<高校野球西東京大会:日大三2-1早実>◇30日◇決勝

 西東京大会決勝で、センバツ4強の日大三が、2-1で早実との接戦を制し、2年ぶり14度目の夏の甲子園出場を決めた。先発のエース吉永健太朗投手(3年)が140キロ台の直球と鋭い変化球を武器に、公式戦での自己最多となる毎回の14奪三振で、5安打1失点で完投した。今大会は制球が定まらず苦しんだが、大一番で本領を発揮した。

 全身全霊の力を込めた1球だった。9回2死、吉永の投じた137球目は144キロの直球。外角高めのボールに早実・渡辺琢也捕手(3年)がつられて空振りした。鈴木貴弘捕手(3年)のミットが、後ろへ持って行かれるほどの球威だった。「三振を狙うタイプじゃないですけど、最後だけは取りに行きました」。強気の姿勢で狙い通りの締めくくり。駆け寄る鈴木を力いっぱい抱き締めた。

 最速148キロ右腕の復活を証明する内容だった。2-0の7回1死三塁から暴投で1点を失った。そこから「1点差になったことで気合が入った。もうやれない」と気持ちを入れ直した。打者8人から5奪三振で、1人の走者も許さなかった。直球だけでなく、右打者へのカーブと左打者へのシンカーがさえた。

 今夏3度の登板は、制球を乱して何度も自滅寸前まで追い込まれた。「夏ということで力んでしまった。不安はあった」。3回2/3を投げて5四死球だった24日の日野戦後には父巌さん(44)から電話でゲキを受けた。「力で勝負しろ。逃げて負けたら悔いが残るぞ」。闘志をたき付けられる思いだった。低いボールを止めようと、6~7メートルの距離からのボールをワンバウンドで捕る練習を繰り返す女房役の鈴木の存在も励みになった。「今日は吹っ切れた感じがした。5回ぐらいには直球でいけると思った」。肩の力は、自然と抜けていた。

 吉永に厳しい言葉をかけてきた小倉全由監督(54)も、大一番での頼もしい姿に目を細めた。「決勝であれだけ投げられれば最高ですよ」。全国屈指の猛打に、復活を遂げたエース。パズルの最後の1ピースを埋めた日大三に死角はない。昨秋の明治神宮大会は優勝。センバツは4強。10年ぶりの夏の全国制覇へ、吉永が力強くけん引する。【森本隆】

 ◆吉永健太朗(よしなが・けんたろう)1993年(平5)10月13日、東京・八王子市生まれ。小1のころ南平アトムズで野球を始め、3年から投手。日野市の七生中時代は調布シニアに所属し、3年時に全国選抜大会、夏の選手権大会とも8強。シニア関東選抜にも選出された。日大三では2年秋からエース。直球の最速は148キロ。家族は両親と妹、弟。182センチ、80キロ。右投げ右打ち。

 ◆日大三

 1929年(昭4)創立の私立校。生徒数は1215人(うち女子428人)。野球部は29年創部、部員数は67人。甲子園出場は春18度、夏14度目。71年春と01年夏に全国制覇。OBにオリックス近藤一樹ら。町田市図師町11の2375。堀内正校長。

 ◆Vへの足跡◆

 

 

 1回戦7-0清瀬2回戦11-0富士3回戦12-2東亜学園4回戦15-6日野準々決勝13-0堀越準決勝9-3日大鶴ケ丘決勝2-1早実