これを不条理で変な話だなと笑う人は、映画をよーく見た方がいい ジョエル・コーエン/イーサン・コーエン「シリアスマン」



 映画の冒頭で、ラシ(ユダヤ教聖典学者、シュローモー・イツハーキー)の、「身に降りかかること全てをありのままに受け入れよ」という言葉が表示される。
 敬虔なユダヤ教徒であり、どこまでも真面目な男(シリアス・マン)の主人公に、突如として不幸が連続で降りかかってくる。妻からは離婚を言い渡され、しかも不倫相手は自分の知り合い。この二人に家を追い出されてモーテル暮らしになってしまう。さらに、落第しかけの韓国人の生徒からは賄賂を渡されて、それを断ると親から「名誉毀損だ」と訴えられる。
 そこで彼はユダヤの宣教師「ラビ」に助けを求めに行くが、具体的な指示をくれるどころか、適当な話をされて逆に困惑してしまう。そこで彼が叫ぶのは、「答えをくれ!」という言葉だ。


 この主人公は、あまりに真面目な信者であるがゆえに、冒頭の言葉どおり身にどんな災いが降りかかろうとも能動的に解決しようとは思わない。いくら困っても、いくら悪夢にうなされようとも、神が救ってくれると信じているからだ。
 映画では理不尽なことが彼ばかりに起きているように感じるが、実はそうではない。妻の不倫相手だって理不尽に死ぬし、土地専門の弁護士も理不尽に死ぬ。言ってしまえば、理不尽な不幸は映画の中で平等に起きている。この映画の可笑しみは、彼が自分の身を本気で守ろうとしていないことにある。
 彼は賄賂を渡してきた韓国人学生に「結果の前には行動がかならずある」と言っていたが、まさにその通りなのだ。身に降る火の粉を払わない限り、彼の尻には火が付き続ける。


 コーエン兄弟いわく、冒頭に出てくる5分ほどのエピソードは本編とは関係の無い独立したストーリーとのこと*1だったが、ここで表れてくるのも、「聖書をまるっきり信じていたがゆえに、聖書学者を殺しかけてしまった」という皮肉話だ(ちょっとした情報の行き違いから人が死にかけるあたりは実にコーエン兄弟らしい)。

 他にも、儀式を仕切るくらいの偉いユダヤ教徒が、旧約聖書が破れているのを見てつい「ジーザス・クライスト!」と悪態を吐いてしまう(本筋のユダヤ教ではキリストの存在は認められていないらしい)など、宗教に関する皮肉がたっぷりの作品が「シリアスマン」だ。

 ラスト、父親にある電話が入る一方で、主人公の息子には、嵐という災難が目の前にせまっているシーンで映画は終わっていく。この後彼は、父親と同じように、運命を受け入れて何も行動を起こさないのだろうか? ロックもハッパもやっているその息子は、コーエン兄弟のモデルでもある。つまり、「そんな馬鹿な話ないよね」ということが、この映画の結論なのだ。