『ハード・コア』はなぜ現代社会と重なった? 山田孝之と佐藤健が抱える空虚の正体

『ハード・コア』が現代社会と重なった理由

 『山田孝之の東京都北区赤羽』(テレビ東京系)、『山田孝之のカンヌ映画祭』(テレビ東京系)などのTV作品で近年注目を浴びた、タイトルに名を冠するほどの存在感を持つ俳優・山田孝之、とぼけた世界観でコアな映画ファンにも愛される山下敦弘監督の「くせ者」コンビ。この、くせ者が新たに挑戦したのが、現代の日本社会に横たわる問題を、下層にとどまる者たちの視点から、ユーモアやファンタジー、セックスやコンプレックスなどを交え痛快に撃ち抜いた映画『ハード・コア』である。

 この二人、どちらも本作の原作となったマンガ作品『ハード・コア 平成地獄ブラザーズ』(作・狩撫麻礼、画・いましろたかし)が愛読書だったという。山田孝之は主演のみならずプロデュースも務め、積年にわたる映画化への夢を叶えている。

 原作マンガが世に出たのは90年代。本作はその一昔前の価値観を振り返り、ノスタルジーを味わう映画……なのかと思いきや、意外にも原作の設定の多くを活かしながら、現代の日本そのものとしか思えない「いま」の感覚にジャストな世界を作り出していた。ここでは、映画『ハード・コア』と現代社会が重なった理由を、作品のテーマを明らかにしながら考察していきたい。

 本作を語るとき、どうしても原作者の狩撫麻礼(かりぶ・まれい)の作風について語らざるを得ない。松田優作監督・主演の『ア・ホーマンス』(1986年)、パク・チャヌク監督やスパイク・リー監督の『オールド・ボーイ』など、映画化されたマンガ原作が複数ある作家で、本作の公開年2018年に死去している。

 狩撫麻礼は、経済格差などの社会問題や文化の問題をテーマとしながら、自身の思想を作品というかたちで熱く表現するタイプの作家だ。読者によっては説教のような暑苦しさを感じて敬遠するかもしれないが、レゲエから考案したペンネームが象徴するように、日本の常識を外部から突き崩すような発想力によって一部の読者を強く啓蒙していくような、カリスマ型の才能を持っていたといえる。

 映画の冒頭でも、原作にアレンジを加えながら、そんな思想性がいきなり活かされる。主人公の権藤右近(山田孝之)が、立ち寄ったカラオケバー。苦みばしった表情を作り、ハードボイルドな雰囲気を醸し出しながら、ずいぶん以前に弟の左近(佐藤健)に入れてもらったボトルからタダ酒を飲んでいると、店内のTVには近年日本でイベント化されているハロウィンに浮かれ、仮装する人々がはしゃいでいる姿が映っている。

「クソが……ッ!」

 思わず口からどす黒い呪詛のような罵倒が飛び出してしまう右近。この象徴的シーンだけで、かなりこのキャラクターの心情や、背景にある思想が理解できてしまう。

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