"不安な船出" SCEの新ゲーム機「PSヴィータ」
ゲームジャーナリスト 新 清士
ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が17日に発売した新型の携帯ゲーム機「PlayStation(プレイステーション=PS) Vita(ヴィータ)」が不安な船出を見せている。初期出荷の約50万台を初日に売り切ることができず、立ち上がりとしては同社のもくろみ通りにいかなかったようだ。現在も「Wi-Fi+3Gモデル」は容易に入手できる模様。本来であれば、目玉機能の一つであるはずの「3G」が活かしきれず、プレイステーションポータブル(PSP)と同様に、「Wi-Fi」を中心に遊ばれるハードとなる可能性が高まってきた。
立ち上がりに苦戦している理由は単純だろう。価格の高さだ。
PSヴィータは、ハード(Wi-Fiモデル)、メモリーカード(8GB)、5000円程度のゲーム1本という最小構成でも、3万3000円程度になってしまい、過去の携帯ゲーム機と比べて割高な印象がする。PS3が2万4980円で販売されていることを考えても高い。
ただ、任天堂がハード性能ではスペックが低い「ニンテンドー3DS」の価格を1万円下げて1万5000円でぶつけてきたのに対して、現時点でSCEにとってPSヴィータを値下げする余地はほとんどない。
PSヴィータはやがて値下がりする
PSヴィータは携帯端末向けとして一般的なARM系の最新チップを搭載している。米アップルのiPhoneやiPad、アンドロイド系端末に採用されているものだ。チップ構成としては、iPad2やiPhone4Sの「A5」、アンドロイド用のタブレットに搭載されている「Tegra2」に近い。
PSヴィータ(画面サイズは5インチ)とタブレット端末(同10インチ前後)はハード構成が違うため、両者の単純な価格の比較は難しいが、タブレット端末の最小構成(Wi-Fiモデル)の実売価格が4万円以上するのが一般的であることを考えると、一見、PSヴィータは安いようにも映る。
逆にいうと、SCEはPSヴィータの価格設定で相当無理をしていると考えられる。
SCEはプレイステーション時代から、「2年でコンピューター性能が2倍になる」というムーアの法則を新規機種に織り込んで、将来計画を立てる。この法則に従うならば、同じ性能のコンピューターのコストは2年で2分の1に下がることになる。
PSヴィータは、今後5年以上売り続けられることを目指したスペック水準を選択したため、こうした高い性能に設定したと思われる。チップのサイズはいずれ縮小していくため、コストの多くを占めるチップの生産コストは急激に下がる。それに合わせてハードを小型化し、同時に値下げをしていくという方法だ。投入する時点での最高のスペックで製品を作り、だんだんとユーザーを増やし、やがて爆発的な普及を目指していく。
これはプレイステーションポータブル(PSP)やプレイステーション3(PS3)でも行われたことだ。2004年に発売されたPSPの価格は当初2万790円だったが、現在も販売されている最新型(08年発売)は1万6800円となっている。PS3は06年の20GBモデルで4万9980円、現在では160GBモデルで2万4980円にまで値段が下がっている。こうした動きを勘案すると、PSヴィータも数年後には2万円を切る程度の価格設定になってくるだろう。
しかし、課題は立ち上がりだ。任天堂は3月に「ニンテンドー3DS」を発売した時、本体価格を2万5000円に設定して苦戦した。発売当初にガジェット(携帯型電子機器)好きなユーザーが一通り購入してしまうと販売が失速してしまう可能性が高い。
PS3が日本国内で普及が進み「ビジネスになり始めた」といわれるようになったのが、発売から3年後の400万台を超えた09年。「ファイナルファンタジー13」が発売されて160万本のヒットを飛ばし、「龍が如く3」や「バイオハザード5」といった40万本超えるタイトルが出るようになってからだ。
当時のヒットの中心は、DSやPSPだった。PS3は表現能力が高いために、ゲームソフトの開発費が1本あたり10億円を超えるのが当たり前だったために、ゲーム会社からは「割が合わない」といわれ続けた。
PSヴィータも同じ問題にぶつかる。ハード性能と表現能力が高まった分、ゲームソフトの開発費の高騰は避けられない。各ゲーム会社にとって新型のハード向けにソフトを開発することはリスクを伴う。ハードが普及していないために開発費を回収できない恐れがあるからだ。このため積極的にタイトルを投入する動きが滞れば、それがハードの普及を遅らせるという悪循環に陥ってしまう。
独自OSの保守コストも課題
また、PSヴィータは様々な妥協の結果として作られた製品という側面を持つため、これが将来にわたってネックとなる可能性がある。
SCEは開発の初期段階では、グーグルのOS(基本ソフト)「アンドロイド」を採用することも検討したようだ。しかし、最終的に自社の独自性を守るため、独自OSを開発する道を選択した。
しかも、インターフェースは、これまでのPS3やPSPとまったく違うタッチセンサーを生かす新しいデザインにした。当然、PSヴィータ用のOSは今後もアップデートをし続けなければならない。
