この記事は、12月6日の15時30分より東洋文化研究所の第一会議室で行われた、同研究所の安冨歩教授による総図問題に関する説明会の記録です。(木村)

 

総合図書館閉館問題に関する説明会

2016年12月6日 東洋文化研究所第一会議室

談:安冨歩先生(東洋文化研究所教授)

議事録:ut508

 

内部文書ではない

私が学生を通じて提供した資料は「内部文書」と呼ばれているがほとんどの資料は東大ポータルに掲載されており、ただの公開文書である。図書行政商議会の委員会資料だけはネットには載っていないと思うが、見せてほしいと言えば見せてくれるものばかりだ。

これらの資料には、本来ならば、このような深刻な事態になったらお知らせしなければならない事項しか載っておらず、内部性はほとんどない。とっくの昔にきちんと説明されるべきことが出ていないので、継ぎはぎで私が個人的に集めたものを提供したに過ぎず、内部文書というレベルでは全くない。にも拘らず、私が提供した情報がTwitterに上がったときにこれだけのインパクトがあることはそもそもおかしい。そっちの方に問題がある。ユーザーである学生に対する情報提供ばかりか、(総合図書館が閉鎖されたら影響が大きいはずの)他の図書館の職員に対する情報提供も不足している。下手をすると総合図書館の職員も今回の件を知らされていなかったかもしれない。つまりコミュニケーションが全体としておかしくなっている。いろいろなことがぶつ切りになっている。ここが問題の根幹になっていると思う。

 

図書館自身も閉館を知らなかったのではないか

今回の問題は補正予算がついたことに端を発している。その前に、予算が付かないかもしれないと心配しながらも予算を申請するという段階があり、実際に予算が付くとみんな喜んで、作業をし始める。その業務を担っているのは基本的に本部の施設部だ。この施設部が工事を決めるはずなのに、図書館とろくに話し合いをしていないのではないかという気がする。だから施設部は、「予算が付いたので工事をしますね」という調子で工事のことだけを考えて、業者との折衝を始める。工事が決まったら、図書館に知らせる。そのとき図書館は初めて閉館を知る、ということなのだろう。

 

図書館の意思決定は「部局」と比べ機能していない

私が一番驚いているのは、図書館が閉館するという議題が図書行政商議会に出ていないことだ。そもそも図書行政商議会というものが何なのかを説明しないといけないが、その前に大学は部局という概念でできていることを理解する必要がある。法学政治学研究科とそれにぶら下がる法学部は部局であり、東洋文化研究所も部局である。今は大学院重点化で学部の教員はみな研究科に所属し、それぞれの研究科に研究科長、研究所には研究所長というのがいる。そして科所長会議というものがあり、これは上院のようなものである。

一方、総長とその下にくっついている本部は部局ではない。本部は部局よりも上にいるはずなのに、実態としては部局の影響力が大きい。それぞれの部局には教授会があり、そこで具体的なことを決定している。それではいけないということで、本部を強くする動きがあり、本部から部局に指示が下りるような形になりつつもあるが、それでも部局がまだ強い。例えば人事は全て部局で決めている。だから部局の長が集まっている科所長会議は重要なのだ。

さらに部局の他に、図書館がある。総合図書館もその一つだ。教員は図書館長と副図書館長が部局から出向のような形でいるだけで、それ以外は図書館職員しかいない。部局には教員がいて、教授会があって、学生がいて、というように実体があるが、図書館にはそういう意味では実体はない。図書館には本があって、建物があって、図書館職員がいて、それをみんなで利用するという考え方になっている。これでは物事を決められないので、各部局から1人ずつ招集するのが図書行政商議会である。商議とは話し合って決めるという戦前の言葉で、おそらく戦前からあるので回数も「第429回」になっていたりする。

図書行政商議会には大抵は各部局の「図書委員長」が呼び出されている。私は東洋文化研究所の図書委員長。その他にもいろんな会議やワーキンググループなどの人がオブザーバーとして座っていて、後ろの方には図書館職員や事務の人がおり、非常に権力的だ。概ね2カ月に1回開催されて、そこでいろいろなことを決めないといけない。こんなもの機能するはずがないが、ここ以外に決定するところはない。図書館長と図書館職員が、運営上決定や報告しないといけないことがあったら取りまとめて商議会に出し、OKをもらったら実行するようになっている。

