ここは起業家の"聖地" 挑戦のチャンスは平等
シリコンバレーの風(1)
今日も雲一つない青空と、澄み切った空気、そして太陽が燦々(さんさん)と輝いている。どこをみても街全体は緑に溢れており、昨晩の深夜の会議でどんなに疲れていても、不思議と気分は高揚し、これから始まる一日にわくわくしてしまう。
朝から近所のベーカリーでは、朝食会と称して、起業家候補者とビジネスマンや投資家が目を輝かせながら、新しい事業の内容を語り合っている。Tシャツにジーンズのラフな格好をした人間と、こぎれいなベンチャーキャピタリストが机を介してコーヒー片手に議論している姿は、朝食会を多用している私の日常の風景にもなっている。
ヒーローになる機会は平等
ここでは、どんなばかげたアイディアをもった人間も、過去に大きな失敗をした事業家も、大学の中退者も、ヒーローになるチャンスが平等に与えられている。
最近は私の住む米カリフォルニア州パロアルト市や隣接するロスアルトス市の不動産は、18日に新規株式公開(IPO)を果たした米フェイスブックの株式を保有している"フェイスブック長者"を見込んで、需要があがっている。
週末のオープンハウスの折り込みチラシは、売り出し物件の情報で溢れている。我が家の修理を担当した大工も、最近は自宅売却前の修復作業で土日返上の忙しさだという。
そういえば、前回、近所の不動産市況が盛り上がったのは、2004年に米グーグルが株式公開をする前後の頃であったであろうか。
グーグルに勤務する奥さんを持つ同僚が、豪邸を購入したのを見た時は、正直うらやましいと思うと同時に、何でグーグルの上場で平社員が億万長者になれるのか不思議にも思った。ちょっと古い言い回しだが、これぞアメリカンドリームなのだと実感した。
この地では、5~10年に一度くらいのペースで、我々の生活や行動を変化させ、政治にも影響し、不動産価格をも変動させるような新興ベンチャー企業が生まれている。この10年ちょっとを振り返っても、グーグル、ツイッター、ユーストリーム、フェイスブック等々、日本の社会にまで直接影響を与えるようなベンチャーが生まれた。
フェイスブックの次は何なのだろう? すでに今朝参加したベンチャー経営者と投資家の集まりでも、次はモバイルだ、教育関連ビジネスだ、ヘルスケアだと侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が展開された。5年もたてばまた新しいベンチャーが世界を震わせているかと思うと、今から心が踊ってしまう。
これが世界中の挑戦者を魅了してやまない、シリコンバレーという起業家の聖地である。
よく聞くシリコンバレーという固有名詞だが、実際にそのような名前の都市は存在しない。米国カルフォルニア州の、サンフランシスコ市からサンノゼ市の間、南北に伸びる約80キロの地域に、シリコン(半導体)業界大手の本社が多く集積している事からそのような名前で呼ばれるようになった。
今では世界で最も注目されているフェイスブック、株式時価総額が世界一のアップル、日本でも有名なツイッター、ユーストリーム、ハイテクの代表企業インテル、シスコ、ヒューレットパッカード、オラクル、アドビ、シマンテック、ヤフー、イーベイ、グーグル等々。世界の情報通信を担う技術企業の本社は、シリコンバレーに密集している。この聖地が存在しなかったら、世界は随分と窮屈で不便な状態が続いていたであろう。
「なぜここは特別なのか?」というミステリー
シリコンバレーがなぜ特別な地なのかと言う問いは、ここで生活し、その変遷を体験し、その村社会のメンバーにしかわからないミステリーでもある。
私はどこにいっても「なぜシリコンバレーは世界に唯一無二の場所なのか?」「●▲にもシリコンバレーはつくれないのか?」「次に来るベンチャーは何か?」「なぜ優秀な技術者や経営者が集まるのか?」「なぜベンチャーキャピタルが多いのか?」などと聞かれることが多い。
私のコラムでは、是非このような皆様が素朴に感じる疑問に対して、できるだけ多くの事例や身の回りで起こる出来事を通じて答えていきたいと思っている。取り上げるテーマについては次のような項目を考えているが、できれば読者の皆様からの質問や疑問を中心に選んでいきたいと思っている。
(1)シリコンバレーの生態系について
(2)ベンチャー創造の仕組み
(3)ベンチャーキャピタルについて
(4)リスクマネーと技術のマッチングの仕組み
(5)ベンチャーキャピタルの意義
(6)日米の起業文化の違い
(7)大学の役割
(8)初等教育とベンチャー精神
(9)産学連携の仕組み
(10)最新の技術トレンド
ただし、シリコンバレーの学術的考察や分析は、既に多くの学者や有識者が過去にも、現在も行っているので、それを繰り返す気は全くない。
ここにあげたテーマにしても、多くの情報は既にネット上に溢れているので、本コラムでは、できる限り現実での出来事をベースとして、現場で何が起こっているのか、それを通じてどう感じたか、何を考えたかを素直に伝える事ができればと思っている。それをきっかけに、読者の誰もが潜在的に持っているベンチャースピリットを揺さぶる事ができれば、目的は果たしたと言える。よって評論家的な考察は期待しないでいただきたい。
毎回のテーマを通じて、一人でも多くの日本人にシリコンバレーの風を少しでも感じてもらい、毎日の生活のスパイスとしてもらえれば幸いである。
最後に、なぜタイトルを平凡とも思える"シリコンバレーの風"に選んだのかを説明したい。
「自由の風が駆け抜ける」
前述のように、シリコンバレーが世界中の起業家たちを引きつける理由は、安定した気候、緑あふれる環境、失敗に寛容な社会、ベンチャーキャピタルを始めとする豊富な資金等々、様々な要因が挙げられるが、私はシリコンバレーのちょうど中心に位置する、スタンフォード大学が極めて重要な核として機能していると考えている。
"The Wind of Freedom Blows"(自由の風が駆け抜ける)。これはスタンフォード大学の初代総長デビッド・ジョーダン氏が掲げた同校のモットーである。当初このスローガンは、時代の背景もあり、生徒や教師が、国家や権威に抑圧されることなく、自由に学問を学び、自由に発言することを意図していたが、今ではスタンフォード大の卒業生が、世界で自由と希望の伝道者となって活躍する期待が込められている。この"風"こそがこの地を特殊な生態系にしているのだ。
まさに、この大学が掲げる自由:それは選択の自由、社会の枠に収まらない自由、そして自分の気持ちに素直に生きる自由に他ならない。
ジョブズ氏にも影響した気風
このスタンフォード大学一帯を駆け巡るそよ風は、卒業生ではないが大学をこよなく愛し、自宅も隣接するパロアルトに住み続けた、今は亡きスティーブ・ジョブス氏(アップル創業者)にも影響した。
ここはあえて英文の味わいを残したいが、スティーブは、「人生には多くの失敗や困難がつきものだとすれば、くじけずに前向きに進み続ける唯一の方法は、自分の好きな事を追求する事であり、実際にする事を愛する事であると」述べている。
Do What you love and love what you do.
特に人生の多くの時間を費やす仕事については、「心から楽しみ満足できる職業に巡り会うまでは動き続けろ」と問いかけた。(日本語字幕付きYoutube映像:http://www.youtube.com/watch?v=XQB3H6I8t_4)
自分の心に素直に従う自由、"Wind of Freedom"はいつでも吹いているのだ。
次回以降はこのスタンフォード大を中心としたシリコンバレーの仕組みについて、一つ一つ解明して行きたいと思う。
(在米ベンチャーキャピタリスト 伊佐山元 gen.isayama@gmail.com)