「神社と夫婦別姓」

http://taraxacum.seesaa.net/article/171767572.html
http://fb-hint.tea-nifty.com/blog/2007/01/post_ac1a.html


興味深い記事。
右派団体としての神社本庁が「夫婦別姓」に反対しているのは周知のことだが、実際の諸々の神社では「夫婦別姓」を執り行ってくれるとのこと。ただ、「八幡」系は断りはしないものの、露骨に嫌な顔をするとのこと。これについて、「八幡神社は一般的に戦いの神様だそうで、国家神道に近いのでしょうか」といわれているのだが、それはわからない。「戦いの神様」ということだと、もっと露骨に靖国神社というのもあるし、由緒があるところでは、鹿島神宮香取神宮。「八幡」といえば、その総本山というべき大分県宇佐八幡宮で女性を宮司に選んだところ、神社本庁側からクレームがついたということがありましたが*1八幡宮特に京都の岩清水八幡宮天皇家の事実上の氏神として扱われていた一方、八幡信仰それ自体は記紀を中心とした〈皇室神道〉のコスモロジーには納まり難いという両義性はあると思う*2
さて、「たんぽぽ」さん曰く、「敗戦後の政教分離政策で、国家神道を継承した、神社本庁の影響下にあるところが、夫婦別姓に反対するのではないかと思いますが」。日本の殆どの神社は、靖国神社を除いて「神社本庁」に加盟しています。ただ、「神社本庁」は宗教団体といっても、創価学会等の新宗教に代表されるような〈教団〉というよりも寧ろ医師会などに近いと言っていいかも知れません。つまり、惰性的な組織。一般論としていうと、労働組合にしても町内会にしても或いはPTAにしても、自らの集団について無関心なメンバーが多い惰性的な組織では、右にせよ左にせよ、政治的積極分子が頑張って、組織を牛耳り、その組織が特定の政治的党派色に染まっているかのように外部に対して提示するということは、ちょっと考える以上に難しいことではないということがいえます。東京都に漫画規制を陳情したというPTA*3の場合も、全員が漫画問題に関心が高いかというと決してそうではなく、一部の積極分子が頑張ってしまったということだろうと思います。
さて、神前結婚式というのは日本の伝統でも何でもなくて、明治になって基督教の真似をして始まったわけですが、結婚というのは「復古神道」(国学)系の教義においては重要な意義をそもそも持っていたのではないかということは推測できます。菅野覚明氏の『神道の逆襲』では、本居宣長平田篤胤の神話解釈の要諦について以下のように述べられています;


(前略)細部の相違はともあれ、彼らの見方は、神代神話の核心を伊邪那岐伊邪那美二神の物語としてとらえるものであった。彼らの見方では、神話を貫く根本主題は、男女二神の一体化を命じた産霊神の「生み成せ」という命令にほかならない。この世界の根源は、生み成せという命令を発するところの産霊神である。この神はいわば生むことを生む神として、この世界の原理となっている。生成という根源的命令は、男女二神の二にして一なる和合・生産として具体化する。この世界の最初の形、最初の分節が、男女の対ということなのである。このことの持つ意義は、たとえば『日本書紀』の系譜構造に神話の核心を読み取る中世神道系の理解と比較してみると明らかになる。神話を男女の物語ではなく、祖先から子孫へという縦の物語として読む理解は、その帰結として、世界の根源形態を上下の分節としてみる垂加神道のような見方を引き出してくる。世界の構造を縦の分割として見るか、横の分節として見るかは、思想の構造の根本的な違いをもたらすのである。(pp.267-268)
神道の逆襲 (講談社現代新書)

神道の逆襲 (講談社現代新書)

これを極論すると、


神道=男女の和合


ということになるわけですが、これは制度家族よりも友愛家族、「縦」を重視する直系家族(イエ制度)よりも夫婦中心の近代家族に適合的だとはいえます。実際、平田篤胤の家族観は当時としてはかなり近代的なものであったともいわれます。また、明治時代に平田派の国学者が「夫婦別姓」を実行していたことを紹介したことがあります(藪田貫「夫婦別姓の墓」山村嘉己、大越愛子、源淳子、藪田貫、上松建郎『文化のなかの女と男』嵯峨野書院、1992、p.88)*4

文化のなかの「女」と「男」

文化のなかの「女」と「男」

また、「中世神道」に関しては、例えば山本ひろ子*5『中世神話』とかが出ている。
中世神話 (岩波新書)

中世神話 (岩波新書)

*1:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090309/1236615091 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100325/1269481571

*2:八幡信仰については、取り敢えず以前も書名を出した、中野幡能『八幡信仰』や義江彰夫神仏習合』をご参照ください。

八幡信仰 (はなわ新書59)

八幡信仰 (はなわ新書59)

神仏習合 (岩波新書)

神仏習合 (岩波新書)

*3:See http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20101205/1291518836

*4:http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20090905/1252117392

*5:http://www.wako.ac.jp/sougou/blog/yamamoto/ See also http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20100910/1284061939