ガンディーの経済学――倫理の復権を目指して私が孫正義氏の「自然エネルギー協議会」について「エネルギーは経済問題。『正義』を持ち込むのは間違いのもとである」とコメントしたら、彼が「正義を疎かにする経済ほど愚かなものはない」と反論し、たくさんの賛否両論のコメントが来た。その中で目についたのは、ガンディーの「道徳なき商業」の引用である。これは国会の参考人聴取で小出裕章氏が言ったらしいが、彼はガンディーがインドの「商業」に何をもたらしたか知っているのだろうか。

本書は、ガンディーの経済思想をインド出身の経済学者が解説したものだ。ガンディーが経済学を論じたわけではないが、著者は書簡や演説などの断片からその経済思想を再構成している。著者によれば、ガンディーは伝統的な農村の自給自足をベースに経済発展を考えていた。彼の経済思想は、次のベンガルでの演説に端的に表わされている。
ベンガルが、インドの他の地方や外の世界を搾取することなしに自然で自由な生活をおくろうとするならば、トウモロコシを自らの村落で栽培するのと同様に、衣服もそこで製造しなければなりません。
そして彼は工業化や資本主義を否定し、誰でもできる糸紡ぎによって人々が経済的に自立する「自然で自由な」社会をめざした。それは人々が技術をコントロールし、巨大企業の営利追求を否定する「道徳的な商業」である。彼が70年代に流行した「オールタナティブ・テクノロジー」(AT)の元祖とされるのもこのためだ。

こうした思想を美しいと考えるか後進的と考えるかは意見がわかれるだろうが、それを受け継いで道徳によって経済をコントロールしようと考えたのが、国民会議派の社会主義だった。伝統的な農村の自治を尊重するガンディーの思想は、人々の誇りは守ったが半世紀にわたる貧困と停滞をもたらした。インドが「新興国」として発展し始めたのは、90年代に人民党がガンディーの教えを捨てて資本主義を導入してからである。

Smilも指摘するように、再生可能エネルギーを唱える反原発派にはAT以来の巨大技術への反発があり、自給自足の分散型エネルギーが「道徳的」だというイデオロギーがある。それは感情的にはわからなくもないが、太陽光発電においてさえ各家庭に取り付ける分散型システムは効率が悪い。そのコストの大部分は設置の工事費なので、半導体技術がいくら進歩しても下がらない。大富豪ビル・ゲイツがいうように「ソーラーハウスは金持ちの娯楽」なのだ。

孫氏の提唱する「メガソーラー」のような集中型発電所は、ソーラーハウスより効率的だが、ATの原則に反する巨大技術であり、巨額の設置補助金と固定価格買い取りによって利用者の負担を増やす「不道徳」な技術である。それはガンディーの「経済的自立」という条件さえ満たしていない。

もちろん原発も化石燃料も不道徳である。すべてのエネルギー産業は、環境を汚染する不道徳なものだ。資本主義も、きわめて不道徳な経済システムである。「道徳なき商業」を拒否して絶対的な「正義」を求めたら、エネルギー価格は上がり、製造業は出て行き、日本はかつてのインドのような停滞に入る。それも一つの選択だが、絶対的貧困に耐えられるのはガンディーのような聖者だけだろう。