本書は、作家阿川弘之の著書「山本五十六」「米内光政」に対する全的な反駁を意図として書かれたものであるらしい。しかし、この三村文男という人は、物書きではない。青春を戦中に送り、敗戦の年(1945年)に東大医学部を卒業した医者で、神戸の開業医である。その医者が、なぜこんな、文筆を商売とする作家に喧嘩をふっかけるような本を書いたか。
戦中に青春を送った者となれば、当然、多くの友人知人が戦死している。それも学徒出陣で戦場に駆りだされ特攻という愚かな戦術の犠牲となっての果にである。その死に対して、三村には当然生き残った者としての後ろめたさがある。その後ろめたさ振り切るには、彼らの死を無駄にしない努力をしなければならない。それが、死んだ者へのせめてもの償いである。この執筆動機は「レイテ戰記」を書いた大岡昇平と同一である。
死者の多くは、戦争を発起しそれを継続した者のウソ八百を信じて死んだ。まずそのウソ八百をあばかなくてはならない。忙しい開業医がそんな事を行うのはとんでもない労苦が伴うはずであるが、それでもそうせざるをえない。その情熱の火のもととなっているのは、現在でも戦中のウソ八百を糊塗し、それを商売にする阿川のような物書きをやっつける必要があると信じているからである。本書で米内光政と山本五十六を槍玉にあげるのは、偏に阿川がこの両者を称賛し、それが世間に罷り通っているらしいという現状があるからである。本書の著者である三村には、これが我慢できない。ウソもいい加減にしろ。これが三村の言いたいことの大半だろう。
果して三村が正しいのか、阿川がいい加減なのか。これは読者が両方の著作を読み比べて各自が判断を下すよりしようがない。こんな著作は商業的批評家の批評の対象とはならない以上、どうしてもそういう事になる。
しかし、そこでだ。
作品の面白さという点からいえば、阿川の作は商売人の商品であって、素人の作品にすぎない三村の及ぶところではない。資料の渉猟の度合いからして、素人は商売人にはかなわない。これは当然である。
しかし、事は歴史上の真実ということに係わる。
そうなると、商売人の作品は、商売のために筆を曲げるということが多々あり、それが判然となってみると、そのイヤラシサは見るに堪えないということが少なくない。
三村の文章は多分に主観的でクドクドしており、明晰を欠くため読んでいてメンドクサクなる箇所がある。作家はそういう文体はとらない。これも当然である。作家の作品は何より読者を楽しませることにある。そうでなければ、商売のモトが取れないからである。しかし、素人はそこがちがう。それで売れようと売れまいと、言いたいことが言いたいのである。三村にしてみれば、とにかくウソを暴きたいのである。そのウソを信じて己の命を捧げた友人知人に、それを以て鎮魂の言葉としたいのである。
米内、山本は名将であるか愚将であるか。こんなこと、今になってみればわかり切ったことだ。満洲事変以後の時代の大臣、軍人(大将、中将、少将)に名将の名に値するような人物は日本には皆無だった。そうした政治や軍部を批判しつづけたのは言論界にあって桐生悠々ただ一人であったが、その桐生は日米開戦前に窮死させられていた。日本の不幸はそこにある。
戦後、アチラコチラと責任追及をしようとしたが、万世一系の天皇制下の無責任体制のもとではそれも成功せず、それが一億総反省と言われた所以であるが、それで済ませてしまったので、日本の不幸は今なお救うことができずにいる。フクシマのカタスタロフィーを見たまえ。私見によれば日本は破産しかかっているはずだが、今を危機と捉えている人がどれだけいるか。そこへもってきてオリンピックだと?諸君一つとっくりと考えてくれ。小生は82歳でソロソロ終わりだ。
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米内光政と山本五十六は愚将だった: 海軍善玉論の虚妄を糺す 単行本 – 2002/7/1
三村 文男
(著)
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- 本の長さ372ページ
- 言語日本語
- 出版社テーミス
- 発売日2002/7/1
- ISBN-10490133106X
- ISBN-13978-4901331067
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
第二次世界大戦、日本敗戦の責任として「陸軍悪玉論」「海軍善玉論」が主流だが、実は海軍こそ「悪」だった。昭和悲劇の水先案内人だった海軍大将米内光政と山本五十六の大罪を新視点で喝破する。
登録情報
- 出版社 : テーミス (2002/7/1)
- 発売日 : 2002/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 372ページ
- ISBN-10 : 490133106X
- ISBN-13 : 978-4901331067
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年5月11日に日本でレビュー済み
