日本の音楽に自由を!「元JASRAC」作曲家・穂口雄右が語る、著作権問題とその元凶

近年「著作権」という言葉に、かつてないほど世の注目が集まっている。折しも10月1日から改正著作権法が施行され、JASRAC(日本音楽著作権協会)による楽曲管理のあり方に対してもなにかと注文がつく今日このごろ。そんななか、2012年3月にJASRACを退会し「著作権フリー」への挑戦を始めたベテラン作曲家で、キャンディーズの「春一番」の生みの親でもある穂口雄右に、著作権問題の“謎解き”をお願いすべく話を訊いた。

編集部註:インタヴューは、2012年9月に行われた。このインタヴューのあとに、ソニー・ミュージックエンタテインメントは11月7日付で、iTunesに向けて日本人アーティストの楽曲の提供を開始した。その楽曲がようやくiTunesで聴けるようになった(つまりいままで聴けなかった)アーティストは、ざっと以下。尾崎豊、松田聖子、矢沢永吉、佐野元春、浜田省吾、X、米米CLUB、プリンセス プリンセス、ユニコーン、L’Arc-en-Ciel、いきものがかり、西野カナ、加藤ミリヤ、JUJU、YUI、SCANDAL、YUKI、ASIAN KUNG-FU GENERATION、奥田民生、PUFFY、TUBE、電気グルーヴ、RHYMESTER、JUDY AND MARY、渡辺美里、Chara等々。キャンディーズの楽曲もソニーが発売元だが、いまのところ含まれていない。


穂口雄右|YUSUKE HOGUCHI
作曲家、編曲家、作詞家。元JASRAC評議員。伝説の3人組アイドル、キャンディーズが歌った「春一番」「夏が来た!」など、1970年代を中心に多くのヒット曲を生み出した。経営するミュージックゲート社が提供していたファイル変換サーヴィス「TUBEFIRE」の違法性を問われ、日本国内のレコード会社31社から提訴されたことで、ネットユーザーからの注目を集めている。

TUBEFIRE裁判の顛末

──YouTube視聴者に愛用されていたファイル変換サイト「TUBEFIRE(チューブファイア)」をめぐっていま、裁判中だそうですね。日本のレコード会社31社から「TUBEFIREによる著作権侵害のせいで不利益を被っている」ということで2億3千万円の損害賠償で訴えられているとのことですが、どんな裁判ですか?

正直、かなりいい加減な裁判ですね。TUBEFIREは、YouTubeのファイルをダウンロードして、YouTubeのファイル形式ではないかたちに変換してあげるというファイル変換サイトなんですが、YouTubeからダウンロードできないものは、TUBEFIREでもダウンロードできないんですね。ここの仕組みをよく理解していただければ、適法性は明らかです。

そもそもYouTubeの仕組みは、ストリーミングとはいっているものの、動画を観た瞬間に視聴者のパソコンの中にはファイルが自動的にダウンロードされているストリーミングキャッシュ、ローカルキャッシュというものです。だから視聴者は特にTUBEFIREを使わなくても、適当な変換プログラムを使えば、そのファイルを自分で勝手に変換できるという前提があります。YouTube自体がそういうものであり、YouTubeを観た人のパソコンの中にはすでにデータがキャッシュで残っている。またYouTubeに対応する変換ファイルも市場にいくらでもあって、1,000円や2,000円くらいで売っていると。で、そのような変換アプリケーション機能をウェブサイト上で実現したものがTUBEFIREなんですね。

例えば、視聴者がYouTubeとは関係ないデータをパソコン内部にもっていたとして、それをTUBEFIREに渡してファイル変換させるというようなことも、もちろん技術的にはできるわけです。しかしTUBEFIREはそれをやらないで、もうすでに視聴者がもっているファイルであっても、そのID番号を受け取ったら一旦YouTubeに投稿されているデータかどうか確認し、もしそうであったらYouTubeからダウンロードして変換して戻してあげる、というスタイルなんです。

で、なぜそんなことをわざわざやっているかというと、YouTubeには著作権侵害ファイルというものが多々アップされていますが、権利者が削除要請をして一定の時間が過ぎると、そのファイルは消えるようになっているからなんです。具体的には、TUBEFIREは受け取ったファイルを48時間経ってから変換する仕組みになっています。なぜならYouTubeにアップロードされた違法ファイルは、48時間以内に権利者からの削除要請等によって消えるからなんです。つまり、TUBEFIREがファイルをYouTubeからもって来れるようにした最大の理由は、著作権を侵害しないため、著作権保護システムのためなんです。

