子どもたちに必要なのは立派な施設だろうか

2017年10月6日
posted by 空犬 太郎

しばらく前に、建築家の安藤忠雄さんが児童図書館を建設し、大阪市に寄付することが報じられた。9/20付朝日新聞の記事「安藤忠雄さん「こども本の森」建設、寄付へ 大阪中之島」の一部を引く。

建築家の安藤忠雄さん(76)は19日、大阪市北区の中之島公園に「こども本の森 中之島」(仮称)を建設し、大阪市に寄付する考えを明らかにした。

施設の場所や広さなどの概要については、記事では以下のようになっている。

建設予定地は市が管理する敷地で、鉄筋コンクリート造り3階建て。延べ床面積は約1千平方メートル。1階から3階まで吹き抜けの壁一面に本棚を置き、子どもたちが本に囲まれた空間で自由に読書できるようにしたいという。蔵書数などは未定だ。

広さは坪換算だと約300坪。2019年の開館を予定しているという。

なぜこのようなことを思い立ったのかについて安藤さんは、《「新聞や本を読まない子どもが増えている。市民が社会に参加する町として、次代を担う子どもたちを育てたい」と述べ》たとある。本をとりまく世界は、書き手作り手売り手など、関わる人全員にとってなかなかに厳しい状況にあることは間違いない。だから、本の世界や本を読む人たちにとって少しでも利になると思われることは、どんどんやってみればいいと思う。それぞれの立場の人が自分にできることをしたらいいと思う。

その意味で、本が読める施設自体をつくって寄付するというのは、一般人にはまず不可能なことで、そのような思い切ったことをしようという方が名乗りをあげたこと自体は、本当にすばらしいことだと思う。ぜひいいかたちで実現されればとも思う。だから、批判をしようというつもりはない。ないけれど、ただ、気になる点——それは、児童向け施設の書架が《1階から3階まで吹き抜けの壁一面に本棚》というつくりで、子どもたちが《自由に読書できるよう》な場所が本当に実現されるのか、というようなレベルのことではなく、もっと根本的なこと——がいくつか目についたのも事実。

おそらく今回の件に諸手をあげて賛成という気分になれない人は他にもいるのではないかという気がするし、それはぼく自身が気になっている点と重なっているのではないかとも思われるので、問題提起の一助になればくらいのつもりで、三つの点についてふれてみたいと思う。

一つめは、安藤さんが今回の件を思い立ったという「新聞や本を読まない子どもが増えている」のかという問題について。

二つめは、子ども向けの施設をつくったとして、その利用率に影響の大きい対象年代の人口減少がどの程度考慮されているのかについて。

三つめは、安藤さんが寄付されるのは施設のみで、《蔵書集めや運営費用も企業や市民からの寄付を広く呼びかける》とされている点について。

20世紀初頭、ニューヨークのハドソン川公園で子どもたちに読み聞かせをする図書館員(ニューヨーク公共図書館のアーカイブより)

本を読まない子どもは増えているか

まずは一つめ。ここでいう「子ども」がどの層を指しているのかははっきりしないが、一般的な感覚からしても、また施設の仮名称が「こども本の森」とひらがな表記になっていることからも、未就学児・小学生が中心で、上は中学生ぐらいまでのイメージだろうか。「子ども」や「若者」が「何々していない」と短絡的に断じる人は(とくに本の世界では伝統的に)少なくないが、本を読んでいないのは、はたして「子ども」たちだろうか。そのようなイメージを持っている人たちは、最近の読書調査の類に目を通したことがないのではないだろうかと想像されるのだ。

子どもの読書事情に関する本格的な規模の調査には、文部科学省の「子供の読書活動の推進等に関する調査研究」(委託調査)や全国学校図書館協議会・毎日新聞社による「学校読書調査」などがある。こうした複数の読書調査を見ると明らかなことがある。小学生はけっこう本を読んでいる、ということだ。

読書調査と子どもの読書事情にふれた記事「高校生の不読率57%、きっかけや読書習慣を…有識者会議」(8/16 リセマム)を見てみよう。

1か月間に本を1冊も読まない児童・生徒の割合を示す「不読率」は、平成28年度が高校生57.1%、中学生15.4%、小学生4.0%。学校段階が進むにつれて、子どもが読書をしなくなる傾向がみられた。

ここでは大学生にはふれられていないが、大学生に関してはさらに不読率が上がる。小学生は、「朝読」(朝の読書運動)の効果などもあり、また(幸いにもというかなんというか)スマホの普及率もまだ中高生ほどでないこともあり、本は読まれている。

それは(往時に比べれば減少はしているものの)『コロコロコミック』『ちゃお』『週刊少年ジャンプ』などの部数を見ても明らか(各誌の部数については、日本雑誌協会「印刷公表部数」参照)だし、また、『おしりたんてい』や(読書するものではないかもしれないが)『うんこ漢字ドリル』など、最近は児童書から続けて人気作品・ヒットが生まれていたり、子ども向け図鑑が「図鑑戦争」などということばが使われるほど活況を見せていたりすることからもわかる。それぞれ、関連記事をあげておく。「児童書が上位、出版界に異変 残念な動物に大人もクスッ」(9/12 朝日新聞)、「出版界激震の大ヒット本「うんこ漢字ドリル」はいかにして生まれたか」(7/17 毎日新聞)、「子ども向け図鑑:より美しく面白く 理系研究者の注目度↑」(6/29 毎日新聞)。