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この著者の言われる通りだと思います。著者の友人たちやそれ以降の日本人が苦労したことの原因を作ったのはこの2人の行動だと思います。ハワイに行ってアメリカ人の怒りを買い。そのままハワイから帰国し、ミッドウェイで敵を圧倒する戦力を持ちながら自分達上官の面目ばかり気をつかい敗戦。敗戦の責任も取らず、ガダルカナルの戦いも敗戦。多くの兵士を餓死至らしめる。支那事変を拡大させたのも米内!戦争の泥沼に引きずり込んだのは米内・山本コンビ
2015年9月10日に日本でレビュー済み
東京裁判で裁かれたのは日本陸軍のみであり海軍からは絞首刑者を出していない。 これから海軍は善玉で陸軍は悪玉と解釈されてきたが実際は全く逆であると著者は反論する。 重慶無差別爆撃を行ったのは米内光政であり国際法違反として世界中から非難を浴びている。 この報復として大阪、東京の無差別爆撃が行われたのであり、彼の罪状は重い。 真珠湾攻撃では空母3隻を取り逃がし、ミッドウェーでは圧倒的な戦力を持ちながら、全空母を失うという失態をさらしたのが山本五十六である。 彼の戦略、戦術は稚拙で見るに堪えないと著者は憤慨する。 この両者はアルツハイマー型認知症か血管型認知症を発症していたのではないかと医学的判断をしている。 ルーズベルトはヤルタでは高血圧性脳症にかかり正常な判断力を欠いていたという。 当時の海軍はまともな戦略も構築できない阿呆と痴呆の集合体であったという。 無謀な特攻爆撃を発案したのも海軍である。 彼らこそ東京裁判で人道の罪で訴追されるべきであった。 なぜ免責されたのか。 米国のスパイとして働いた褒賞か。 解明が待たれる。
2014年10月28日に日本でレビュー済み
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お二人の愚将ぶりがよくわかりました。
米内光政の記述が多すぎて、山本五十六が少ないのが少し不満です。
米内光政の記述が多すぎて、山本五十六が少ないのが少し不満です。
2020年1月7日に日本でレビュー済み
著者は、東大医学部卒の医師。大正9年(1920)生まれで、旧制高校卒業時に大東亜戦争が始まり、大学卒業の年にそれが終わったという世代です。著者は、「戦中一億国民といわれた日本人は、すべてが大東亜戦争の名の下に戦ったのである。太平洋戦争の名で戦った者は一人もいない。・・・・太平洋戦争などとは、これまで一度も口にしたことも無く、筆にしたことも無い」と述べる。
そして、著者は、戦後「神聖な国土にむざむざと旧敵国の軍隊を跳梁させる屈辱をかみしめた」と言い、「(同世代の人たち等は)こんな負け方をするために戦ったのではなかった。今の日本の姿は本当ではない。・・・・・・もはや生きて祖国の輝ける姿を見る望みは絶え果てた。戦死した若い友が、後事を託すと言い残した言葉を、老残の身で祈りと共に書きとどめる以外に道はない。この書は敬愛し礼拝する祖国への遺言となった」と述べられます。これだけの引用でも分かるように、著者は、いわゆる左翼的史観の持主では到底ありません。
(正しい意味での)愛国者である著者ですが、そうであるからこそと言うべきでしょうか、米内光政(以下すべて、敬称、職名等を省略)や山本五十六についての評価は、阿川弘之らの「山本神話の製造人たち」「終戦美談の語部たち」に対する批判を加えつつ、医師としての視点からも含めて、極めて鋭く厳しいものです。
例えば、山本五十六については、「愚将とするのが穏当な評価であろう。それも並の愚将ではない。その判断の誤り、失敗の重大性から天下の愚将という名に恥じない軍人であった」「愚将たる条件を完璧にそなえた山本」「品性下劣」「小心者」と断じ、米内光政については、「蜃気楼を見ていた」と評し、終戦時には「老人性痴呆ではなかったか」と述べておられます。
山本について、「もし彼が多少なりとも平和主義的な考え方の持主であり、まともな戦い方ではアメリカに勝てないと知っていたのだったら、ミッドウェー海戦に大敗して、主力空母と優秀搭乗者を喪失した時点で、和平への行動にふみ出すべきであった。全く勝ち目のない戦争を一日でも早くやめるため、何かの手段をとるべきであった。それが海軍大将たる地位にふさわしい、国家に報いる道であった」「おのれの無能のゆえに、大勢の若者を無駄に死なせた愚将の贖罪の道は、唯一つ和平に命を賭けることであったはずだ」と述べられるのも、その通りでしょう。
坂井三郎は、「戦後さまざまな山本像がつくられたが、現実には世間で思われているほど力量は持ち合わせていなかったのかもしれない。私はそう思われてならない」と述べているようです。
また、佐藤賢了(陸軍中将)は、山本の国葬に反対し、山本を論じて、「その罪万死に値す」と言っています。
私は、本書を手に取ってから、ほとんど一気に読み終わりました。なぜ、今までこの書に気が付かなかったのか、と痛惜に堪えない思いです。私が従来から持っていた疑問の相当数について明確に述べられています。
山本五十六神話の信奉者、阿川三部作をそのまま信じ込んでいる方々には、ぜひとも一読されることをお勧めします。
