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医療への「ビッグデータ」「AI」導入が、日本で停滞する理由

技術がどれだけ発展しても、大事なのはそれを扱う人。何が求められるのか。

「医療×ビッグデータ」「医療×AI」がトレンドワードになっている。しかし、これらの技術は、実際に医療をどう変えるのだろうか。

そもそも、「ビッグデータ」という言葉に明確な定義はなく、「AI(人工知能)」もしばしば誤解される概念だ。

このような現状に異を唱えるのが、日米で医療へのビッグデータ活用に取り組む山本雄士氏と津川友介氏。

両氏は「これらの技術に大きな可能性があるのは確かだが、過度に期待されている状況」と指摘する。

問題があるという、日本における「ビッグデータ」「AI」への認識とその弊害。そして、これらの技術を活用するために、求められることとは。

ビッグデータ活用をテーマにしたイベントを主催した山本氏、登壇した津川氏に話を聞いた。

「○○万人を対象にした調査」なら信頼できる?

ーー「医療にビッグデータを導入する」というのは、具体的にどのようなことでしょうか。

津川:そもそも、ビッグデータ、ビッグデータと言われますが、明確な定義はなく、「Excelに入り切らないサイズのデータならビッグデータ」とされることもあります。

ビッグデータはただの「サンプル数が大きなデータ」であり、それ自体が先端技術というわけではありません。では、これを使って、何ができるのか。

例えば、日本には「いい病院を選ぶ基準」がほとんどありません。残念ながら、雑誌のランキング、もしくは口コミのような、信頼性の低い情報に頼らざるを得ないのが現状です。

一方、アメリカでは各病院ごと、病気の病期・病状ごとに「病院の入院日から30日以内に死亡する確率」といったデータがインターネット上に一般公開されています。

患者さんはそれを参考にして、受診する病院を選ぶことが可能です。この膨大なデータはまさにビッグデータであり、それが医療に活用されている事例と言えるでしょう。

このようなデータを公開することにより、重症な患者を診ている病院の医療の質が低いように見えてしまい、患者が誤解するのではないか、もしくは病院が重症患者の治療を断るようになるのではないか、と懸念されるかもしれません。

しかし近年では、より重症な患者を治療している病院と、より軽症な患者を診察している病院の「患者の重症度の差」による影響を取り除いた上で病院を比較する方法(専門用語で「リスク補正」と呼ぶ)が進歩しています。

その結果として、完ぺきではないものの、かなり信頼できる形で病院の医療の質をきちんと比較できるようになりました。前述のような反対意見は、かつてアメリカであったものですが、今ではあまり聞かれなくなりました。

ちなみに、この病院の医療の質のデータはそれぞれの病院が自主的に公開しているものではなく、公的機関がメディケア(*)という公的保険の診療明細書のデータを分析して計算し、公開しているものです。

各病院に「公開してもいいか」という許可も取っていません。医療の質について「患者には知る権利がある」「医療機関には説明責任がある」という考えのもとで、一般公開に踏み切っています。

しかし、日本ではこのようなデータによる「見える化」が、まだ始まったばかり。考え方自体も新しく、医療機関に保管されている患者さんのデータはそれぞれ分断されていて、自由にアクセスできるようにもなっていません。

*メディケアとは、65歳以上の高齢者、身体障害者、透析患者が加入することができる公的保険のこと。アメリカでは、65歳以上になるとほぼすべての国民がメディケアに加入することができる。

山本:私は自分の会社で、健康保険組合などの保険者が保有する健康診断や診療明細書のデータを解析し、保険加入者のヘルスケア対策を打ち出しています。

これもビッグデータの活用事例と言えるでしょう。しかし、このような研究というのは、日本ではまだまだ進んでいません。

多いのは「まずはデータベースを作ろう」という話です。試みとしてはいいのですが、日本的だと感じるのは、集めたデータを溜め込んでしまうこと。

でも、この「溜め込んだデータ」を「どういう目的で使うのか」「誰がどう使うのが最適か」という、流通の導線は、ほとんど考えられていません。

ーー津川さんは医療政策学者ですが、このようなデータを扱う機会も多いのですか。

津川:欧米では「政策の制度設計はエビデンス(科学的根拠)に基づくべき」との考え方が浸透しています。そのため、私のような医療政策学者にとっては、このメディケアのデータを分析するのも重要な仕事のひとつです。

ただし、このデータはそのままでは使えません。メディケアのデータを専門に扱う研究者もいるほど、さまざまなバイアス(偏り)を含んでいる。私も正しく扱えるようになるまで、専門家の指導を受けながら、数年かかりました。