部局の教授会は1~3週間に1回くらい集まっている。しかし教授会では人数が多すぎて決まらないので、委員会が下にあって、そこで具体的な決定を行っている。図書行政商議会にも委員会があり、その一つが総合図書館運営委員会。その委員会は商議会のメンバー4,5人から成っているが、年に1回しか開かれず、基本的に機能していない。

 

1人1人は常識があるはずなのに…

11月11日にまず運営委員会に議題が出たが、その時の議題は「改修工事期間中の総合図書館開館計画について」だったが、内容は「閉館に伴って、どういう措置をとるか」というものだった。本来なら、1年間閉める場合は、「1年間閉めてよいか」という議題が出るはずなのに、閉館は既に決まっているというのが怖いところだ。常識的に考えれば、東京大学の総合図書館が1年間閉まるというのはかなり衝撃的な事態である。常識がない人たちで非常識な決定が下されるのであれば、その人を排除すれば済む話だ。しかし、図書館長や図書館職員も、別に常識が欠如しているわけではないのに、このシステムではこうなってしまう。つまり人を入れ替えても同じ結果になるシステムになっているということだ。

皆さん忙しいから、システムを回すことに一生懸命になって、常識的な感覚が揺らいでしまう。そうなると、どこにも人間がいない状態になって、システムだけが高速で作動し、どこに向かっているかわからなくなる。私はこれが、現代社会の一つの病理だと思っている。今回の件ではそれが典型的な形で現れている。

この日私は体調が悪くて、委員会を欠席したが、後で議事録を見たときは、重要な議題が話し合われているとは思わなかった。委員会では閉館するかどうかの話し合いはされなかったのだと思う。

 

沈黙が流れた商議会

11月18日の図書行政商議会での議題も「改修工事期間中の総合図書館サービスについて」というものだが、この議題も既に、閉めるという議題ではなく、閉めるときにどうするかという議題。図書行政商議会は、図書館の運営に関する最も重要な決定機関なのに、図書館を閉館するという決定はしていない。それほど重要な決定があるだろうか。しかし、ここでは既に閉館が決定していて、閉館時のサービスについて話し合っていた。

文科省から施設部に予算が下り、工事の内容を検討する過程で閉館が確定事項となり、そこが図書館に流れていく。学生が困るというフィードバックはなされず、情報が一方向に流れているだけのシステムになっていた。

11月18日の商議会では閉館の報告があった。当初の説明では1,2カ月閉館するという印象で、何人かの先生方は「卒論の時期に被らないようにしてほしい」などと要望していたが、1年間閉めるということが明らかになった。私は「予算が付かないから閉館というのなら理解できるが、予算が付いたから閉館するというのはおかしい」と言ったが、賛同してくれたのは1,2人だけで、他の出席者は沈黙していた。沈黙を続けてもしょうがないから、対策を考えないといけない。「補正予算を3年に延ばすことを本部に要請するとともに、対策を考えてはどうか」と発言したら、対策の話になり、そのまま決まってしまった。で、私は「なぜ1年以内に工事をしないといけないのか、その根拠は何か、その工事の着工を引き延ばすことはできないのか」と訊いたら、答えはなかった。おそらく施設部がその場におらず、図書館としては分からなかったんだと思う。

常識があったら施設部を呼んでおくとかすべきことはあると思うが、閉館が彼らの中では大前提になっていた。工事を決めるのは施設部で、対策を決めるのが図書館、という図式に縛られていた。

 

学生に情報を流してよかった

閉館が決まったので、貼り紙1枚出るだろうと思った。でもそれだけでは学生は気づかず、直前の3月くらいになって大混乱が起きるのではないかと考えて、学生に情報を流した。そして東京新聞の知り合いの記者に教えたくらいで、他には特に何もしていない。

しかし学生がTwitterで流し、かなりの量のリツイートをされた。東大以外の人もびっくりしたと思う。予算が付いたから東大の総合図書館が1年間閉まるというのがかなりファンキーで、この不条理がすごいのだと思う。日本社会はこんな不条理ばかりでできていて、権力に近い人たちはこの不条理に慣れていて、君たちももうじき慣れるだろう。しかし権力の外にいる人は、相当驚くのではないか。

東大生は権力の中枢にいる人たちの予備軍だから、みんなスルーだと思っていた。しかし私の予想に反して、何人かの方が具体的な反対の声を出してくれたので、心強いと感じた。おそらく東大の評価は大きく上がったと思う。マスコミも学生の反対運動がなければ、取り上げるのは難しかったのではないか。私も閉館を通した1人として責任を感じており、学生に情報を提供したが、それがこういう形を作ったので、よかったと思っている。

