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黒田総裁のインフレ目標政策の指南役・伊藤隆敏氏、次期総裁との声も

  • 国際的知名度は断トツ、クラスメートにはサマーズ元米財務長官も
  • 理論と政策の融合でGPIF改革を主導、市場に存在感示す

デフレ脱却を目指して異次元金融緩和を進めてきた黒田東彦日本銀行総裁。その柱となるインフレ目標政策を指南した人物がいる。

  長年在籍した東京大学を離れ、2015年からコロンビア大学教授としてニューヨークに拠点を置く伊藤隆敏氏(66)だ。1999年、旧大蔵省(現財務省)で黒田氏の部下だった伊藤氏はその有効性について詳細な説明を繰り返し行った。黒田氏の中で好奇心は確信に変わり、後に日銀総裁として2%の物価目標に向けて猛進していく。

  黒田氏の任期満了が来春に迫る中、伊藤氏は次期総裁候補の1人と目されている。ブルームバーグがエコノミストを対象に6月に行った調査で、黒田総裁再任の予想が最も多い中、伊藤氏の名前も挙がった。財務省や国際通貨基金(IMF)で実務経験を持ち、日本の経済政策へも影響を与えてきた。特に海外での知名度、ネットワークは日本の経済学者では群を抜いている。

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伊藤隆敏氏

Photographer: Kiyoshi Ota/Bloomberg

  「世界中でとても尊敬されている人物だ」-。ハーバード大学大学院時代のクラスメートだったローレンス・サマーズ元米財務長官は伊藤氏について「学者としての素晴らしさと中央銀行のトップのような冷静で安定した気質の両方を兼ね備えている」とメールで回答した。ジャネット・イエレン米連邦準備制度理事会(FRB)議長やベン・バーナンキ前FRB議長たちのグループに属すると評する。

  得意とするのは理論に裏付けされ、現実に即した政策提言だ。旧大蔵省時代の部下だった浅川雅嗣財務官は、伊藤氏について「単に学者と言うだけではなく、非常に現実に即した関心がある」と分析する。国際的な発言力もあり、現在も帰国の度に意見交換を行っていると言う。

  伊藤氏は次期総裁の打診があった場合に引き受けるかどうか明言を避けた上で、誰がするにしても難しい局面でのかじ取りになるとみる。2%のインフレ目標は達成できるはずだとした上で、その先は緩和縮小となり「出口に向かった時にいろいろと難しい事が起きてくる」と指摘。日銀の政策が「うまくいけばいくほど大変な5年になる」と語った。

  また、日銀が出口に向けた試算を公表するには時期尚早だとした上で、手法としては米金融当局の計画を踏襲し、満期を迎えた保有国債を再投資せずに徐々に資産を減らしていくべきだとの見解を示した。

黒田氏との出会い

  黒田氏に出会ったのはハーバード大で客員教授だった90年代前半。黒田氏が財務官となった際に、高校の後輩でもある伊藤氏を副財務官に抜てきした。黒田氏とは波長が合い、経済政策や問題への対処方法など、「考える方向も同じでロジックも同じ」だったと言う。

  伊藤氏は就任間もなく英フィナンシャル・タイムズ紙に個人の意見としてインフレ目標政策を日銀も採用するよう提言する寄稿を行った。事前に黒田氏の承認は取り付けていた。海外で導入例はあったが、物価が伸び悩む日本では有効性を疑問視する声もあり、同政策をめぐる黒田氏との議論も増えていった。  

  2002年、黒田氏は伊藤氏の後任の河合正弘現東大特任教授と論文を発表。日銀は3%のインフレ目標を掲げ、資産購入を通じてマネタリーベースを拡大すべきだと主張した。伊藤氏が日本でインフレ目標を推進する第一人者だという河合氏は「非常に政策に強い、これは彼の大きな強みだ」と話した。黒田氏も15年の中央公論で、伊藤氏から何よりも影響を受けたのがインフレ目標政策だったと振り返っている。

ハーバード

  伊藤氏は1950年札幌市に一人っ子として生まれた。父の森右衛門は小樽商科大学学長も務めた経営学者。北海道におけるエコノミストのパイオニア的存在で、書斎で執筆する姿を見ながら育った。しがらみのない開拓地には「何か新しいことをやっていこう、新しいものを取り入れていこうという気風はあった」と伊藤氏は言う。