──YouTubeが著作権保護システムを確立しているからこそ、YouTubeに対応させるかたちでTUBEFIREを運営したということですね。

そうです。TUBEFIREはこのYouTubeの著作権保護機能とのやりとりにものすごく労力をかけてあるサイトで、リアルタイムで「YouTubeでダメなものはTUBEFIREでもダメ(変換しない)」という仕組みにしてつくってあります。インターネットのなかでのやりとりで常時、自動的にチェックしているわけです。ですが、そこまでの機能をもったサイトであるということは特に謳っていませんでした。「違法なことをやってはいけませんよ」という警告は毎回表示されるようにしてありましたがね。ですが、おそらくレコード会社各社は、まさかそこまできっちりした著作権保護システムがこのサイトに組み込まれているとは思ってなかったんでしょうね。いままでに著作権法違反の疑いで訴えられたサーヴィスというのは、ただ単に何でもダウンロードOK、みたいなことをやっていたわけですから、TUBEFIREのこともみくびっていたんでしょう。

──適法性に自信があるということですね。

ありますよ。もちろん私自身は裁判になってから細かいことを、うちの会社の担当者から聞いて詳しくなったわけですが、私自身も責任者として「著作権保護のことについては徹底してやらなきゃいかんよ」ということは担当者にずっと指示してきましたし、もちろん著作権のことについては元々よくわかっています。その担当者がTUBEFIREのようなサーヴィスをやりたいと言ってきたときも「ファイル変換というのはちょっと危険だから著作権管理について十分な保護システムを構築しなければダメだ」と厳しく言ってきました。で、これこれこういう保護システムを構築しましたという報告を詳細に受けたので、それならいいだろうということでこのサーヴィスを開始したわけなんですね。

──TUBEFIREは現在サーヴィスを停止中ですが、いつまで公開していたんですか?

YouTubeが流行りだしてからわりとすぐに始めたサイトですが、その後2011年の8月にこの提訴があって、すぐにサーヴィスを停止しています。裁判は、最近では9月15日にもありましたよ。弁護士を通してもう何回も争っています。

──何度目かの裁判を経て、レコード会社側の対応は変わってきましたか?

いえ、先方は同じようなことを繰り返し言っているだけ、という感触です。どうやらTUBEFIREの著作権保護システムについてまったく知らずに裁判を始めてしまって、こちらからの機能の説明を聞いてちょっと慌てている感じですね。TUBEFIRE内部の著作権保護システムの存在が信じられない、というようなことしか言ってないですから。しかし、こちら側はそのシステムの証拠をすでにプログラムとして裁判所に提出してあります。プログラムというのはその通りに動きますから、信用するもしないも専門家が見れば一目瞭然です。向こうはどうしようもなくなるのではないでしょうか。

──相手からも違法性の証拠は提出されているんですか?

向こうは被害内容としてエクセルの一覧表で10,000ファイル分、3,000曲が被害に遭っていると提出してきました。でも、ただの一覧表なんです。「実際に被害に遭っている曲のデータはあるんですか?」と聞いたら6月ごろには「ある」と言うので、じゃあそれを全部提出してくださいと言いました。もしも本当にデータの現物があって権利侵害していたんだとしたら、こちらは謝らなきゃいけないことですし、本当に著作権侵害にあたるダウンロードをしてしまっていたんだとしたら、逆に私がTUBEFIREを開発したスタッフに騙されてしまっていることにもなります。ですからその意味でも証拠として違法なデータを出してくださいと言っています。

で、やっと9月15日の裁判に出してきたデータですが、たったの128ファイルだけでしたよ。なんやかやと言い訳してましたけど。つまりTUBEFIREで違法ダウンロードなんか、できなかったってことじゃないですかねえ。しかも証拠データはMP3が多くて動画データはほとんどなし。MP3ばっかりじゃダメなんですよ。TUBEFIREはいろんな形式のファイルに対応していて、MP3なんてそのうちの一部だし、しかもMP3に変換できるソフトなんて巷にいくらでもありますからね、証拠としての信憑性がないです。もし128ファイル分の証拠が動画ファイルばかり出されたのであれば、それなりの証拠かなとも思いますが。

──レコード会社に対して、いまどんな感情を抱いていますか?