そして、著者は、戦後「神聖な国土にむざむざと旧敵国の軍隊を跳梁させる屈辱をかみしめた」と言い、「(同世代の人たち等は)こんな負け方をするために戦ったのではなかった。今の日本の姿は本当ではない。・・・・・・もはや生きて祖国の輝ける姿を見る望みは絶え果てた。戦死した若い友が、後事を託すと言い残した言葉を、老残の身で祈りと共に書きとどめる以外に道はない。この書は敬愛し礼拝する祖国への遺言となった」と述べられます。これだけの引用でも分かるように、著者は、いわゆる左翼的史観の持主では到底ありません。
(正しい意味での)愛国者である著者ですが、そうであるからこそと言うべきでしょうか、米内光政(以下すべて、敬称、職名等を省略)や山本五十六についての評価は、阿川弘之らの「山本神話の製造人たち」「終戦美談の語部たち」に対する批判を加えつつ、医師としての視点からも含めて、極めて鋭く厳しいものです。
例えば、山本五十六については、「愚将とするのが穏当な評価であろう。それも並の愚将ではない。その判断の誤り、失敗の重大性から天下の愚将という名に恥じない軍人であった」「愚将たる条件を完璧にそなえた山本」「品性下劣」「小心者」と断じ、米内光政については、「蜃気楼を見ていた」と評し、終戦時には「老人性痴呆ではなかったか」と述べておられます。
山本について、「もし彼が多少なりとも平和主義的な考え方の持主であり、まともな戦い方ではアメリカに勝てないと知っていたのだったら、ミッドウェー海戦に大敗して、主力空母と優秀搭乗者を喪失した時点で、和平への行動にふみ出すべきであった。全く勝ち目のない戦争を一日でも早くやめるため、何かの手段をとるべきであった。それが海軍大将たる地位にふさわしい、国家に報いる道であった」「おのれの無能のゆえに、大勢の若者を無駄に死なせた愚将の贖罪の道は、唯一つ和平に命を賭けることであったはずだ」と述べられるのも、その通りでしょう。
坂井三郎は、「戦後さまざまな山本像がつくられたが、現実には世間で思われているほど力量は持ち合わせていなかったのかもしれない。私はそう思われてならない」と述べているようです。
また、佐藤賢了(陸軍中将)は、山本の国葬に反対し、山本を論じて、「その罪万死に値す」と言っています。
私は、本書を手に取ってから、ほとんど一気に読み終わりました。なぜ、今までこの書に気が付かなかったのか、と痛惜に堪えない思いです。私が従来から持っていた疑問の相当数について明確に述べられています。
山本五十六神話の信奉者、阿川三部作をそのまま信じ込んでいる方々には、ぜひとも一読されることをお勧めします。
2021年2月5日に日本でレビュー済み
愚将じゃなくて敵方のエージェントの間違いっしょ?
2010年10月11日に日本でレビュー済み
この本はまさに魂の叫びです。
「あとがき」より
>人生二十五年といわれていたが、多くの友がそのとしを待たずに亡くなった。
>私が生き残ったのは偶然の重なりによるものであるが、それ以上に身代わりとなった同世代の人たちの犠牲によるものである。
>こんな負け方をするために戦ったのではなかった。今の日本の姿は本当ではない。これでは死んだ友に会わす顔が無いではないか。
>そう思いながらいつしか馬齢をかさね、半世紀以上を過ごしてしまった。もはや生きて祖国の輝ける姿を見る望みは絶え果てた。
>戦死した若い友が、事後を託すと言い残した言葉を、老残の身で祈りと共に書きとどめる以外に道は無い。
>この書は私の敬愛し礼拝する祖国への遺書となった。
ぜひ読んで下さい。
「あとがき」より
>人生二十五年といわれていたが、多くの友がそのとしを待たずに亡くなった。
>私が生き残ったのは偶然の重なりによるものであるが、それ以上に身代わりとなった同世代の人たちの犠牲によるものである。
>こんな負け方をするために戦ったのではなかった。今の日本の姿は本当ではない。これでは死んだ友に会わす顔が無いではないか。
>そう思いながらいつしか馬齢をかさね、半世紀以上を過ごしてしまった。もはや生きて祖国の輝ける姿を見る望みは絶え果てた。
>戦死した若い友が、事後を託すと言い残した言葉を、老残の身で祈りと共に書きとどめる以外に道は無い。
>この書は私の敬愛し礼拝する祖国への遺書となった。
ぜひ読んで下さい。
2008年3月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あまり歴史を知らないのではないでしょうか。
別に私は米内や山本を褒め称えようとは思いませんが(個人的には井上成美の方がはるかに評価できます。彼の山本や米内に対する批判は友人だからこその率直で公平な評価でしょう)、この著者は口を極めて山本や米内の批判をしているのが非常に片手落ちだと思いました。
もっと愚劣な人が大勢いて、それらに山本や米内が流された面があるということをきちんと言わないと、不公平でしょう。まるで米内や山本が一番の責任者と言わんばかりの攻撃は私怨にすら思えます。
別に私は米内や山本を褒め称えようとは思いませんが(個人的には井上成美の方がはるかに評価できます。彼の山本や米内に対する批判は友人だからこその率直で公平な評価でしょう)、この著者は口を極めて山本や米内の批判をしているのが非常に片手落ちだと思いました。
もっと愚劣な人が大勢いて、それらに山本や米内が流された面があるということをきちんと言わないと、不公平でしょう。まるで米内や山本が一番の責任者と言わんばかりの攻撃は私怨にすら思えます。