 

工事計画を元に戻すのは難しい

しかし、基本的には補正予算は1年間と決まっている。しかも一度商議会で通っているので、普通はものすごいエネルギーを使わない限り覆らない。そもそも補正予算は必要が生じたので付けるというのが建前であるが、実際は景気刺激のための額を各省庁が取り合いするものであり、これを「3年間に延ばしてほしい」などと言ったら「本末転倒だ!」と言われる。本末転倒しているのはそっちだ、と言いたいんだけど、「景気刺激のための額だから工事は絶対にやる」というのが権力側にいる人たちの常識。これが本末。これに「学生が勉強できないから3年間に延長する」というのは本末転倒になる。この本末をひっくり返すのはすごく大変だろう。だから東大一丸となって本部や総長が、東大卒の自民党の政治家をたくさん動かすとかしたら大騒ぎになると思うけど、そんなことするだろうかという感じはする。だから当初通りの工事に戻すのは難しい。「せっかく予算が付いたのだから本来の計画通り少しずつ工事を進めればよいではないか」という声を上げるのが当然だが、これが反映される可能性は非常に低い。しかし、同じような不条理なことが日本中で起きていて、それで物事がまともに進まなくなっている中で、せめて東大だけでも違うことが起きればいいな、と切望する。だからこれから目指さないといけないことはかなり重い。

 

貼り紙の衝撃的な文言

11月22日の貼り紙(「耐震改修工事に伴う総合図書館本館の利用制限について(第一報)」)では、商議会資料の「改修工事」から「耐震改修工事」に名前が変わっていて、地震対策のためだからしょうがないじゃないかと言うようなもので、これはずるいと思う。

11月30日の「平成29年度の総合図書館の工事とサービスについて(第2報)」では「完全に閉まるわけではない」と書いてある。これは「直ちに健康に被害を及ぼすものではない」と同じロジックだ。これを堂々と書くのはすごい。

もっとすごいのは、人に誤解を与えたことに対して謝っている。開き直りにも程がある。騒いでいる理由を第一報のせいだと思っている。反対の会のTwitterを見ていない。東大新聞の記事をちゃんと読んでいない。記事を読んだら学生がかなり知っていることが分かるはずだ。私が提供した資料は東大ポータルに上がっているものであり、自分で東大ポータルに文書をアップしておきながら、学生は貼り紙しか見ていないと思っている。東大ポータルは学内の無線LAN(utroam)につなげば誰でも見られる。反対の会の人は詳しく資料を見ているわけだから、何一つ誤解していない。商議会の文書には「ほぼ完全に1年間サービスが停止する」と書いておいて、貼り紙には「完全にサービスが停止するわけではない」と書くというのが衝撃的だ。せめて反対の会のTwitterを見てから書いてほしかった。この人たちは真面目に仕事をしているのだろうか。

 

学生の声でようやく動き出した

その後文科省で学生の会による記者会見が行われ、テレビにも出て、今日(12月6日)科所長会議が行われている。一生懸命仕事をしていると思う。皆さんが声を上げなかったら、ほとんどまともに対策ができなかっただろう。波及が大きいはずの他の図書館の職員にも情報が回っていない中で、図書館同士でも話し合いが始まっていると聞いた。図書館職員の中でも、「ちゃんと話し合いをしていないのではないか」という指摘があったので、ようやく動き出している気がする。しかし具体的にどういうことを考えているのかは、科所長会議で正式に説明しているらしい。その議事録は東大ポータルに出る。それを見れば何が起きているかわかるはずだ。(註:東大ポータルの科所長会議の資料には、新しい情報は出ませんでした)

教育学部の蔵書が耐震工事のために医学部などに避難している。4月から医学部のそのスペースがあるので、そこに学習スペースを確保するという話があると聞いた。これも確認してほしい。開架図書も空いたスペースに持ってきて、出納できるようにするという話も聞いた。閉架も工事の方法を工夫して、できるだけ見られるようできないかという話もしているようだ。それらが科所長会議の議事録に出るか、出てなくても今なら聞くと答えてくれる気がする。真面目に対策しないと大変なことになるということにはなっているようだ。

 