裁判なんか始める前に、ひとこと言ってもらえたらよかったんですがね。TUBEFIREが気に入らないのなら、違法ダウンロードの疑いがあったなら「ちょっとサイトのサーヴィスをやめてもらえませんか」って言ってくれれば、すぐTUBEFIREなんかやめたんですがね……。もし法律的にダメなものだったら、私だって続けるわけないですから。レコード会社の経営者も最近は若い世代に変わってしまい、よく存じ上げないですけど、私のことも調べれば連絡先だってわかるでしょうし、別にひとこと言ってくれたらね。こだわりなんかなかったんですがねえ。

著作権法の改正
2012年10月1日、違法ダウンロードの刑罰化が盛り込まれた改正著作権法が施行された。これまでは特に刑罰が定められていなかった違法ダウンロードだが、今後は、ネット上にアップされた“有料著作物等”を違法だと知りながらダウンロードする(録画・録音する)行為に対して、2年以下の懲役または200万円以下の罰金、もしくはそのいずれもが科されることとなり、明確な処罰が規定された。

JASRAC退会という実験

──この裁判と、2012年3月にJASRACを退会したことは関係がありますか?

いえ、JASRACから退会するのは前々からの計画でした。アメリカで何かやろうかなと思っていて、いろんな選択肢を考えてきました。まったくフリーでどこの団体にも参加しないでやっていく、アメリカでASCAP(アスキャップ:米国の音楽権利保護団体)に参加する、とかね。これは著作権へのかかわり方の話ですけどね。で、ASCAPに参加するにはJASRACは抜けないといけないんです。JASRACとも前々から相談していて、まあ然るべき時期が来たら抜けてもいいんじゃないかと協会にも了解してもらってました。で、昨年中に信託契約解除の申し出をしてあったので、JASRACの定款に従って3月末に退会したというだけのことです。

いまずっとハワイにいて、この先もアメリカに暮らして活動していこうという計画ではいます。アメリカ中心での活動ということではないですが。いま、著作権、著作権と世の中、非常に騒がしくなっていますよね。著作権が怖くて音楽も聴けないっていうね(笑)。そんななか、著作権に自由を奪われてしまっている日本国民がいるわけです。視聴者としての日本国民が困るだけじゃないですよ。われわれ作家も困るんです。というのは、JASRACと契約していると作家の判断だけで「その曲、ただで使っていいですよ」ってできないわけですよ。自分の曲なのにね。楽曲管理を信託してあるわけですから。

ですから私は、自分の曲で、これは著作権フリーでやりたいなという曲についてはフリーでやりたいと思ったわけです。しかしJASRAC会員である以上、JASRACの決まりを守らなければならない立場です。でまあ、これからはこういう、自分で管理できるというやり方があってもいいんじゃないかなと思いましてね。ほかにもやってらっしゃる方が、もういますけれどもね。

で、また著作権フリーとは逆の発想でね、JASRACの規定とは別に、ものすごく使用料が高い曲があってもいいんじゃないかな、とかね。そんなふうにしたら、高いから使わないという人も出てくるでしょうけど、でも要するに、著作権というものがもっと自由であっていいんじゃないかな、みんな一緒でなくてもいいんじゃないかな、という思いが、JASRAC退会の理由のひとつにあるんですよ。

──で、キャンディーズの「春一番」のような有名な曲で、JASRACに任せない独自の著作権管理を実行に移してみた、と。

そうです。相当に実験的ですけどね。もちろん高くはしていませんよ、安くしてますけどね(笑)。

──JASRACの内部にいて、不都合を感じてきた部分もあったということですか?

いや、別に自分がJASRACの内部にいると曲の使い方について何か困るとか、そういうことはないんですよ。JASRACはきちんと曲の運用をやってきた団体だし、職員さんも非常に優秀でみなさんがきちっと仕事をやっておられるしね。そういう意味では私自身もずいぶん助けてきてもらいました。ただ、そういうこととは別に、実験的な部分への思いがあります。著作権に関して実験的なことができる状態にある曲とか、そういう曲をもっている(私のような)作家というのは珍しいと思うんですよ。実際、ほとんど無理だと思うんですよね、個人がこういう行動に出るのって。で、こういうふうに自分が動いた理由はJASRACがどうのという話ではなく、著作隣接権というものがいまの著作権関連の騒ぎの根っこにあって、そこへの思いからということなんですね。