ーーバイアスを見抜けないと、どんな問題が起きるのでしょうか。

津川:人の生命に関わるような重要な局面において、ビッグデータを扱うときに生じるバイアスの危険性というのは、すでにさまざまな形で指摘されています。

例えば、心臓は常に一定のリズムで脈を打っていますが、この脈のタイミングがばらばらになってしまう「不整脈」という病気があります。

昔は、この不整脈がある人に「抗不整脈薬」と呼ばれる薬を使い、脈が正常になるようにコントロールしていました。

「体に異常がある」から「それを正常にする」と「死亡率が低くなる」という予想は、一見すると理にかなっているように思われます。

しかし、1980年代後半におこなわれた、抗不整脈薬を処方された人たちを追跡したデータを分析した研究によって、この抗不整脈薬を飲むことで逆に死亡率が2.4倍も高くなってしまうことが明らかになりました。

患者さんにとって良かれと思って処方されていた薬が、むしろ患者さんの寿命を縮めているという衝撃の結果であり、バイアスを排除することの重要性があらためて認識されるようになりました。

ーーバイアスを排除するには、どうすればいいのですか。

津川:重要なのは、あるデータ(A)とあるデータ(B)の間に、関係があるかどうか。ここでいう関係とは、「AだからBになった」という「因果関係」です。

ビッグデータは、その語感からか「大きければ大きいほどいい」といった発想になりがちです。もちろん、サンプルサイズ(データの規模)が大きいほど、分析の精度が上がるのは事実でしょう。

しかし、ビッグデータを扱う上では、サンプルサイズ(データの規模)よりも因果関係をしっかり判断する方が圧倒的に重要になります。

よく目にする「〇〇万人のデータで明らかになった」という枕詞はキャッチーですが、いくら大きなデータでも、因果関係のないデータを含んでいれば、それは「正確でない数字を過剰に信用している」に過ぎないのです。

だから、膨大なデータの中から、因果関係の有無を判断し、関係があるものだけを抽出し、データをきれいにしなければならない。この工程を経なければ、どんなビッグデータも使えない、ということになります。

ーー日本で医療へのビッグデータ活用が進んでいないのは、なぜでしょうか。

山本:分野横断的な研究やビジネスというのが、日本では少ないと感じます。私は医師であり、会社を経営していますが、医療業界からは「山本は金に目がくらんだ」、ビジネスの世界からは「早く臨床医に戻れ」と言われます。

前者は想定内でしたが、後者は正直、想定していませんでした。ビジネス界の重鎮に呼び出されて、「早く医者に戻れ」とお説教をされたこともあります。このような雰囲気も理由としてあるでしょう。

津川:ビジネスの世界では、PDCAサイクルの重要性が説かれます。実施と検証を繰り返して改善していくというのは、非常に合理的な考え方ですよね。

しかしながら、医療に限らず日本の政策においては、PDCAサイクルが回っているようには思えない。

これは、選挙の度に、場当たり的に票を取れそうな政策が示され、その政策が妥当だったのか、適切に評価されることがほとんどないためだと思います。

それどころか、政策が実現される前に、政権が変わってしまう、といったこともままある。これでは「エビデンスに基づく政策」は夢のまた夢です。

民間にはビッグデータがすでに集積されている。しかし、その活用はまだ、できていません。

日本は高齢化などにより増え続ける医療費のこともあり、課題山積国です。今のうちから大きな課題に取り組んでおかないと、細々とした問題に対処しているうちに、日本という名前の船は沈んでしまう。私はそう懸念しています。

ーー日本の医療にビッグデータを導入すると、何がどう変わりますか。

山本:「診療方法の選択」と「診断」が変化すると予想されます。先に変わるのは「治療方法の選択」でしょう。

ビッグデータの活用により、病院や医師によりばらつきのあった医療のムダが「見える化」されます。このことは、本当に必要な検査や手術だけを受けることにつながり、治療を効率化することが可能です。

患者さんにとっては、今まで「当たり外れ」があった医療の質が均質化されるメリットが大きいものと思われます。

ただし、大きく変わるべきは「診断」だと、私は考えています。というのも、今の「診断」というのは、言ってみれば同じように見える症状の集団ごとに分類された、大雑把なものだからです。

例えば、がんという病気は、さまざまな原因で遺伝子の働きに異常が出ることで発生します。

その原因というのは、喫煙や食生活、ストレス、特定のウィルスによる感染など、後天的なものの影響や、先天性の遺伝子変異まで、さまざまです。

ところが、今の医療では「どの遺伝子の働きの異常ががんの原因だったのか」が特定(診断)されないまま、今、目の前にある病気だけを治療されている場合もある。

しかし、ビッグデータの医療現場への活用が進むことで、これが明らかになれば、原因を取り除けるものについては、取り除くことができます。

また、その異常がおきるメカニズムがわかれば、病気を未然に防ぐことも可能になります。

ビッグデータにより、医療のムダを省けるようになるだけでなく、さらなる医療費のコストカットもできるようになる、と考えられるのです。

津川:アメリカでは、オバマ前大統領が主導した医療政策「オバマケア」についても、「実際に無保険者が減っているのか」「医療の質は向上しているのか」などをメディケアのビッグデータを解析して評価しています。

