速さに関する一考

息子がiPadを使いこなすことが出来ないたった一つの理由 もとまか日記

このエントリーを読んで思い出したことがあります。それは、言葉を習得しきってはいない子どもたちのメディアに関する行動、その変遷です。

90年ごろ、僕のいとこの子どもは「アンパンマン」や「しまじろう」等のビデオを見ている時に、一時停止ボタンを押してからトイレに行っていました。

2002年、日韓ワールドカップの3位決定戦を見ながら、うちの息子はPS2のコントローラで「操作」し、僕に向かってどや顔を見せました。

2010年、幼い子どもたちはテレビ画面やMacの画面をタッチしたり、フリックしたりして、なんの変化もない、動かないことに腹を立てています。

メディアやデバイスは時とともに変わっても、子どもたちの行動原理に変化はありません。彼らこそ、そのメディアに対する柔軟さから、究極的にメディアはどうあるべきか、人はメディアに対してどういう姿勢で向き合うべきかを教えてくれている気がします。つまり、より自分にとって都合よく、自由であるものが最良のメディアなのです。もちろん内容の話ではありません。

また、別な視点で見れば、言葉とは、なんと遅く不便なものだろうとも思います。シナプスのように反復と固定化によって速度を得ることはできても、ノイズをばっさり切り落としてしまう回路は、今の気分としては美しくはありませんし、それを速いということにも抵抗を覚えます。

まとめようと思って書いてはいませんが、結論として、やっぱりノイズだなと。効率を求める。そんなことは今、とても魅力のないことに感じます。