──そこのところを詳しく教えてください。

1曲の権利にはいろんな要素が絡みます。音楽プロダクションも絡んでますし、音楽出版社も絡んでます。そもそも著作者である作詞家と作曲家が別の人物だったりするし、法律云々とは別に、作家にはいろんな関係者との義理などもあるでしょうし、なかなか難しいわけですよ。で、こういうことができるのは、もう自分だけしかいないだろうと。少なくとも、ある程度大きく育ててもらった曲をもっている作家がこういう実験をすることって、普通は無理だと思うんですね。だけどこういうことは「春一番」のような、よく使われる作品でやらないとまったく意味がありませんから。ただやみくもに著作権フリーにしてもね。埋もれてしまうだけですから。

──キャンディーズの「春一番」は作詞も作曲も穂口さんが手がけた曲ですが、音楽出版社から著作権の主張はない曲なんですか?

「春一番」には音楽出版社の著作権がありません。発売当初(1976年)は渡辺音楽出版と契約していたんですが、いまから約20年前に契約解除して著作権を返してもらいました。続けて出たシングルの「夏が来た!」もそうです。だからこの2曲に関しては、完全に著作権が私の手元だけにあります。こういう、ほかにまったく著作権利者がいない状態をつくり出すことは、ほぼ不可能でしょう。

JASRACは悪者なのか?

──ところで、ネット上で最近JASRACがやり玉に上がります。どこに騒ぎの原因があると思いますか?

実務面ではJASRACはとてもきちんとやっています。ただ、それとは別に内部に組織上の問題点が存在していることは事実です。というのも、JASRACの役員には放送局の関係者が必ず入っているんですよ。設立当初からずっと。

──放送局の関係者が役員に入っていなきゃいけないルールでもあるんですか?

いや、ないです。ただ、ずっと談合でそういう人事が続いているんですよ。そして問題は、その放送局が膨大な曲数に対して著作隣接権をもっており、さらに傘下には著作権利者である音楽出版社をもってるってことですね。例えばフジテレビ系のフジパシフィック音楽出版。あそこはいま、管理楽曲が10万曲を超えてるんです。TBS系の音楽出版社の日音もやっぱり10万曲もってる。放送局が音楽出版社をもって曲の運用に影響力をもつということは、つまりその系列の構図で、著作権料の半分が放送局に入っちゃうということです。番組等で曲を放送したぶんだけじゃないです、一般の人が買ったレコードやCDの売上のぶんもですよ。全部の著作権料のなかから半分は、傘下の音楽出版社を通して放送局がもってっちゃう。つまりそこで著作権料のダンピングが起こっているわけです。そういう真実がある。

放送局は電波をもってますから著作権を簡単に集められる。「曲をテレビで放送してあげるよ」って言われたら、作家はみんな著作権を出版社に渡しますよ。渡さなかったのは私だけです。例えば作曲家の筒美京平さんなんかは放送局と一緒になってやってるわけですよ。だから大ヒット。全部、日音とつるんでやってるわけですから。作詞家の阿久悠さんなんかも大ヒット。阿久さんは日音もありますけど、もっと言えばスタ誕(日本テレビで放映されていたオーディション番組「スター誕生!」)ですよ。つまり日本テレビ音楽出版ですね。で、そうやってテレビで流せば曲は売れますから、作家はみんな著作権を渡しますよ、テレビ局(傘下の音楽出版社)に。

音楽著作権は、本来ならプロダクションがもつべきなんですけどね。プロダクションがタレントを育てて、タレントを売って、曲とタレントの価値を一緒に押し上げてるわけですから。テレビ局は広告収入で儲けているうえに、出版社を介したそういう手法で、著作権をプロダクションから取り上げているわけですよ。その図式でもう何年もやってきてる。だから一時はプロダクションもみんな腹を立てていて、テレビ局と対立してたんです。でも、やっぱり相手の力があまりに大きくて勝てないから、いまは渋々、もうみんな仲間になってうまくやろうか、みたいな図式になってるわけです。でもひどい話じゃないですか。国民のために認可された電波を使って著作権をかき集めてるわけですから。

──「既得権益」などと指摘される理由でしょうか

JASRACの運営権をもつ「理事会」で決定されたことが総会で承認されると、それがJASRACの運営方針になるんですが、その理事のなかに音楽出版社の人間が6人いるわけです。全18人のうち作詞家6人、作曲家6人、音楽出版社代表者6人。その音楽出版社の理事のなかに放送局関係者が必ず2人、入る。で、この2人の意見が強いんですよ、何しろ放送関係なんで。そうして放送関係に有利な著作権徴収規約とか、そういうものができていくわけです。

──2人入るという仕組みは崩せない?

