なぜマスコミは左に傾きネットは右に傾くのか

pikarrr2011-08-07

マスコミが左に傾く「左寄り効果」


自由主義が一人勝ちした現代では、政治的な右、左は経済に関係する。右=保守派とは「小さな政府」で富の分配は自由競争にまかせる。左=リベラル派は政府が税を徴収し富の分配を調整する。簡単にいえば左は民主的な社会は人の手で設計すべきと考える。右は人の力には限界があり「大きな力」に任せるしかない。自由主義の大きな力とは「神の手」である。

マスコミが左に傾くのは構造的な理由がある。公共の場で発言するわけだから、たった一人でも苦しんでいる人がいれば、簡単に「なんとかなるさ」とは言えない。理想論であろうが民主化する方法を考える姿勢が求められる。

古舘伊知郎の滑稽さは象徴的だ。彼はキャラ的にはノリを重視する右寄りっぽい。しかしニュースステーションのあの場に座ると、とたんに全員が幸せなるための仕組みを考えなければならないと、しどろもどろな理想論で言葉をしめることになる。このような発言に責任を求められ理想論を語ってしまう「左寄り効果」はマスコミ、そして知識人に表れる。




左寄り政党の行き詰まり


政治家も、公共人であり、うかつなことはいえず、「左寄り効果」が表れそうだが、彼らは発言の責任よりも、結果を求められる。いくら受けがよい理想論を語ろうが、結果がともなわなければ評価されない。

まさにいまの民主党がそうで、万年野党から調子に乗ってマスコミといっしょに理想論を語っていたら、本当に政権をとって大変なことになってしまった。まったく結果がともなわず、いまではすっかり右旋回して、保守派の自民党となにが違うかまったくわからない。それでも与党に居座り続けている。

リーマンショツク後に、アメリカと日本ともに左寄りの民主党が勝ったのは偶然ではない。ネオリベラルと言われた自由主義経済の自由度を増した右寄り保守派政策が失敗し、左への揺り戻しが起こった。そしていま日本もアメリカも社会設計的な理想論の民主党が行き詰まっている。ただ右左は相対的なもので、アメリカの左が、日本の右より右だったりするわけだが。




ネットが右に傾く理由


おもしろいのはネットの右寄りである。ネット上の発言は小さな放送のようなもので小さな公共性をもつ。特に口頭ではなくテキストで残ることからマスコミと同じように、発言に責任を求められ理想論を語ってしまう「左寄り効果」を持つ。現に初期のネット言論や、いまもブログでは左寄り傾向があらわれている。

しかしネットの匿名性と通信コストがただに近くなることで、無数のテクストが疑似口頭化して溢れて、言いたい放題で言葉への責任などなくなる。逆に祭り的な興奮が公共的な発言力をもつことで、理想論を語る左寄りマスコミのカウンター的に右へと旋回している。

また日本のネットが右に寄るのは、実社会以上に外国と近接してしまうからだ。原理的には日本人のサイトと外国人のサイトに境界はない。どちらもただクリックするだけだ。これらを分けているのは基本的には日本語であるかどうかだ。ネット環境は国境を超越したグローバル化であるとともに、逆に日本語を使うという外国人との差異を際立たせて、自らが日本人であることを自覚させる。

たとえばネットウヨ嫌韓であるのは、韓国人が日本人を嫌っている情報が伝わりやすくなったなどいろいろあるが、また韓国語のサイトを見たときのまったく理解できない疎外感も一因にある。外国語も口頭ならニュアンスを伝えるが、書き言葉では徹底的に読める人の共感を強め、読めない人を排除する。特に英語、中国語に比べてもハングルの理解できなさは大きい。




首相が理想論のみを語ることの無責任


リーマンショック後に日本は左旋回したが、早々と失敗し最近右への揺り戻しが起こしつつあった。しかしこの震災でまた左への揺り戻しが起こりつつある。どうしてもカタストロフィの後には不安から理想論が氾濫して左に寄りやすい。

だから左派がカタストロフィへの危機感を煽って理想論を語ることはマルクスからの伝統である。そして菅の居直りはまさにこのような左の常套手段である。原発の危機感で不安を煽り、理想論を語る。問題は、菅はおそろしいことに政治家、それもなんと首相であることだ。原発依存度を下げるのはよいとしても、彼が首相である以上、理想論ではなく、実働的な計画やそれにともなうデメリットも明確にしなければならない。それをマスコミと同じように理想論のみを語ることで明らかに結果に対する責任を放棄している。

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