「魔法少女まどか☆マギカ」に感じた断絶の話

各所で話題騒然の本作品、確かに今シーズンの中で頭ふたつ分くらい抜けてる気がします。ただ、3話を見た時点で凄まじい拒絶反応があって、「もうアニメを見るのやめよう」と考えてしまうほどのショックを受けたのでした。こんな作品を生み出してしまうのが今のアニメ界なら、自分の居場所はもう無くなっていたのだ・・・と。

その正体の分からない絶望感について色々と考え、ようやく言語化できそうなレベルに落ちてきたのでまとめてみることにします。書こうかどうか悩んだのですが、まあひとつのケジメとして。

そもそも、このアニメは面白いのか

自分の受け付けない作品を駄作だと言って切り捨てることは簡単。でも、この作品が本当に駄作だとしたら、これほどの感情を引き起こすことはなかったでしょう。

まどか☆マギカ」は面白い。そこを認めないと始まらない。「面白い」という言葉が適切でないとすれば、見ていてすごく引き込まれるし、感情を動かされる作品です。

かわいいキャラクターとスタイリッシュな演出、そして映像美。セルフパロディというような遊び要素ではなく、いわゆる「新房昭之/シャフトらしさ」というものを全力で注ぎ込んだオリジナル作品。そこに虚淵玄というシナリオライターが加わって、全ての要素が3話におけるマミさんの死を最高に盛り上げていました。

拒絶反応とは何だったのか

そんな訳で、3話を見た後に自分の体からものすごい警告が発せられていたのも、マミさんが死んだことによるショックなんだろうと思っていました。

ただ、どうもそういうことではなさそう。俺はアニメで人が死ぬと毎回そんなにショックを受けていたっけ?と考えると、確かにショックではあるけど今までとは少し違うような気がするのです。

1週間ほど足したり引いたりしてグルグルと原因について考えていた結果、残ったものは「マミさんの死のインパクトを盛り上げるためだけに魔法少女の文法を利用した」ということ。

そもそも、「まどか☆マギカ」という作品は非常にオーソドックスな魔法少女モノのストーリーを踏襲しています。飛び道具のように感じられる部分は映像のインパクトでしかありません。

3話目でマミさんを殺すというネタありきで話を作った場合、キャラクターや設定の説明をしつつ、3話までにマミさんに感情移入させることは難しい。特にオリジナル作品であればなおさら。今までのように映像のインパクトでも可能ではあったのでしょうが、そこに魔法少女の文法を入れることで、死のインパクトがさらに引き立つ。

許せないのはまさにそこで。魔法少女を通して何かを描きたいのではなく、人が死ぬインパクトを演出するために魔法少女を使ったということ。もしかしたら今後、何らかの意味を持ってくるかも知れません。しかし、少なくとも3話の時点では、そういう目的だったとしか思えないのです。

本作品が徹底してるのは、魔法少女という要素だけでなく、「シャフトらしさ」という自分自身すら差し出して話を盛り上げてるというところ。今まで積み上げてきた実績を「思い入れ」に変換させて、そして壊してみせる。そりゃあインパクトあるよ。ショックも凄いよ。でも、自分自身を燃料にして視聴者を炎上させるような、そんなやり方で何かが生まれるの?既存のお約束を壊したから凄い?それは社会への反抗として校舎の窓ガラス壊して回るような、安易なルール破りでしかないんじゃないの?

もちろんアニメスタッフが全力を注いでいることは分かります。だからこそ、この作品は絶対に許せない。「魔法少女」というテーマは自分にとって聖域とも言える特別な存在だから。それを壊すためだけに利用する作品を、そんな作品で心を動かされる自分自身を許せなかった。

そして、断絶

・・・っと言うモヤモヤを抱えながら、自分の思いを少しでも希釈しようと感想を探して回ったのですが、そこで感じたのはさらなる断絶でしかありませんでした。

素直な「マミさんが死んでショック」という感想は毒にも薬にもならない感じで*1いいのですが、「虚淵玄の期待通り」と斜に構えた感想があったり、話そのものを放り出してアリスとの関連性を議論していたり、「少女性」がなんたらかんたら、挙句の果てには「大人向けの魔法少女」「これがリアルな魔法少女」などという妄言まであったりして。なんだそりゃ?人が死ねばリアルなのか?唐突な死にリアリティがあるのだとすれば、ケータイ小説をリアルだという女子高生を責められるのか?仮に何かテーマがあったとして、それはここまでしないと描けないモノなの?っていうか、そこまでされないと心を燃やすことができないの?ちょっと待ってよ、どうなってるんだよ・・・。

「リアル」の話は置いとくとして、最近のアニメファンがバカだとは思ってません。昔からアニメファンはバカなんだから。ただ、バカを煽る手段にインスタントさが求められているのは最近の傾向として感じずにはいられないです。インスタントにコンテンツを消化できるインフラとリテラシーを手に入れたアニメファンにとって、おそらく3話が我慢の限界だったのでしょう。

しかし3話ではまともにキャラクターの基盤も作れない。じゃあどうするか?といえば、過去の資産を燃料にするしかない。燃やすだけの世界を作る時間がないから、借り物の世界を燃やすしかない。こういう手段で話を盛り上げさせたのは、他ならぬ自分たちアニメファン自身だったということです。

さて。ここまで考えれば当然気づく。「そんなの昔からそうでしょ」と。そういう結論に考えが至ってしまう時点で、自分はもはや老害でしかない。「今どきの若い人は」「最近のアニメは」というだけの頭の硬いロートル。だとすれば、気づかないふりをしていただけで、今のアニメにもはや自分の居場所は無かったのです。

これからどうしたもんか

ここまでが先週の気持ち。

この作品だけが原因じゃなくて、コップに注がれた水が溢れるように、今まで積み重なったものが閾値を超えたということなのでしょう。作品の方向があまりにもストレートで、魔法少女という自分の聖域に触れるもので、恐ろしく質の高い作品だったから、見ないふりをしていたモノを直視せざるを得なかったということかもしれません。

アニメに捨てられたからと言って、今まで見続けてきたアニメを止めることなんてできるわけもない。他のアニメは楽しめてるし。自分の気持ちが整理できたおかげで、本作品すら4話は普通に見れたしね。

とはいえ、自分とアニメとの距離感については少し見直す必要があるのかも、という思いは感じるところではあります。アニメを見て感想かくのが義務みたいになっちゃってる現状はいかんよなー。これも今さらではありますが。

*1:あくまでも今回のこの目的の場合に限定して。素直な感想は好きです