これがね、崩せないんですよ。われわれ作家側の理事も計12人いるわけですけれど、私とか小林亜星さんとかは、そういうのはダメだとずっと言ってきたんですよ。ところが多くのヒット作家は放送局に逆らいたくないんですよ。お世話になってるし、仲よくしてれば仕事もらえるし、大金が手に入るしね。作家も言うこと聞いちゃうんですよ、そういうとこから指令がいくと。自分がよければまずはよしということで、なかなか世の中のことまで考えないわけだ。何しろ作家は仕事をもらってる立場ですから、自分がほされないようにするのに精一杯ですよ。実際、本当にほされちゃいますからね……。仕事なくなったら生活できないですもん。そういう意味では作家というのは弱い立場なんです。

著作権法というものが歴史的になぜ生まれたかと言えば、そもそも作家の救済のためです。音楽なんかやってる人間は立場が弱いんで、メシ食えないんですよ。知らないうちに曲や楽譜を、印刷会社や楽譜出版社に勝手に使われちゃっていた。それをなんとかしなきゃいけないってんでできたのが著作権法なんですよ。なのにいま、その著作権法で儲かっているのは企業です。放送局やその系列の音楽出版社とか、そういうところが儲かってるんですよ。これじゃね、著作権法のもともとの立法の精神に反してますよ。

──責められるべきはJASRACに理事を送り込んでいる放送局のほうである、と。

その通り。いま問題になってることで言えば、例えばYouTubeで視聴者が気に入ってる動画が削除されちゃうと。でもJASRACは何にも削除なんかしていませんよ。むしろJASRACはYouTubeに対して許諾しているんですから。契約を締結していて、いまYouTubeは収入の2%かな、JASRACにお金を払ってますからね。じゃあ動画を消してるのは誰かといったら、あれは権利を主張する企業、すなわち著作隣接権者の仕業なんです。要するにテレビの番組には曲に関する著作隣接権という権利があると。それを盾に消しているんですよ。

そもそも著作隣接権が、著作権と一緒になっちゃっていることが誤解や混乱のもとなんです。現行の著作権法のなかには「著作権」とは別に、著作隣接権者のための「著作隣接権」が規定されています。一般の人がそれをよく知らないのをいいことに“著作隣接権、イコール著作権”と言ってしまっている。わかりにくい話ですが、著作隣接権は著作権法のなかに規定されているので、この著作隣接権というものを、著作権とまぜこぜにして言ってしまっても一応、間違いではないわけです。で、その理屈を使っていろんな場面で「著作権違反だ」という主張が通用してしまうわけですよ。

──まるでJASRACの影で、著作隣接権を主張する企業が暗躍しているかのようです。

そう、それで著作権の管理団体であるJASRACがとばっちりを受けちゃう。

あと、ネット上には”カスラック”などとの中傷もありますね。こんなふうにJASRACが悪く呼ばれるもうひとつの理由には、地方とかの小さなライヴハウスなんかにまで著作権使用料の徴収を徹底しているという点もあるでしょうね。著作権使用料は、法律上は当然払わなきゃいけないものではありますが、それを一般の方が“JASRACによる取り立て”と感じているという部分ですね。

で、なぜそこの取り立てが厳しくなるかといえば、これがまた「放送」との兼ね合いになるんですよ。JASRACがテレビ局から受け取れる放送使用料が安いから、そういうお店からも取り立てをやらないと割に合わない、成り立たないという論理になってくるわけです。私自身はJASRACの評議員をやってたとき、「そういう小さな演奏会とかはただでやらせてあげればいいじゃないか」とずっと言ってましたけれどね。でもそれは放送局が頑として認めなかった。何しろ著作権料ってのは放送局とJASRACが、交渉でそれを決めてますから。ところが、一般の演奏会場とかお店とかはそうじゃなく、JASRACが決めた通りに払わなくちゃならない。不公平でしょ? JASRACは放送局に対しても「決めた料率で払え」って言えばいいわけです。ところが放送局のほうはそれを認めず、頑として払わなかったというわけですよ。

──JASRACはまじめに仕事をして恨まれている?

