ニュートリノ振動前史

2015年のノーベル物理学賞の受賞理由は、「ニュートリノに質量がある事を示すニュートリノ振動の発見」でした。


どうも「ニュートリノに質量があると何がすごいのか」という方向の解説が多くされているようなのですが、ニュートリノの種類(フレーバー)が変わる振動という現象自体が大発見で、長年の疑問を解決したものだったので、その話を書いてみます。


このブログでは「ニュートリノって何?」というシリーズ物を書いていて、ちょうど「ニュートリノ振動の解説が大変だなぁ」となって勢いを失って更新されていない状態なので、ある意味その続きになります。そもそもニュートリノってなんなのか、という所から読みたい人には長いですがおすすめしておきます。今回の記事だけでも読めるようにしてあるので、重複部分があります。

太陽ニュートリノ

地球で観測出来るニュートリノの発生源の1つに太陽があります*1。太陽の熱の元になっているのは、水素をヘリウムに変える核融合反応で、この反応が起こるたびに電子ニュートリノが出て来ます*2


1960年代の話。当時すでに、太陽の内部で起こっていると思われるこの反応は知られていて、最終的にヘリウムになるまでのルートが3つある事も知られていました。


上の図でppI, ppII, ppIIIと書かれているのが3つのルート。ルートによって、出て来るニュートリノのエネルギーが違ってきます*3。ここにはルート別の割合がパーセントで書いてありますが当時は不明でした。これらの反応は太陽の表面ではなく内部だけで起こっているものなので、太陽から来る光をいくら観測しても割合は分かりません。そこで、ニュートリノを観測する事で、太陽での核反応の測定が直接出来るのでは、というアイディアが出て来ました。

ホームステイク実験

観測出来るはずのニュートリノの数を計算したのはジョン・バーコールという宇宙物理学者でした。太陽の表面温度、半径などから太陽の内部状態を推測して、それぞれの核反応が時間当たりに起こる回数を求めたわけです*4


そして実験を行ったのがレイ・デイヴィスという人。塩素にニュートリノが当たると、ある確率で塩素37の原子核がアルゴン37に変わるという計算がありました。そこでデイヴィスは、サウスダコタ州にあるホームステイク金鉱に水槽を作り、ドライクリーニングに使われる洗浄剤*5を40万リットル貯めました。実験の写真はブルックヘブン国立研究所のページで見られます。


これを放っておくと、洗浄剤に含まれる塩素がアルゴンに変わってくれるわけですが、ニュートリノが反応する確率というのは低いので、これだけの量の塩素を置いても1日に1回も反応してくれません。何週間か待って、アルゴンの原子を数十個集める、という実験というわけです*6。この実験の結果は1968年に初めて発表されて、バーコールの予想の7分の1のニュートリノしか見つかりませんでした。

ニュートリノ振動

バーコールの計算もデイヴィスの実験も初めての試みという事で、当然ながらどちらも疑問視されました。しかしどちらも長年改善を続けて、他の研究者の検証にも耐え続け、実験で見つかるニュートリノの数は理論予想の3分の1ほどで落ち着きました。


実験で見えるニュートリノの数が、理論上の予想と一致しない、というのは「太陽ニュートリノ問題」と呼ばれるようになりました。理論計算が間違っているとすれば、一番近くにある恒星の中で何が起こっているのか分かっていないという事で、それは天文学の視点では大問題になりえます。


この問題の解決策としてニュートリノ振動という現象を1976年に考えたのがブルーノ・ポンテコルヴォとサモイル・ビレンスキーの2人でした*7。もしニュートリノに質量があるとすると、太陽での核反応で生まれた電子ニュートリノが、地球にたどり着くまでに他の種類(ミュー型またはタウ型)のニュートリノに変わることが可能になる、という説です。他の種類のニュートリノはデイヴィスの実験では観測出来ないので、数が減っている事が説明出来るわけです。


この説を検証して、実際に正しい事を示したのが90年代以降の神岡、サドベリーでの実験で、30年続いた問題の解決となったわけです。


最後に物理屋向けに一言。太陽ニュートリノ問題の解決にはPMNS行列による真空での振動だけでなく、MSW効果という物質効果が必要になります。面白い物理なので知らない方は調べてみてください。

*1:ニュートリノの発生源についてはシリーズその3

*2:ニュートリノの種類についてはシリーズその5

*3:ニュートリノの数も違うように書いてしまっていたのですが、どのルートにしても陽子1つが中性子に変わるたびに電子ニュートリノが1つ出て来るので数は変わりません(電子が吸収されるか陽電子が出て来るかの違いはありますが。)

*4:太陽の内部温度に一番大きく左右されるのは、回数で見ると一番少ないppIIIのルートのニュートリノの数で、デイヴィスの実験で主に測られたのはこれでした。他のニュートリノがほとんど見えなかったのは、ppIIIのルートと比べるとエネルギーが低いため。

*5:テトラクロロエチレン

*6:水槽にヘリウムを通すとアルゴンを集められたそうです。アルゴン37は電子捕獲で崩壊するので、これを観測すれば数えられます。半減期は35日。

*7:ポンテコルヴォは、ニュートリノと反ニュートリノの間の振動現象も1969年に提案していました。