東北6県の医師数の推移を調べてみる

ソースはe-statですが、なにぶん古いデータを掘り起こしているので医師数(医療施設従事医師数)の指標は10万人対でしか出していません。つうか、ネットではそう簡単に見つからなかったので御容赦下さい。でもって東北6県の医師数です。現在では足りないところの象徴の様に言われていますが、昔からそうだったかどうかをまず確認してみたいと思います。

少々見難いグラフなのは申し訳ありませんが、1975年当時は全国平均と較べて必ずしも「非常に少ない」訳でもなかったのが確認できます。表で実数の一部を示しておくと、

1975 1980 1986 ・・・ 2010
全国 112.5 127.1 150.5 ・・・ 219.0
青森 107.4 113.7 126.8 ・・・ 182.4
岩手 112.0 119.8 134.8 ・・・ 181.4
宮城 132.4 137.6 150.4 ・・・ 210.4
秋田 94.3 110.4 126.7 ・・・ 203.8
山形 85.9 105.8 128.1 ・・・ 206.3
福島 102.4 110.5 130.9 ・・・ 182.6

宮城は1985年頃までは全国平均を上回る医師がおり、岩手だって1975年当時はほぼ全国平均であり、青森だって平均を僅かに下回る程度です。秋田、山形はさすがに少ないですが、東北6県だからと言って昔から医師がどこも少なくなかった傍証にはなるかと思います。これだけでは判り難いので、対照群を設けてみたいと思います。対照群は「あえて」ですが鹿児島、山口、高知、佐賀のいわゆる薩長土肥です。理由は歴史マニアぐらいにしておきます。とりあえず1975年時点の医師数を東北6県と薩長土肥で較べてみます。
医師数
宮城 132.4
山口 123.3
高知 119.2
全国 112.5
鹿児島 112.4
岩手 112.0
佐賀 108.2
青森 107.4
福島 102.4
秋田 94.3
山形 85.9
千葉 79.8
茨城 73.7
埼玉 67.5
沖縄 53.9

山形が少ないのは間違い無く、その下には千葉、茨城、埼玉、沖縄しかいません。一方で薩長土肥でも鹿児島と佐賀は1975年当時では全国平均以下であった事が確認できます。でもって東北6県と薩長土肥の医学部と設立年を調べて見ます。
大学 現在 設立年
東北6県 青森 青森医専 弘前 1944
岩手 岩手医大 岩手医大 1947
宮城 東北帝国大学 東北大 1915
秋田 秋田大 秋田大 1970
山形 山形大 山形大 1973
福島 福島医大 福島医大 1950
薩長土肥 鹿児島 鹿児島医専 鹿児島大 1943
山口 山口医大 山口大 1947
高知 高知医大 高知大 1976
佐賀 佐賀医大 佐賀大 1976

青色背景にしたのは一県一医大政策時に作られた医学部です。白色背景では東北大が別格になるのですが、それ以外も戦時中の医専とか昭和20年代設立の老舗校としても良いと存じます。医学部設立時期で見ると、東北6県と薩長土肥4県に大差はなさそうに思えます。さて薩長土肥4県はどういう医師数の推移を見せているかと言うと、
とくに高知の増え方が凄まじいですが、いずれの県も全国平均を上回る伸びを示しています。1975年時点ですが、これら10県のうち、秋田、山形、高知、佐賀が一県一医大時の設立で、この当時はまだ卒業生を出していない時期になります。それでも高知は平均を上回り、佐賀はほぼ平均の医師数がいます。一方で老舗医学部がある岩手、鹿児島、とくに青森は平均を下回っています。何故なんでしょう。 医学部設立の恩恵は高知が著明ですが、佐賀もあります。秋田や山形もあるのですが、高知、佐賀に較べると小さそうな気がしないでもありません。この辺は人口比もあるのかもしれませんが、東北6県で見ても面白い現象が確認できます。東北6県の人口は宮城と福島がおおよそ200万人クラス、残り4県は120万程度に分けられます。人口規模が近い4県の医師数推移を表にしておくと、
はっきり2つに分けられているのが確認できます。1950年には医学部が存在していた青森・岩手と、1970年代に新たに出来た秋田・山形に分かれます。でもって理由は不明ですが老舗の青森・岩手が医師数の後塵を拝してしまっているのが確認できます。これも何故だろうと言うところです。 「何故だろう」ではつまらないので、東北6県と薩長土肥4県のマッチ者の推移を見てみます。現研修医制度は2003年から始まっています。県別のマッチ者数と、大学病院のマッチ者数を表にして見ます。ここもあえて東北6県グループと薩長土肥4県グループでの比較です。
年度 大学病院マッチ者数 県別マッチ者数 大学病院が占める比率(%)
東北6県 薩長土肥 東北6県 薩長土肥 東北6県 薩長土肥
2003 1.55 5.09 4.64 6.37 33.5 79.9
2004 0.99 3.75 4.43 5.89 22.2 63.7
2005 0.93 3.14 4.77 5.47 19.6 57.5
2006 1.07 2.72 4.76 4.99 22.5 54.6
2007 0.97 2.83 4.76 4.90 20.5 57.7
2008 1.14 2.75 4.99 4.78 22.7 57.5
2009 1.22 2.98 4.97 5.45 24.6 54.6
2010 0.96 2.35 4.76 5.16 20.3 45.5
2011 1.05 3.23 4.57 5.89 23.0 54.8
2012 0.93 2.66 4.81 5.99 19.4 44.4