結局はJASRACの理事会に問題があるということです。いまはなくなりましたが、以前はJASRACのなかに理事会を監査する目的の評議員会という機関もあったんです。昔は理事会に対して「それはダメだ」などと言うこともできたんですけどね。いろんなことが積み重なって、JASRACへのイメージもできてしまったんでしょう。

あと、すごくくだらないなと思うことのひとつが、歌詞サイトの歌詞がコピーできないということ。あれにしたって、いわゆるコピペを許したら著作権料払えっていうような話になってるんです。でも歌詞コピーするぐらい、いいんじゃないですかねえ。私は作家として、歌詞もどんどんコピーしてもらってみんなで楽しんでもらったほうがうれしい。でも、結局そういうのも理事会で決めるから。

さまざまな問題点の原因として、まずは著作権法のなかにある「著作権」と「著作隣接権」の混同が挙げられます。それと、テレビ局系の音楽出版社や大手レコード会社が著作権というものを盾にして、ある種、他者の営業妨害をしているような状況が起こっているという問題が挙げられますね。

著作権と著作隣接権
違法ダウンロードが刑罰化された10月1日からの改正点とは別に、現行の著作権法(昭和45年制定)には「著作権」「著作隣接権」についての定めがある。音楽に限って言えば「著作権」の権利者は作詞家と作曲家であるが、作詞家、作曲家はその曲の広範な運用を任せるために音楽出版社に著作権を渡すことが一般的である。つまり著作権者とは、実質「作詞家」「作曲家」「音楽出版社」の3者ということができる。またJASRACによって管理される著作権使用料の配分は、作詞家と作曲家に25%ずつ、音楽出版社に50%となっている。一方「著作隣接権」の権利者は「実演家(歌手や演奏者)」「レコード製作者(レコード会社)」「放送事業者(テレビ局など)」の3者である。

Busking.” BY iMorpheus (CC:BY)

著作権ガラパゴスを打破するために

──レコード会社にも著作隣接権を盾にとった罪がありますか?

レコード会社系が営業妨害をしていると言ったのは、曲の権利をかき集めて商売している大手のこと。はっきり言えばソニーのことです。ソニーは200万曲もってるって豪語してますよ。実際に著作権自体をもってる楽曲は10万曲ぐらいだったと思いますが。ソニーは細かく会社が分かれているので、ちょっとわかりにくいんですが、まあでも10~20万曲ぐらいはもってますかね。で、それに加えて著作隣接権のなかでの「原盤権」をもってるぶんがある。録音してレコードつくったときに費用を出したっていうわけで、それも一応著作権のなかの権利に含まれていると。ゆえに相当な権利曲数に上るわけです。

ですが、ソニーはiTunesには曲を出さないんですよ。これでまずMac、アップルユーザーを閉め出してますね。著作権を盾に障壁を設けている。これは自分ところのハードを売るための戦略、つまりMacじゃなくVaioを買ってほしい、iPhoneじゃなく「mora」(ソニーグループによる日本の音楽配信サイト)に対応するWALKMAN系の端末を買ってほしい、ということですよ。著作権を盾に、日本国内ではそんなことをしている。アメリカではソニーの曲も全部iTunesで売ってるのにね。アメリカだったらユーザーにすぐ怒られるけど、日本の国民には怒られないから平気でやってる。で、どんどん日本の音楽市場やリスナーのガラパゴス化を進めている。そうして日本の音楽のみならず文化全体を遅れさせている。

皮肉なことに、そのソニーがキャンディーズの音源も全部もってるんですけどね。iTunesでキャンディーズの曲を買ってもらえないってことは、私に言わせれば著作権法違反ですよ。著作権法の第1条には、広く国民一般が文化的所産を使いやすいようにしなきゃいけないって、はっきり謳ってありますよ。「公正な利用に留意しつつ」ってね。ところがソニーのやり方では公正な利用ができない国民が出てきちゃいますよ。そして、なぜそんなことがまかり通ってしまうかというと、著作権というものは、特許と並んで、日本では独占禁止法の除外項目だからなんですよ。まあ特許についてはわかりますが、著作権関連が独禁法の規制対象から除外されちゃってるってことは国民にとっての不利益ですよ。独禁法で著作権のいろんな問題が裁いてもらえないせいで、こんなにいろんな隙間ができてしまうわけだから。

──著作権法が古く、時流に合っていないことが問題ということ?

