Was There Then vol.4: 佐野元春 / The Circle
- アーティスト: 佐野元春
- 出版社/メーカー: エピックレコードジャパン
- 発売日: 1993/11/10
- メディア: CD
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「十代のカリスマ」尾崎豊が亡くなったのは1992年、僕が小学校6年生の初夏のことだった。翌年に中学生になった僕たち同級生の中で、不良っぽいことに足を踏み入れ始めた数人の友達が、前年に亡くなったばかりでテレビや雑誌でもまだまだよく取り上げられていた「十代のカリスマ」尾崎豊を聴き始めた。不良っぽいとは言ってもせいぜいあの頃に1学年80人強しかいないような規模の田舎町でのことで、そういう同級生も、別に不良っぽくもない僕にも尾崎豊のCD(をダビングしたカセットテープ)を貸してくれたんで、別に不良っぽくない僕も、尾崎豊を聴いてみた。
行儀よくまじめなんて出来やしなかった 夜の校舎窓ガラス壊してまわった
信じられぬ大人との争いの中で 許しあい いったい何 解りあえただろう
そりゃ確かに僕も、行儀よくまじめなんて出来やしなかった。けど、夜の校舎窓ガラス壊してまわった、なんてことはなかったし、したいと思ったこともなかった。そりゃ確かに僕にも、信じられぬ大人(=教師)はいた。けどそれ以上に、信じられる大人(=教師)がいた。いや、信じられる、なんて大上段からの物言いになると何か違うな。単純に、学校へ行くことに大人への反抗なんて意味を付与する必要のないような付き合い方をしてくれた、そんな先生がいた。
先生は、佐野元春って人の大ファンだった。先生は、休み時間に何度も佐野元春って人のカッコよさを語ってきた。ちょうどその頃、何かの車のCMで佐野元春って人の歌が流れていた。先生はその歌のカッコよさを、まるで自分のことのように誇らしげに語ってきた。
いつか君と少しだけ話したい Rain Girl
いつか君と少しだけ踊りたい Rain Girl
楽しいときにはいつも 君がそばにいてくれる
哀しいときにはいつも 君のくちづけに舞い上がる
歌詞の意味は正直よくわからなかったけれど、確かに今までテレビで聴いていたような音楽とは少し違った感じで、不良っぽいことに足を踏み入れ始めた友達に少しだけ羨望のまなざしを送っていた、けれど別に不良っぽくない僕も、佐野元春って人のこの曲は、カッコいいなと思った。そして僕は、佐野元春って人のやってる音楽が、僕にとってのカッコいい音楽なんだと、そう思うことにした。
何かの車のCMで流れていた曲も入った佐野元春のアルバムが、僕が中学生になって初めての冬に出た。先生は早速、佐野元春の新しいアルバムの素晴らしさを、まるで自分のことのように語ってきた。中学生になって少し増えたお年玉で、僕も佐野元春の新しいアルバムを買った。僕にとって初めての佐野元春のアルバムを買って、聴いた。
佐野元春の音楽が、僕にとってのカッコいい音楽だと、そう思うことにしたのに。それまでテレビから流れてくるような音楽しか聴いていなかった僕は、佐野元春の新しいアルバムを、僕にとって初めての佐野元春のアルバムを、どうしても、カッコいい音楽だと思い込むことができなかった。何かの車のCMで流れていた曲は、もう間違いなくカッコよかった。どういうことを歌っているのかはわからないけれど、曲の勢いとわかりやすいサビは、もう間違いなくカッコよかった。他にもそういう曲が何曲かはあったんだけど、それ以上に、たぶんカッコいいのかなとは思うんだけど、勢いのある曲調ではなく、そして何より歌詞が難し過ぎるような、そんな曲の方が多くて、そういう曲たちが過半を占めるアルバムを、これはカッコいい音楽なんだという思い込みだけで聴きまくることは、中1の僕には、やっぱり難しかった。
3年間なんて、10代の少年にとっては本当にあっという間だ。僕は中学校を卒業して、毎日先生と顔を合わせて喋ることもなくなり、U2が大好きな新しい担任の先生と喋るのを楽しみのひとつにしていた高校1年生の夏休み、いつものように「HEY!HEY!HEY!」を観ていた。新しいアルバムを発売するのに合わせて、佐野元春が出ていた。そういえばと久しぶりに、3年前の佐野元春のアルバムを聴いてみた。3年前に聴いたときよりはカッコいいなと思えた気もしたけれど、新しいアルバムの方がもっとカッコいいなと思った。
それからも、佐野元春が新しいアルバムを出してそれを聴く度に、そういえばとCD棚から引っぱり出して聴くのは、決まって僕が初めて聴いた佐野元春のアルバムだった。「The Barn」、「Stones and Eggs」、「THE SUN」、「COYOTE」、「月と専制君主」、そして先月出たばかりの「ZOOEY」。すごく響いたり、いまいち響かなかったり。新しいアルバムの響き方は、その時々で違った。その一方でなぜだろう、僕にとって初めての佐野元春のアルバムは、引っぱり出して聴く度に、どんどんどんどん響くようになっていった。勢いのある曲調でもなく、そして何より歌詞が難し過ぎるような、そんな曲たちが、どんどんどんどん響くようになっていった。
重い荷物は捨てて 遅すぎることはない
中1の僕が、重い荷物を背負っているはずがなく。
何か昨日よりもステキな気持ちで 久しぶりの仲間たちに会いに行く
中1の僕に、いつも会ってる以外の仲間がいるはずもなく。
もう僕は見つけに行かない もう僕は探しに行かない 時間のムダだと気づいたのさ
中1の僕は、見つけに行ったり探しに行ったりするのに夢中で。
中1の僕に佐野元春のカッコよさをまるで自分のことのように語ってきた先生は、今の僕より少し若いくらいの年齢だったと思う。重い荷物もあったのかな。久しぶりに会いに行きたい、そんな仲間たちもいたのかな。見つけに行ったり探しに行ったりすることに倦んでしまうような、そんな気持ちになる日もあったのかな。
もう15年以上も会っていない先生、僕は、いつか貴方と少しだけ話したい。
あの頃、先生がどんな気持ちで佐野元春のカッコよさを語ってくれていたのか。あの頃、先生がどんな気持ちで佐野元春を聴いていたのか。僕もあの頃よりは理解できるんじゃないかって、そんな気がします。
今の僕は、佐野元春のカッコよさを、もう何の留保もなく受け止められている気がします。今の僕は、先生が佐野元春のことを好きだったのと同じくらいに、佐野元春のことを好きになっている気がします。今の僕は、先生のことを好きだったのと同じくらいに、佐野元春のことを好きになっている気がします。