脱社畜ブログ

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大学では「資格取得」ではなく「興味のある分野の勉強」をしよう

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ちょっと前の働きたくない僕が考えた最良の学生生活プランという記事の中で、大学生はとにかく勉強が本分だから何はともあれ勉強をしよう、ということを書いた。

 

このように「勉強をしよう」といったことを書くと、「分かりました!じゃあ公認会計士をとるため予備校に行きます!」といったような反応をしてくる人がたまにいて、「ちょっと待て」と言いたくなる。誤解のないように書いておくと、僕が大学時代にしておいたほうがよいと言いたい「勉強」は「資格取得のための勉強」ではなく、「興味のある分野の勉強」の方である。今日はこれら二種類の勉強に対する姿勢について少し書きたいと思う。以後は、「興味のある分野の勉強」を「学問」と呼んで資格取得のための勉強と区別することにする(本来の学問の意味とはちょっと違うと思うが、便宜上そう呼ぶ)。

 

さて、繰り返すが、僕は大学生活では「資格取得」ではなく「学問」の方に時間を使うべきだ、という主張をしたい。どちらも勉強は勉強だろ、と思う人はいるかもしれないが、両者にはだいぶ違いがある。

 

「資格取得」の場合、出題分野は決まっているし、問題に対しては正解がきちんと用意されていて、合格点を取ればその資格が取得できる。逆に、出題されない分野にいくら詳しくなっても、その資格は取得できない。資格取得における勉強の重要度は自分の興味ではなく出題率で決定される。資格取得後に手に入る知識は、オリジナリティの無いスタンダードなものだ。これは、そもそも資格の目的がその分野のスタンダードな知識を有していることの証明にあるので、当たり前なことでもある。

 

一方で、「学問」の場合は、出題分野はそもそも無いし、正解が定まっていないものも多い。この世は無数の「知」で溢れており、その知の海を自分の興味のままに泳ぎまわるというのが「学問」だ。こうやって獲得した知識は、その人独自のものとなる。例えば、学問分野Aと学問分野Bが融合して、その人独自の考え方や思想に結実することもある。こういうことをするには、時間がたくさん無いと難しい。だから、僕は学生時代には「学問」に時間を使うのがよいと思っている。

 

もちろん、資格取得も悪いことばかりではない。例えば、自分が何か新しい分野の勉強をしたいと思った場合、自由に泳ごうにもそもそもどこを泳げばよいか分からないという時がある。そういう時は、とりあえず資格取得から始めるというのは悪くない戦略だ。資格の出題分野は、その分野の「基本」をとりあえず網羅している場合が多いので、これを一通り勉強して地図を作った上で、興味のある方向を勉強しにいくというのは賢い方法だと思う(ちなみに、これと同じ役割を大学受験が担っていると僕は思っている。受験勉強は、大学入学後の「学問」の下地作りとしては非常に有益だ。高校生諸君は頑張って受験勉強をしてほしい)。

 

勉強、と聞くと安易に「資格取得」に流れてしまいがちなのは、勉強に「実利」を求めすぎているからのような気がする。「自分の興味に従った勉強」はそれ自体がとても楽しいものだ。役に立つとか立たないとかいうのは二の次である。まずは勉強を楽しもう。そうして、そうやって獲得した知識は、人生という長いスパンで見れば必ず役にも立つはずだ。

 

哲学大図鑑

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