うーん、著作権法に限らず法律って全部古いので、変化し続ける世の中に法律が追いついていくことはなかなか大変ですよ。ただ、著作権法のなかに著作隣接権が入っちゃってることは大きな間違いです。結局、独禁法のなかに「特許権と著作権は対象外」と書かれているせいで、放送局やレコード会社の振る舞いが著作隣接権者として独禁法規制の対象外になってしまっている。著作隣接権だけは完全に企業側に利用されている権利ですからね。

──では、今後の音楽の扱われ方はどうなっていくといいのでしょうか。

とにかく誰もがもっと自由に音楽を楽しめるべきなんですよ。ご存じと思いますが、アメリカではYouTubeで動画を削除するっていうことはほとんどないですよ。よっぽど犯罪的なものとかでなければね。ましてや著作権の理由で削除するなんてことは行われない。むしろアメリカの大手レコード会社などは、いまやYouTubeからの収益化をさかんに進めています。YouTubeで公開されてるプロモーションヴィデオなどは必ず広告が埋め込まれているでしょう。CDなんてなかなか買われない時代ですからね。音楽の収益構造はiTunes等での曲のダウンロード販売と、YouTube視聴についてくる収益。この2本立てです。

YouTubeにないもの、iTunesにないものは「この世界にないもの」ですよ。そこにないものはもう相手にされない。日本人以外は「mora」なんて知らないですから。YouTube以外にも、もっと画質のいいサイトがいろいろありますよね。Vimeoとか、アメリカではもうかなり普及している。YouTubeと同じ形式の投稿サイトですが、基本的に無料ですぐ観れます。

あとアメリカでは、配信による楽曲販売会社がいっぱいあって、曲のもち主がそういうところと契約するとiTunesへだろうがAmazonへだろうが全部、非常に安いパーセンテージで配信販売の手続きをとってくれるという仕組みが進んでいる。これらはレコード会社に代わる存在です。音楽専門、配信専門だからCDパッケージはやらない。そのぶんプロでもアマチュアでもやってくれます。確かアメリカでパッケージ商売は、去年あたりで配信に比べて売り上げが3割ぐらいまで下がったんじゃないですかね。日本ではそんなに差がまだ開いていないとか言われますが、それは握手券付きとかね、特殊なCDの売り上げのおかげですからね。

──握手券付きミリオンセラーのほか、ヒット曲はおしなべてテレビのタイアップで生まれています。

私も30何年前にはかなり売れてましたから、当時はテレビ局系の出版社からしょっちゅう「曲の出版権(著作権)をくれれば曲を使うよ」という誘いの話がありました。その後も毎年毎年ずっとものすごい数のCMオファーを受けています。キャンディーズの曲に対して金融業界や、パチンコ業界とかからもオファーがある。ひとこと「OK」と言うだけで、私には2千万円の著作権料が入ります。でも主義に合わないものは全部断ってきました。ですからヒット曲が割と少ないんですがね(笑)。まあ、そういう主張をしてきた私がこんなふうに音楽業界でやってこれたってことはありがたいなと思ってます。この考え方というのはずっと変わらないです。

キャンディーズに込めた思い

──音楽をよりよい環境で楽しむために、どんな未来図を描いてますか?

うーん……何しろテレビの力が大きいのでね。テレビ局が使う楽曲を選ぶ編成権を、自分のところの権利優先では選ばせないようにしなきゃいけないっていう点がまず大きなポイントです。だって日本国民が音楽に触れる機会ってのは圧倒的にテレビなんですから。アメリカには日本と違ってテレビ局がいっぱいあって、視聴者は観たいテレビ局を選べます。でも日本では選べない。東京でNHKと民放6社、地方に行ったらもっとチャンネル数が少ないですよね。この状態がよくないなんですよね。そのチャンネル数が少ないところに加えて、大新聞も民放キー曲に乗っかって電波も押さえちゃってるときてる。こういう構図が諸悪の根源。

──メディアの寡占状態がいろんな障害をもたらしている、と。法改正より大事なことはメディアの意識改革ですか?

そうです。だから日本は不自由でしょうがないと思う。でも多くの日本国民は不自由はじゃないと思ってると思う。日本流のメディア社会に慣れて育ってきてますからね。

──ハワイ暮らしを選んだ理由には、日本で感じた窮屈感が影響していますか?