同様に、日本でも、例えば医師不足や偏在の議論をするのであれば、まずは日本のどこで、どんな病気による来院や手術が年間何例あるのか、というデータを出すべきでしょう。

それを日本の医師の専門や実績のデータと照らし合わせれば、効率よく、適切な配置を実現することができるのです。

もちろん、関係省庁の中では、データに基づいた議論も一部おこなわれているのでしょうが、それが実際に政策に反映されているようには思えません。アメリカのようなレベルでのビッグデータ解析はなおさらです。

AIは「神」ではなく、ただの便利なツール。

ーーしかし、人間の扱えるデータの量には、限界があるのでは。

津川:そのとおりです。ただし、医療政策を決定するプロセスにおいて、エビデンスとなるのはデータであり、そのサンプル数が多ければ多いほど、分析の精度が上がることはお伝えしました。

そこで登場するのがツールとしてのAIです。膨大なデータを放り込み、人間の代わりに分析をしてくれる。大変便利ですが、落とし穴もあります。それは、AIは「お告げをしてくれる神のような存在」ではないということです。

ーーAIも万能ではない、ということですね。

津川:AIが将棋や囲碁の領域で人間の能力を上回るようになったこともあり、AIが「神のような存在」として取り沙汰されることも増えました。

たしかに、AIは物事を予測したり、将棋や囲碁のような決められたルールの中でゲームをしたりすることが得意です。

医療について言うなら、X線やCT・MRI画像から異常のある場所を発見したり、患者の検査結果や日々の行動のデータから病気の有無を予測したり、といったことは、AIにもできるでしょう。

ただし、今のところ、AIは因果関係の分析については頼りになりません。最近でも、NHKスペシャル『AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン』(7月22日放送)の内容が話題になりましたよね。

その理由の1つが、“健康になりたければ病院を減らせ”という表現。番組紹介には“NHKが開発したAIの分析結果から読み解かれたのは、驚きの提言だった!日本の未来へのヒントになるのか。”とあります。

例として挙げられたのは、2007年に財政破綻した夕張市の事例です。財政破綻により、同市では171床の総合病院が小規模(19床)の診療所に再編されています。その後、同市では肺炎やがん、心疾患による死亡率が下がりました。

しかし、これらの事実により「病床数が減ったから夕張市民が健康になった」と結論づけることはできるでしょうか。むしろ、肺炎やがん、心疾患など、重い病気の患者さんはより医療の充実した市外に引っ越したとも考えられます。

重い病気の人が他の市に移っただけでは、本質的な解決にはなりません。このように、AIは因果関係を導き出すのは苦手なのです。

全くの偶然かもしれないし、AとB以外の関連する要素があるのかもしれない。逆に「BだからAになった」のかもしれない。このような状態を「見せかけの因果関係」といいます。AIを盲信すると、それに騙されてしまう。

NHKも放送時には“因果関係はわからない”という留保条件をつけていましたが、それでも“健康になりたければ病院を減らせ!”という表現で“提言”をしてしまっている。私はこれが大きな問題だと思うのです。

例えばワクチン・薬の副作用の有無について、接種された人の個々のデータを収集して分析するような場合、「ワクチンや薬を投与したからある症状が出た」という因果関係を判断することは、人間にしかできません。

この場合、求められるのは因果関係を判断する力。ワクチンや薬と関係ない症状を副作用だと誤解してしまうと、投与を避け、防げる病気を防げないなど、深刻な影響が出かないためです。

ーー医療の分野において、人はどのように「ビッグデータ」や「AI」と向き合うべきでしょうか。

山本:研究者の育成も課題です。日本において、このような分野はいわば、荒野のような状態。データを持っている私のような立場から言えば、社会的インパクトのある研究をする人には、データをどんどん提供したいです(*)。

そのために、私と津川さんで、社会に貢献できるような研究を世の中に送り出すための、コンテストを開催しています。医療関係者だけでなく、データサイエンティストの方などにも、奮ってご参加いただければ。

*ビッグデータの活用において、個人を特定できる情報については、固有の暗号に置換することで、個人の診療履歴の追跡可能性等を維持しつつ、匿名化される。

津川:どんなテクノロジーにも得意不得意はある。よく言われることではありますが「技術がどれだけ発展しても、大事なのはそれを扱う人」、これに尽きます。

ビッグデータよりも、AIよりも、まず求められるのは人間の力。基本ではありますが、それがわかっていないと、落とし穴にはまってしまう。

流行りの言葉に飛びつくだけではなく、その技術をどう人の役に立てるかをしっかり思い描いて、そのために何が必要かを考えるべきではないでしょうか。