるようなイメージで描かれた。当時アメリカのしたことは弁明のしようもない行為であるが、なぜそのようなことが行われたのかといえば、ドミノ理論というものが真面目に信じられていたのである。東南アジアのある国が共産化すると、次々に他の国も共産化していくという見方である。世界(少なくとも西欧世界以外)の共産化が西欧からは恐れられていた。それから20年もすると「東側」という一大陣営が地上から消えてしまうと予想していたものはアメリカ政権の中枢においてもほとんど(誰も?)いなかったのではないだろうか?
 しかし松尾氏の世代は1991年の東側の崩壊ということを事実として知っていて、それを前提に議論をしている。氏は「革命」ということに少しも共感をよせていない。それはマルクスが否定した疎外を生じさせるものとして、検討する価値さえない論点であるとしているようである(「理念や制度を一人歩きさせて、そっちの方を目的とみなして、生身の個々人の都合を手段として踏みにじってしまう― そんな本末転倒を「疎外」と言って、・・マルクスが、生涯にわたって批判に取り組む根本テーマとしました」)。しかし、疎外というのはまさにインテリだけに通じる議論である。その論が多くのひとを行動に駆り立てる原動力となったとは思えない。
 マルクスという思想家がある時期、非常に強い影響を持ったのは、彼が疎外論を唱えたためではなく、「世の中を変えることが大事なのであって、解釈することではない」と主張したこと、「プロレタリアートは鉄鎖以外に失うべきなにものも持たない」から団結して権力を奪取しなければならないとしたこと、つまり直接行動による権力の奪取とそれによって世が根本的に改まるとした点にあるのだと思う。資本主義の体制のなかにある限り希望はないのであって、その体制のなかでは人間はその本来性を発揮することができなくてただみじめなだけである。人間が人間であることを取り戻すためには、資本主義という体制を別の体制に変えなければならない。そしてここからがわかないのであるが、歴史の進展を既定するものは生産体制であって、それによる経済の発展の中で自ずと資本主義は爛熟し、やがて崩壊していく、それはマルクスの希望、そうなるべきだという思想的信条ではなく、科学的な事実であり、生産力という物質(単なるモノ)によって決まる経済という下部構造が歴史を決めていくとした。そうであるなら、われわれは何もせず寝ていればいいわけであるが、歴史の法則として将来に天国が来ることがわかっているのであれば、天国をなるべく早く現世で実現させることを望む者がでてくるのは当然である。それがプロレタリアートが団結しておこなう暴力行使による権力奪取であって、革命である。革命によって歴史は終わり、地上に天国が出現する。そこでは、ひとは能力に応じて働き、欲望に応じて消費する。などというのはあまりに単純で通俗的で箸にも棒にもかからない「社会主義」論であろうが、しかし、人々を動かしてきたのは、この通俗版のほうであって、マルクスが本当には何をいったではなかった。
 そうであるなら、資本主義の体制のなかで現状を少しでも改善していくことは、よくいっても無駄な行為、悪く言えば利敵行為であって、資本主義の延命に手を貸す犯罪行為である。つまり本書で松尾氏が述べているようなアソシエーション派〈社会主義〉は、わたくしの若い時代には「改良主義」といわれて〈本物の〉左翼からは唾棄すべきものとされていた。その当時の社会党江田三郎という人が(江田五月のお父さん)確か「構造改革論」といった「改良主義」的な論を提出し、向坂逸郎にこてんぱんに論破されていた。向坂というひとは、もうマルクスが好きで好きで堪らない〈マルクス命〉というようなひとで、向坂文庫といわれた膨大な社会主義文献の収集でも有名で(一説には五万冊)、マルクス主義関係の文献を徹底して読み込んでいるから『社会党内部で、「構造改革」や「江田ビジョン」が、向坂氏に「テもなくひねられ」た』(渡部昇一「知的生活の方法」)のも当然なのである。本書では向坂氏はかなりぼろくそであるが、もしもマルクスが正しいという前提にたってしまえば、改良主義的な論点など異端となってしまう。本書で松尾氏が擁護するアソシエーション派の主張は、わたくしが若いころには「改良主義」といわれて〈正統的な〉社会主義者(ほとんどマルクス主義者と同義)からは鼻であしらわれていた。氏は「国有化路線とアソシエーション派の二大潮流」というのであるが、わたくしの感じでは「国有化路線」が圧倒的な主流であって、アソシエーション派などというのはほんのささやかなせせらぎのようなものであった。
 「左翼にとって不況は天敵といえます」と氏はする。わたくしの若い時の「左翼」理論では、不況は資本主義の必然でその爛熟の結果なのであるから、共産社会の未来が近い兆しとして歓迎すべきものとされていたのではないかと思う。
 わたくしが若いころには学生運動というのが盛んで、今の若いかたにはもう解らないだろうが「立て看」というのがあって、どういうわけか中国で用いられていた略字体の漢字を多用したアジテート文が、大学構内のいたるところに掲げられていた。三島由紀夫がそれを評していわく、「何がいいたのかはさっぱりわからないが、性欲が過剰であることだけはよくわかる。」 松尾氏の論を読んでいると、最近は社会主義方面も草食系になってきたのだなあと感じる。氏は自称〈ヘタレ派〉である。
 社会制度が変わることによって人間が根本的に変わる、そのために「革命を!」という路線が、もうほとんどのひとに何の訴える力ももたなくなってきたのはなぜなのだろう? ほんの30〜40年前まではそれを信じるひとはまだ決して少なくはなかったのである。東側の崩壊が決定的な要因になったのだろうか?
 高度成長期には、未来は変わると多くのひとが思っていた。現在では未来は現在とあまり変わらない、あるいはもっと悪くなると思われているのではないだろうか? そのような状況下ではバラ色の未来、天国の到来を説く思想など絵空事としか思えなくなってくるのだろうか?
 

新しい左翼入門―相克の運動史は超えられるか (講談社現代新書)

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