コラム:個人情報収集で露呈した米国「例外論」の限界

コラム:個人情報収集で露呈した米国「例外論」の限界
6月13日、米国は世界に対して高尚な規範を唱えているのに、しばしば自分がそれを守れず矛盾に陥る。米国家安全保障局が監視プログラムを実施していることが明らかになった件も、その例外ではない。写真はCIA元職員のスノーデン氏が同プログラムを暴露したことを報じる香港紙。11日撮影(2013年 ロイター/Bobby Yip)
国際政治学者イアン・ブレマー
米国は世界に対して高尚な規範を唱えているのに、しばしば自分がそれを守れず矛盾に陥る。米国家安全保障局(NSA)が「プリズム」と呼ばれる監視プログラムを実施していることが明らかになった件も、その例外ではない。長年にわたり組織的に外国人を監視してきたことが暴露されたこの一件で、サイバー攻撃などで国益を追求する国に対し、米国がそれをやめるよう説得することは難しくなった。
こうした米外交政策における矛盾は、なにも目新しいことではない。米国だけ特別だという「例外論」と表裏一体なのだ。米国はさまざまな行動や価値観の頂点にいると自負するあまり、何かに失敗すると、おかしな矛盾が生じることになる。米国には、市民の自由や人権、民主主義といった点で他の多くの国と本質的な違いがあるのに、これは全く残念なことだ。
プリズムが露見したことで、サイバー攻撃をめぐる問題で中国を追い詰めようとしていたオバマ政権のもくろみは大きく外れることとなった。米中双方が互いにサイバー攻撃を仕掛けているのは事実だが、両国には実質的な違いがある。
米国を狙ったサイバー攻撃では、報道によると、その9割以上が中国が発信源だという。アレクサンダーNSA長官は4月、議会に対し、米サイバー軍に新たに40部隊を編成中で、そのうち13部隊が攻撃作戦に従事することになると証言した。米国によるサイバー攻撃は米軍や情報機関が行い、主に中国のサイバー攻撃に対抗している。
一方、中国によるサイバー攻撃のかなりの割合が、商業目的であることが分かっている。国家資本主義の中国では、政府に民間セクターを支配する広範囲な権限が与えられており、国有企業の成功は政府のそれと一致する。中国企業は企業秘密や知的財産を狙うことで、海外企業との力の差を埋めようとしている。
しかし、米中の行動の違いに差がなくなれば、有利になるのは中国だ。このような状況で、情報を盗むなという米国の抗議にどうして中国が耳を傾けるだろうか。プリズムを暴露したエドワード・スノーデン氏は最近のインタビューで、2009年以降、NSAが中国本土と香港でハッキングを行っていると主張している。
冷戦時代、米国は核兵器によってではなく世論によって、ソ連に勝利した。ここでも同様の作戦を使うのが賢明ではないだろうか。
米国が自らまいた種でしっぺ返しにあっているのは、インターネット上だけではない。2008年の金融危機では、世界で最も優れた金融システムを備えているとする米国の主張に疑問符がついた。エンロン事件やリーマン・ショック、元ナスダック会長のバーナード・マドフ受刑者による巨額詐欺事件など数々の問題を引き起こしながら、自由市場経済は信頼できるなどと、どうして説くことができようか。
また米国は、他国に対し企業の腐敗根絶を呼びかけている。国内では、企業のロビイストたちに政策を誘導することを許しているにもかかわらずだ。もちろん米企業の腐敗は、発展途上国に比べれば断然低い。しかしそのことは、米国が世界に向けて崇高な目標を掲げたにもかかわらず、自らの行動が伴っていないという事実を帳消しにしてくれるわけではない。
そして忘れてはならないのが、人権問題だ。民主化や海外援助、国連決議など形はどうあれ、米国はさまざまな人権問題に関与している。そして、人権をめぐる米国の努力は、イラクのアブグレイブ刑務所やキューバのグアンタナモ米海軍基地、そして無人機攻撃といった問題がなければ、もっと容易に前進しているだろう。
これらはすべて、米国に根強い例外論がはらむ問題だ。冷戦が終結し世界で唯一の超大国となった時、例外論は有効だったかもしれないが、この15年で世界は様変わりした。その間、米国の例外論にほとんど変化はなかった。
それではいったいどうするべきなのか。まず米政府は、米国の価値観が唯一無二のものであるという考えを改めなくてはならない。外国の行動には、彼らなりの理由があって、金持ちばかりが豊かになるだけということもあり得るが、その国の発展レベルに見合った、われわれとは異なる仕組みや価値観がうまく作用するのかもしれないということを認めるべきだ。
さらに規範を逸脱したときには、それに対して真摯(しんし)に向き合わなくてはならない。透明性が高まることで国に変化が訪れるかもしれないが、それは問題ない。国民に情報がもたらされてこそ変革は起きるのだ。
米国は世界に自国の規範を求めれば、自ら逸脱したときにはひときわ目立つということを肝に銘じるべきだ。国民がより多くの情報に接すれば、米国の長所と短所についてより多様な解釈をするようになる。そして、政治家は米国の政策にそれを反映するようになるのではないだろうか。
(13日 ロイター)
*筆者は国際政治リスク分析を専門とするコンサルティング会社、ユーラシア・グループの社長。スタンフォード大学で博士号(政治学)取得後、フーバー研究所の研究員に最年少で就任。その後、コロンビア大学、東西研究所、ローレンス・リバモア国立研究所などを経て、現在に至る。全米でベストセラーとなった「The End of the Free Market」(邦訳は『自由市場の終焉 国家資本主義とどう闘うか』など著書多数。
*筆者はロイターのコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。

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