PSヴィータとPS3という概念が違うユーザーインターフェースを持つ複数OSを、個別にアップデートし続ける必要があるわけだ。SCEは「ハードの会社」といわれ、OSなどソフト分野の技術力はそれほど高くないと見られている。過去にも製品ごとにOSを新たに設計する傾向があり、それらを統合的なビジネスモデルへと仕上げていく作業がさほど得意ではない。
この保守コストは、システムの機能追加といったアップデートの遅れを生み、将来にわたり事業の足を引っ張り続ける恐れがある。
妥協の産物か。カード版とダウンロード版の併売
各ゲームにカードスロットを使った「カード版」とネット流通を利用した「ダウンロード版」を出した点も妥協の産物といえるだろう。当初計画ではカードスロットを搭載しないバージョンも検討されたようだ。その分だけハードの値段を下げられるからだ。
しかし、SCEは07年に発売した「PSPgo」でダウンロード販売だけに特化し、大失敗した経験がある。同機種は発売前から小売店の反発を受け、結局、SCE自身が本気でヒットさせようという努力をしなかった。
当面のPSヴィータの目玉タイトルである「アンチャーテッド-地図なき冒険の始まり-」は、カード版が5980円なのに対して、ダウンロード版は4900円。ダウンロード版は、自分で別に購入したメモリーカードを使わなければならないが、価格では1000円以上も安い。任天堂のように、ゲームカード向けの専用パッケージ版と、ネット流通専用のダウンロードゲームという形ではっきり区分けする。
ネット流通の大きな優位性は、柔軟に価格を設定できるところにある。
アップルはAppStoreを通じて、アプリ販売会社が価格を自由に設定できる市場を作ったが、結果的に「超競争状態」が生まれ、わずか1ドルのアプリが並ぶという価格破壊が起きた。
パソコン向けゲームのネット流通で先行する米Valveは、製品寿命が終わり古くなってきたゲームを値下げしたり、クリスマスシーズンなどに合わせて特売をしたり、パッケージゲームと同じ構成のゲームでも、価格を思い切って値下げしてユーザーの関心を集めるといった手法を駆使している。
Valveは販売するゲームソフトに応じて価格を巧みにコントロールすることで、AppStoreのような値崩れを防いでいる。
アップル、Valveの両社がネット流通の特性を活用して新たなビジネスモデルを作ったのは間違いない。
現在のSCEのネット流通の仕組みである「PSStore」では、これまでそうした価格弾力性を利用した戦略を採ってきていない。小売店と深い関係にあるSCEは、今後もそこまで踏み込んだ戦略を展開しにくいだろう。過去の"しがらみ"は大胆なビジネスへと転換する上で障害となっている。
PSヴィータ独占タイトルは限定的か
ゲームを提供するサードパーティーの開発会社は、PSヴィータにどう対応していくのだろうか。
明白なのは、多くのゲーム会社が「クロスプラットフォーム戦略」を選択してくることだ。PSヴィータ独占のタイトルは限られてくるだろう。
PSヴィータが搭載しているチップが汎用的なARM系であるために、同機向けに開発されたゲームは、他のタブレット端末やスマートフォンへ移植しやすいからだ。
もちろん、PSヴィータ特有のコントローラーを使用することはできないが、同じデータを利用することは容易だ。パズルゲームやストラテジーゲームなど専用コントローラーを必要としないゲームも多い。
ゲームソフトの開発会社にとって、いま市場では極めて大きな変動が起きている。あるソフト会社の幹部は、「来年以降のゲーム市場の動向がまったく見えない」と語っている。10億円もの開発コストを投入してゲームを作るのはあまりにもリスクが大きい。開発費はできるだけ数億円以下にとどめ、早期に回収できることが望ましい。
しかもゲーム市場ではソーシャルゲームを中心に「アイテム課金ビジネス」が広がる動きもある。今後もパソコンが主力なのか、スマートフォンが中心になるのか、ゲーム機がリードを続けられるのか……。どのハードが勝つのかがまったく見えない状況にある。
そのため、特定のハードに依存してビジネスをすること自体がリスクになっている。一つのコンテンツを作成したら、それをどのハードでも同じ環境で変更なく動作する形でリリースできることが望ましい。ゲームソフトを開発する立場からすれば「ユーザーが多くのハードで自社のゲームに触れる機会を少しでも増やし、それらの合計によって収益を得る」という仕組みを作っていくしかない。
PSヴィータだけにゲームタイトルが集中するということはあり得ない。そして流通形態は、在庫リスクが発生するパッケージ販売からネット販売への移行が加速するだろう。パッケージ版を出さず「ネット版だけ」というゲームも増えていくと考えてよい。
PSヴィータはSCEのカードスロットを搭載する最後の携帯ゲーム機となる可能性が高い。しかし、中古販売に慣れた小売店やユーザーがそれを支持するためにはまったく違うビジネスモデルが必要だが、現時点においてPSヴィータからその未来は感じられない。
1970年生まれ。慶應義塾大学商学部及び環境情報学部卒。ゲーム会社で営業、企画職を経験後、ゲーム産業を中心としたジャーナリストに。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表、立命館大学映像学部非常勤講師、日本デジタルゲーム学会(digrajapan)理事なども務める。