医師数は2010年度の人口に基づき、人口10万人対にしています。結構面白い点はあって
  1. 研修マッチ者数は人口10万人対で1人強ぐらい東北6県が下回る
  2. 大学病院マッチ者は東北6県も薩長土肥も減少傾向を示しているが、東北6県はとくに少なく20%ほどしかない
東北6県と薩長土肥の県別マッチ者数の1人強の差は、ひょっとしたら大学病院の魅力と言うか吸引力の差である仮説も出てきそうな気がします。ほいじゃ、県別マッチ者数が医師数の増加とどれだけ連動しているかです。これが確認してみるとすこぶる微妙です。

年度 青森 岩手 宮城 秋田 山形 福島 全国 鹿児島 山口 高知 佐賀
2003 4.4 5.4 4.6 6.3 3.7 4.0 6.1 7.1 5.4 7.9 5.3
2004 3.6 5.3 4.5 5.7 5.0 3.4 6.2 5.8 5.0 6.2 7.4
2005 3.9 5.6 4.8 6.4 4.7 4.0 6.3 5.9 4.6 5.9 5.6
2006 4.4 4.2 4.5 6.4 6.1 4.0 6.3 4.2 4.8 6.4 5.5
2007 4.5 4.4 5.2 5.7 5.4 3.8 6.3 4.3 4.3 5.5 6.5
2008 4.3 5.6 5.2 6.7 5.6 3.6 6.1 3.9 4.8 5.2 6.1
2009 4.5 5.6 4.6 6.0 7.0 3.5 6.1 4.9 5.7 6.0 5.8
2010 5.0 5.3 4.7 4.7 5.6 3.8 6.2 4.3 5.9 6.5 4.5
2011 5.0 5.0 4.2 6.2 5.6 3.0 6.2 5.7 5.3 7.2 6.1
2012 5.5 4.4 5.0 5.4 5.3 3.7 6.2 5.1 5.9 6.5 7.5

う〜ん、医師数が少ない方の県はそれなりに説明可能そうにも見えますが、多い県、たとえば高知県が飛びぬけて多いようにも思えません。高知県とてマッチ者数が人口10万人対で全国平均を下回るが案外多い事がわかります。そうなると面倒ですが、2003年以降の県別の医師数の動向を引っ張り出す必要があります。まず県別のマッチ者数が比較的多い高知と秋田を示します。