対策は図書館職員の負担になる

ただ、私が非常に心配しているのは、対策すればするほど、図書館職員の仕事が増えることだ。本を動かすとして、運ぶのは業者がすればよいが、本をどう置くかということは考えないといけないし、業者と折衝しなければいけない。出納するとなると走り回って本を取りに行かなくてはならない。果たしてそんなマンパワーがあるのだろうか。そもそも図書館職員はどんどん減らされているし、非常勤職員も非常に多い。この大学は非常に女性差別がきつく、教授は男性ばかりなのに、どういうわけか図書館職員は女性ばかりだ。今後そういう人たちにしわ寄せがいく。対策をすればするほどその人たちは大変な目に遭う恐れがある。それはまずいだろう。対策を考えるのは素晴らしいが、当初の計画通り工事を少しずつ行うべきだという考えは、私は変えるべきではないと思う。工事をゆっくりやれば、トラックが何年も出入りして、不便もいっぱいある。いつまでも工事をしているから図書館も使いにくいし、デメリットも多い。でも職員のことを考えると当初計画の方が安全だと思う。しかし予算の枠組みから言えば当初計画に戻すのは厄介なわけだ。

 

そもそも「開館しながらの工事」は可能だったのか?

当初計画の、開館しながら少しずつ工事することがなぜできることになっていたのかも今になると少し不思議に思っている。Ⅲ-2期ではエレベーターが止まることになっているが、それで開館し続けるつもりだったのだろうか。少しずつ工事するから開館できるという理屈が前から呑み込めなかった。そもそも無理があったのではないか。

こうなってくると、当初計画の方が閉まる期間が長くなることもあり得る。その場合はできるだけの手当てをしながら1年間閉まる方がベストだということになる。

 

全体のことを考えていない

全体的に、ちゃんと真面目に考えているのだろうか、という印象である。ひとりひとりは真面目にやっているだと思うが、仕事はそれだけでは駄目だろう。神輿でも、全員が必至で担いでいても、全員が違う方向を向いていれば止まる。全員が担いで、一斉に同じ方向を向いていなければ動かない。誰かが全体を考えるか、みんなが全体を考えるかしないと、神輿は動かないが、今回の一連のコミュニケーションでは、みんなが全体を考えるシステムになっていない気がする。みんなが自分の目の前のことだけ一生懸命やっていて、神輿が全然動かない。

スペース確保の話でも、一気に500席確保できるということを聞いた。もしそういうことが可能なのであれば、どうして最初から考えないのかという気もするし、本当だろうかという印象である。どこも信じられない気分だ。

バケツリレーで、それぞれはちゃんとやっているのに、全体としてバケツはどこにも渡らなかったということが世の中ではある。今回もそういう状況だが、問題になったので、ようやく「バケツはどこに行ったんだ?」という話が始まったような気もしなくもない。いずれにせよ、全体を考えるようなコミュニケーションが発生したら、事態は良い方向に行くと思う。それを皆さんが引き起こしているようにも思う。しかしここで終わったら、またすぐに戻るだろう。だから東大新聞やマスコミなどが繰り返し訊くことが大切だ。

 

質疑応答

―今日の科所長会議ではどのような内容が諮られるのか。

まだ分からないが、おそらく今回の事態に関して学生の声を研究科長が代弁しないといけないので、それに対して総合図書館がお詫びをしないといけない。何らかの意思表示がされるとともに、今までに出ている代替案が示されるのだと思う。それと同時に、各学部の図書館に総合図書館の機能の一部を移転するので、それに関するお願いもすると聞いた。今回の事態で騒ぎになったこともお詫びをしているのではないか。

 

―次回の商議会はいつか。

1月17日。たぶん正式な代替案がそこで示されるのだと思う。間に合うのだろうか。

 

―商議会で最初に閉館の案が出たのは10月。それ以前に出ていたのか。

出なかった。5月には科所長会議に工事の話が出ている(註:その時点では閉館の予定はなし)のに、商議会には工事の話そのものが出なかった。

 

―ネットニュースでは、出回っている情報は「たたき台」と出ていた。

会議資料には「(案)」と書いてあるが、工事に関してはそのまま決まった。対策についてはその後いろいろ話し合った。

 

―実務として、段ボールなどに入れて貸し出しはできるのか。

段ボールは積み上げるから、出納はできない。貸し出す場合は本棚に入れないといけないが、それをやっている間に1年間過ぎてしまうだろう。対策は小手先、焼け石に水だ。それ以上すると図書館職員の命を脅かす。

 

終わりに

今回の件で学生は学費の返還要求をすればよいのではないか。図書館に座って勉強や読書ができるというのは、東大が提供している数少ないポジティブなサービスだ。

今回の問題は、単に図書館の問題ではなく、東大全体のシステムの作動の問題、さらに東大的文化によって支配されている日本社会の一表現だと思う。