というよりもね、ご承知の通り私のつくってる曲ってのはほとんどアメリカ的ですから(笑)。つまりね、私は子どものころからアメリカンポップスとかアメリカのジャズが好きで、そういうのを聴いて育ってきたんですよ。けれど家が貧乏だったので、すぐにアメリカ留学とかはできなかったんですよね。いまは、おかげさまである程度の蓄えもできたので、子どものころからの夢を実現したいと思っているんです。もうほんと、アメリカの音楽で幸せを感じてきたしね。

だからもっと日本の子どもたちのために、自由に、いい音楽を選んで聴ける環境を、と思ってますね。経済的な理由でCDを買えない子どもたちを対象とした音楽商品の割引制度とか、音楽業界には考えてもらいたいぐらいですよ。

──子どもたちのため、という活動テーマがある?

実は私には、アイドルの曲を聴いて育つ子どもたちにも「こういう方向性で音楽を聴いてもらって次への成長のステップにしてもらいたい」という個人的なテーマみたいなものが昔からあって、で、作曲活動をしてきたんです。でもそれが、いともあっさり崩されちゃうんですよね。ビジネスとの兼ね合いで負けちゃうんですよ。大々的にテレビで放送されちゃうとそっちが勝っちゃうというね。

──テレビの影響力の前で無力さを感じたということですか?

いや、具体的にいうとね、キャンディーズというのはもちろんアイドル歌手ではあったけれども、彼女ら3人のある程度の実力、そして素晴らしいアイドル性という魅力を利用させていただいて、私は音楽的要素でいろんなチャレンジをしていたんですね。1970年代の当時にしては相当に斬新な要素、新しい音楽的な仕掛けを、作曲、編曲面に取り入れてね。音楽的に遅れていた歌謡曲というジャンルに、アメリカンポップス的な要素を入れていったんですよ。そうすることでアイドルの曲を聴いてくれる子どもたちの感性をどんどん上げていこうと思って。ジャズで多用するテンションコードや、ブルース色を出すブルーノートにも耳なじんでもらって。新しい音楽の魅力を知ってもらおうっていう意図でね、ポップスの要素を織り込みながらやってきたんですよ。でもね、関係ないもんね。テレビでピンクレディーやられて、一発でアウトでしたもんね。

──キャンディーズがピンクレディーにやられた?

ジャンルが違うんですよ、キャンディーズとピンクレディーは。同じアイドル歌謡曲でも音楽的ジャンルが違うんです。キャンディーズにはアメリカ的なブルース要素、そしてジャズやロックの要素も入ってるんですよ。一方のピンクレディーにもロックの要素が入っていますけど、でもリズムだけなんですよ。あちらの作曲は都倉俊一さんですが、都倉さんの音楽的ルーツはクラシックなんですよね。ピンクレディーのイントロ聴くだけでわかります。例えば「サウスポー」は、もうハチャトリアン。“ツンタンタン、ツンタンタン、ツンタ”って……ね、イントロから完全にハチャトリアンでしょう?(確かにハチャトリアンの名曲「剣の舞」を彷彿とさせる)

それが悪いってんじゃない。都倉さんなりのクラシックを消化した手法なんでしょう。でも私は歌メロにブルーノート入れたり、アレンジ面でミュージシャンのアドリブを大事にしたりね、黒人音楽的な要素をたくさん入れた作曲や編曲で歌謡曲にトライした、ということです。でもね、テレビの放送でバーン!とやられたらそんな違いなんか伝わらないからね。アメリカンポップなキャンディーズも、クラシック風味のピンクレディーもないんですよ。

──ああ、確かに同じ系統のアイドルという印象が強いですね。

でしょう? 私が昔、作曲やりたいって思ったのは、当時の日本にはあまりにもマイナー調の曲が多かったからなんですよ。演歌もそうだし、歌謡曲でも古いものはほんとマイナー調のものが多くて、音楽的にもスリーコードばっかりでね。で、これを何とかしなきゃと思ってね。もちろんそういうマイナーの曲のいいところもありますよ。でも私が作曲を始めた理由は、そういう思いからでしたね。だからこそ、お小遣いの少ない子どもなんかでも、あまりお金をかけずに自由にいろんな音楽を楽しめるような、音楽的に自由な世の中になっていってほしいんですよね。


JASRACを退会し、より明確に音楽ビジネスへの主張を発信し続ける穂口氏。去る9月3日のTwitterには次のような思いを綴っている。──「メディアの問題です。メディアには、幼年期、少年期、青年期の国民が良質な音楽に触るチャンスを積極的に提供する責任があります。金銭的利益目的の選曲姿勢は早急に止めるべきです。メディアが著作権収入を目的にすると、結果として国民の感性が劣化します」

TEXT BY YUJI NAKAI