続いて10県のうち現時点で医師数の少ない岩手と福島を示します。
どうもなんですが、マッチ者数と医師の増加に高い連動性を示していると見えません。そりゃ少ないより、多い方が良いのは誰でも直感的にはわかりますが、データとしてあまり相関が強いようには思いにくいところがあります。
回帰仮説
たった10県しか分析していないのは先にもう一度お断りしておいて、とりあえず県別の前期研修マッチ者数が医師数を左右しているとは思いにくいところがあります。少ないのは論外で、また多い方が有利なのは否定しませんが、もっと大きな因子が他にあるんじゃないかです。今どきの医師のキャリアアップですが、
    卒業校 → 前期研修病院 → 後期研修病院 → 就職病院 → その次の異動病院・・・
まあ、あらかたこんな感じになります。とりあえず就職病院段階までで3回の選択権が研修医にあります。基本的にそこで「どうするか」を考える事が出来ます。考える因子は様々でしょうが、段階が進むごとに行った先での定着を考慮すると考えます。たとえば前期研修病院の選択理由については、選択条件は案外軽いものも多そうな感触を持っています。それこそ「給料が良さそう」「南国が好き」てなものも無視できない重みをもっているぐらいです。もちろん「やっぱり都会が良い」もあって然るべしだと思います。そういうノリも後期から就職病院の選択になってくるとシビアになってくると見ます。 どの診療科を専門に選ぶか、どういう方面に将来の重点(研究・臨床、最先端・地域医療)を置くか、そしてどこに住むかです。とくに「どこに住むか」は段々と比重が重くなるとも考えます。それこそ自分の医療への指向(研究・臨床、最先端・地域密着)と家庭を持つなんて因子との絡みも入ってきます。それぞれの段階からそのまま定着するとは考えますが、段階が浅いほど流動率も自然に高くなると考えるのは自然です。流動率は必然的に、
    前期研修 > 後期研修 > 就職病院
前期研修段階では流動率が高く、ここの数が必ずしも決定因子にならないと見ます。どう考えてもさらに後の後期研修、もっとも重いのは就職病院の選択段階でしょう。その間に生で医療現場を見続けますから、その経験値が最終的な定着先を決めると考えるのが妥当です。その県に医師が定着するルートは単純化すると、
  1. 前期研修からそのまま定着する
  2. 後期研修ないし就職病院段階で流入する
ここで前期研修からの各段階で流出率が高く、さらに流入率も低ければ医師数は低迷せざるを得なくなるです。今日まとめたデータだけで言えば、流出率は前期研修の大学病院マッチ者数と相関している気もしないでもありませんが、これは今日のデータでそうも解釈できる程度の意見に留めさせて頂きます。それよりも就職病院の魅力の因子の方が大きそうな気がします。


ではどれほどの魅力、たとえば千葉の亀田ほどの魅力が必要かと言えばそうでもない気がします。今日の東北の対照群とした鹿児島、山口、高知、佐賀ですが、言ったら悪いですがそれほど特徴だった県とは言えないと思います。医療に関しても全国に轟く魅力のある県とは思いにくいところがあります。よく言われる大都市の魅力も高いとは思えません。とくに幕末とかに思い入れのある歴史マニアならともかく、地方にある県の一つに過ぎないと見ます。あえて言えば東北に較べると暖かいでしょうか。そこが決定的な地理的要素になるかと言われると、私にはわかりません。

地理的要素に仮に大差がないとすれば、東北も薩長土肥並の勤務病院の魅力を創出するのが一つの鍵になりますし、寒さがカギならばそれを上回る勤務病院の魅力を整えることになると思われます。これは途轍もないハードルと必ずしも思えないのですが、如何なものでしょうか。薩長土肥のレベルが高いのならせめて、

今度の対照県は2010年時点で人口10万人対で213.7人。人口は約140万人で、医大が設置されたのは1947年です。老舗校の割りには1975年時点の医師数は108.5人と少な目ですが、グラフを見ればわかるように2000年頃には東北のすべての県を上回る医師数になっています。2010年時点で全国平均の219.0人を下回ってはいますが、東北最大の宮城県を上回っています。せめてこの対照県を上回る魅力を努力しても良い気はしています。とくに青森、岩手、福島の3県はそう感じます。


老婆心

現在の医師を集め増やす方針として括りつけ枠が頻用されているのは説明の必要もないと思っています。これは上で示した病院勤務までの段階で卒業生を括りつけるのには有用な方法だとは思います。9年なり、弘前大のように12年も括りつければ、地縁だけではなく血縁だって生れ、そのまま居ついてくれる計算も立つかもしれません。

目論見通りに進む可能性もありますが、個人的な懸念は9年なり、12年した頃は医師が一人前になっている時期にあたる事です。いわゆる中堅層です。この時期の一人前医師への需要もまた高いと言うのがあります。そりゃ、即戦力だからです。将来はどうなっているかわかりませんが、15年ぐらいすれば選択枝として開業も浮かんでくる頃です。

9年なり、12年の間にその県の医療、病院勤務に満足してくれていたら良いですが、指折り数えての年季奉公状態なら、医療にとって一番手痛い層がポロポロ抜け落ちる懸念が出てきます。まあ、そんな将来の事を心配するより目の前の目に見える実績の実現の方がきっと重要とされているのでしょう。猫の目変化が常態に近い医療行政下では10年どころか、5年先もどうなっているかは誰にも予想は難しいですからねぇ。