2018.06.20
# サッカー

Jユース出身者の数で見る、いまの日本代表の「ほんとの強さ」

データで楽しむ日本代表トリビア③
W杯に出場する以前の日本代表は大学出身者が大半を占めていた。1993年にJリーグが開幕してプロリーグが生まれ、5年後、W杯フランス大会に初出場するが、代表選手の約半数は大卒でJユース出身の代表選手はいなかった。あれから20年、その比率はどう変わってきたのだろうか。

02年日韓大会で初のユース出身代表選手


サッカーJリーグとプロ野球の大きな違いに、育成組織の有無がある。地域密着と地域貢献を理念に掲げるJリーグは、そのひとつの手段としてU-15(15歳以下の中学生年代、通称ジュニアユース)とU-18(18歳以下の高校生年代、通称ユース)両チームを保有することが義務づけられている。U-10とU-12については、サッカースクールやサッカー教室を開催すれば常設のチームは持たなくてもいい。

 

欧州や南米のサッカークラブを手本とした育成組織は、日本サッカーの構造を変えると思われた。中学や高校の部活で鍛えられた選手だけでなく、育成組織で育まれた才能がJリーグの舞台に立ち、やがては日本代表でも勢力を強めていくのではと予測された。

Jリーグ開幕から5年後の1998年のフランスW杯には、ユース出身選手がひとりもいない。すでにJリーグではユースから昇格した選手が出場していたものの、“Jリーグの申し子”と呼ぶべき世代は、10代後半から20歳前半である。激しい予選を乗り越えた選手たちを差し置いて日本代表に食い込むのは、現実的に難しかった。

一方で、大学を経て日本リーグに進み、チームのプロ化に伴ってJリーガーとなった選手や、大学からプロになった選手が、フランスW杯のメンバーには多い。高卒の10人に対して、大卒が11人を数える(大学中退も含む)。レギュラークラスではDF相馬直樹(早大)、キャプテンも務めた井原正巳(筑波大)、秋田豊(愛知学院大)MF名波浩(順大卒)、FW中山雅史(筑波大)らだ。“野人”のニックネームで親しまれた岡野雅行も、最終学歴は日大中退である。

フランス大会初戦の先発メンバー、井原、中山、秋田、名波、相馬といった主力は大卒だった(photo by gettyimages)

4年後の2002年日韓W杯では、ユース出身選手がメンバー入りした。GK曽ヶ端準(鹿島アントラーズ)、DF宮本恒靖(ガンバ大阪)、市川大祐(清水エスパルス)、MF稲本潤一(ガンバ大阪)、明神智和(柏レイソル)の5人で、第3GKだった曽ヶ端を除く4人はW杯のピッチに立った。

日韓大会で初めてユース出身選手(3人)がW杯のピッチに立った。前列左から宮本、明神、稲本(photo by gettyimages)

高卒選手(高校サッカー部出身選手)は4年前よりも増えて15人となった。これは、大卒がDF秋田、MF服部年宏(東海大中退)、FW中山の3人に減ったことが理由にあげられる。高卒ではGK楢﨑正剛(奈良育英/奈良)、DF中田浩二(帝京/東京)MF中田英寿(韮崎/山梨)、小野伸二(清水商※/静岡)FW柳沢敦(富山第一/富山)、鈴木隆行(日立工/茨城)らが主力を担った。ブラジルからサッカー留学生として明徳義塾(高知県)へ入学し、清水エスパルスでプロになった三都主アレサンドロも、メンバー入りを果たしていた。

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