リアルグラフへの違和感

なんか facebook のコメント blog とかに表示するやつに投稿されてるコメント、なんか素直に読めない感じのコメントが多い。・・・うまく言葉にできないので過激な言い方をすると気持ち悪いと感じるというか。ひどい言い方で、すみません。

実名とかで現実のアイデンティティを担保にとれば、コメントとか炎上もなくなってまともになるでしょうって話だったけれど、facebook でそれが現実になってみたが結果的にはぜんぜんまともじゃなかった。

アイデンティティが現実世界のそれだから、いろんな意味で発言の評価が本人に結びつけられた場合のフィードバックが強すぎるんじゃないだろうか。書く側は、なんだか立派なことを言ってみたり思ってもないことを言ってみたりと格好つけるし、読む側からの印象としてはそれ全部がひどいポジショントークに見えてしまって気分が萎える。

たしかに自分も、実名・・・というか現実のアイデンティティが隠せないようになれば、ネット上でもまともなコミュニケーションが生まれるのかなと期待していたところは少なからずある。でも、全然そうじゃなかったというか、逆に、facebook のそのアイデンティティを強く意識してコメントしたりしていそうな人ほど信用ならないようなものができあがってしまった。facebook 的なリアルなコミュニケーションより、2ちゃんねるの匿名のほうがずっとましだ。

facebookのリアルグラフは、本当に現実で繋がりのある人とのコミュニケーションだけに限定してしまえば、すごく有効に機能する。だから facebook メッセンジャーは便利だし欠かせないツールになった。でも News Feed は、実際にはその後繋がりが薄れてしまった人や、そんなに関係のない人とのコミュニケーションも発生するのにリアルなアイデンティティが絡んできて変な感じだし、blog のように現実の繋がりという意味の文脈からずっと遠く離れた場所では、ここに述べたような違和感が充満してしまって、全然だめだ。

そんなわけで、個人的にはやっぱり、変に現実のアイデンティティに紐づけられすぎていない、TwitterTumblrはてなID的なもの、つまりインターネットっぽいもののほうを支持したい、そういう気持ちに至った。

やっぱり、思ったほどには、複雑なものは見通せないもんだ。

追記

今更何を、という人もいるだろうけども、まあ確かに。ただ考えてみれば、mixi とか昔からの実名匿名議論とかはそこから離れようとおもえばいつでも離れられたからそこまで目くじら立てなくてもよかったんでしょうね。

facebook の影響力はそれに比べたら、何気なく blog とか読んでいるところに視界に入ってくるくらい、それなりに大きいし、彼らはそのほかに比べて実名アイデンティティに対してずっと自覚的・恣意的というので、もはや無視し続けていられる存在でもない。なんで、いまこの時期に改めて自分の中でも facebook 的なもののコミュニケーションというのをどうとらえて認識するか、ある程度言語化しておこう、そんな気持ちがありますね。