そして、さらに言えば、この四半世紀で、もっとも読まれた本の一つが『ハリー・ポッター』シリーズであったことをあげてもいいだろう。大人の読者が多く反応したことはあったにせよ、本来のジャンルとしては児童書・YAに分類されるシリーズが出版史上に残る大ヒットになった例である。

子ども人口の減少をどう考えるか

二つめ。しばらく前に出生数が100万人を切ったことが各メディアで報じられた。6/3付日本経済新聞の記事「出生数 初の100万人割れ 16年、出生率も低下1.44」には、《2016年に生まれた子どもの数(出生数)は97万6979人で、1899年に統計をとり始めてから初めて100万人を割り込んだ》とある。

子どもが子どもがとつい簡単に使ってしまうが、では、その「子ども」のうち、小学生が現在何人いるのか、どれくらいの方がご存じだろうか。出版界・書店業界で子どもの本に関わっている人でも意外に知らなかったりするが、約650万人である(平成29年度の文部科学省「学校基本調査」によれば、644.8万人)。

出生率が大幅に回復することは難しいと見込まれているようだから、減少傾向は今後も続くものと思われる。とすると、6年後には、現在100数万人いる小学1年生は100万人を切ることになり、さらに6年後には全学年が100万人を切ることになる。つまり、単純計算では、今からひと回り、12年ほどすると、小学生が現在よりも50万人も減ってしまうわけである。戦争も飢饉もパンデミックも何もなしに、である。50万人というのがどれほど大きな数か、先にあげた児童コミック雑誌の発行部数を考えても想像がつくだろう。

10年強で、利用者として想定されている年齢層が数十万人規模で減少することが統計的に予想されているのである。施設の対象利用者の母数が少なければ、当然、利用される機会自体が少なくなる。子ども向けの施設の場合、その減少を他の年齢層の利用で補填することも基本的にはできない。子ども向けの施設をつくるのはいいが、その際に、こうしたことがどの程度考慮されているのだろうか。

もちろん、この子どもの減少の件は、一施設の問題ではなく、出版界・書店業界全体にとっての大きな問題である。幅広い年齢層に向けた一般書と違い、児童書の多くは、その対象年齢層の読者に読まれやすいよう、内容や表記や本のつくりが徹底的に工夫され、チューニングされた、対象限定性のきわめて高い商品になっている。したがって、対象年齢層の人口減少には、直接的かつ大きな影響を受けることになる。10年後も今とまったく同じようなやり方で子ども向けの本をつくったり売ったりできないであろうことは、他のすべての要因を見ないふりをしたとしても、この児童数減少の1点だけからも明らかである。このこと(出生数が100万人を切ったこと)は、業界でもっと話題になってもいいのにと思う。

「箱」をつくって終わりでいいのか

三つめ。報道で、《蔵書集めや運営費用も企業や市民からの寄付を広く呼びかける》とされている点に不安を感じた人はおそらく少なくないだろう。図書館(という表現は今回の報道では使われていないが、児童図書館的な施設だと思っていいだろう)は、容れ物をつくって終わり、ではない。そのことを多くの人に知らしめるきっかけの一つになったのが一連の「ツタヤ図書館」騒動で、まだ記憶に新しいところだろう。立派な「箱」ができたからといって、それが立派な「図書館」になるとはかぎらない。

安藤さんが寄付するとしているのは、報道からすると「図書館の建物」でしかない。記事では、費用のことだけを言っているのか、選書や運営などの具体的な作業のことも言っているのかははっきりしないところがある。だが、いずれにせよ、選書や運営を、専門の管理会社にまかせずにボランティア感覚の市民や企業にまかせることが想定されているのだとしたら、それは、子どもに本を届けることを軽く見過ぎ、図書館という施設自体や司書の役割や意義、図書館の蔵書というものを過小評価し過ぎだと言われてもしかたないだろう。ある図書館の選書がでたらめだというので、メディアであれほど騒がれたのはついこの前のことなのに、そのような同じ本の業界内での出来事から学んでしかるべき教訓が、まったく活かされていないようにも思えるのだ。

ある特定のスペースを、バランスのとれた蔵書で埋めるのは、そのような作業に従事したことのない人が考えているよりも、ずっとずっと難しく大変なことである。それは専門家の知見が必要な、プロの仕事である。まして、今回は子どもたちが相手なわけだから、大人向け以上に慎重な選書と運営とが行われる必要があるはずだろう。

立派な「箱」があって、そこの本棚に(中身はともかくとりあえずたくさんの)本が並んでいたら、子どもたちは喜んで本を読みに来るだろう……そんなふうに思っているのだとしたら、それはいくらなんでも甘すぎるのではないかと言わざるを得ない。

かつて、バブルのころから崩壊後にかけてのころだろうか、「箱物行政」ということばがよく使われた。箱物=公共施設を建設することに重点がおかれ、その多くに中身が伴わないことを揶揄・批判していう文脈で使われたことばである。今回の件がそうだと言いたいわけではないが、ただ、その発想には通じるものがあるのではないか。そんなふうに思えてならないのである。

以上はいずれも、素人の杞憂なのかもしれない。ぜひ図書館や児童文化の専門家の意見を聞いてみたい。


※本稿は、空犬通信の記事「子どもたちに必要なのは立派な施設だろうか」(2017/9/24投稿、9/29更新)を改稿のうえ転載したものです。

執筆者紹介

空犬 太郎
1968年生まれ。編集者・ライター。書店テーマのブログ「空犬通信」を主催。編著書(いずれも共著)に、『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)、『本屋図鑑』『本屋会議』(夏葉社)、『本屋はおもしろい!!』『子どもと読みたい絵本200』『本屋へ行こう!!』(洋泉社)がある。

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