  一橋大学で経済を学んだ後、旧大蔵省からの内定を辞退し、同大大学院に進学。悩んだ末に「リスクを取らない選択はない」と、学者の道を選んだ。

  その後、ハーバード大大学院に留学し、79年に博士課程を修了。サマーズ氏やデビッド・リプトン現IMF筆頭副専務理事もクラスメートで、当時、マクロ経済の講義の教べんをとっていたのはイエレン氏だった。在学中に全米経済研究所で助手も勤め、大統領経済諮問委員会(CEA)委員長を務めたグレン・ハバード・現コロンビア大経営大学院学長とも交友を深めた。

  教授となったミネソタ大学では、ノーベル経済学賞を受賞したクリストファー・シムズ現プリンストン大学教授とも同僚として働いた。スタンフォード大学にも籍を置き、米財務次官を務め、次期FRB議長候補の1人とされるジョン・テーラー現同大教授とも知り合った。

  学友との激しい競争に生き残り、論文の執筆に全力を注ぐ中、生活に潤いを与えてくれたのはバイオリン。学生、市民オーケストラで演奏を続けた。音楽仲間を通じて知り合ったピアノ奏者の啓子さんと結婚、2人の娘と1人の息子がいる。

組織の中で

  伊藤氏にとって転機となったのが、94年のIMF調査局上級審議役への就任だ。「白地に絵を書く」学者とは違い、大組織の制約の中で仕事を進めるノウハウを学んだ。実力を証明し信頼を勝ち取っていくのは容易ではなかった。

  IMFでの経験が後の旧大蔵省での仕事へと続き、学者として培った専門性を政策提言に融合させていくスタイルを作り上げていく。伊藤氏は第一次安倍内閣で経済財政諮問会議の民間議員を務めた。第二次政権下では、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)改革の有識者会議座長として、非公式な一対一の話し合いを重ね、妥協点を探って最終提言をまとめ、市場に存在感を示した。

G7 Finance Ministers and Central Bank Governors' Meeting

G7のシンポジウムに、麻生副総理と共に参加する伊藤氏

Photographer: Tomohiro Ohsumi/Bloomberg

  国際会議でも「一番重要なのはコーヒーブレーク」。 議事録が残らない会議場の外で「本音が分かる」と言う。

  伊藤氏は現在も世界中を飛び回りさまざまな発信を続けている。G20の有識者会議ではテーラー氏やジャン・クロード・トリシェ前欧州中央銀行総裁とともに国際金融の統治課題を議論。ニューヨーク連銀の諮問機関にもシムズ氏と参加している。

インフレ目標

  政府・日銀が2%の物価安定目標を掲げたのは黒田総裁の就任直前の2013年1月。黒田総裁は同年4月、2年での目標達成を目指したが、物価上昇は微増にとどまっている。日銀が20日、公表した7月の展望リポートは達成時期を「18年度ごろ」から「19年度ごろ」に先送りし、次の総裁に託されることになった。

  約30年短期市場を見てきた東短リサーチの加藤出チーフエコノミストは目標を掲げたからといって国民のインフレ期待がそこに収れんするほど「甘くはない」と言う。仮に伊藤氏が総裁となれば、黒田氏の政策路線を継続するとみている。物価が低迷する中で政策の失敗は明らかで、過度な期待は失望を生み、目標に縛られることで政策の柔軟性がなくなり「出口がない世界に行ってしまう」との見方を示した。

  前財政制度等審議会会長の吉川洋立正大学教授は、現行政策は金利低下による財政規律の低下を招いていると警告。インフレ2%目標は「長期の目標にすればいい」との見解を示した。吉川氏は伊藤氏の高校の1年後輩で東大では同僚として働いた。政策面での意見の違いはあるが、伊藤氏の日米での業績には敬意を示したいと言い、同世代での「代表選手の1人」だと話した。

  しかし、次期総裁を決めるのは政治だ。伊藤氏は08年に副総裁候補に指名されたが、参院で与党が過半数割れしたねじれ国会で否決された経緯がある。

  伊藤氏は安倍政権が2度延期した19年の消費税率10%への引き上げを支持。安倍首相の側近で経済政策のアドバイザー的役割を担う本田悦朗駐スイス大使に比べると距離はある。本田氏は消費増税には慎重で、伊藤氏と同じく総裁候補として取り沙汰されている。

  伊藤氏は日銀総裁としての「資質を間違いなく備えている」と話すのは、自らもFRB議長候補として名前が挙がるコロンビア大の同僚、ハバード氏だ。伊藤氏は「日本経済、金融政策、それから政策のもたらす国際的な影響に関して卓越した洞察力を発揮するだろう」と述べ、もし日本政府が総裁に選ぶなら「すばらしい選択となるだろう」と電話取材で語った。

 

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