BEAT主義日記 the principle of beat hotei official blog

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2011年4月13日

* 被災地へ。

震災後、初めて被災地を訪れた。

宮城県南三陸町。

メディアを通じて映像や写真で現地の様子は目にしていたものの
実際その地に立って見たものは想像を遥かに超える残酷な光景だった。
震災から一ヶ月経ち、瓦礫(いや被災地の皆さんにとっての『大切なものすべて』)は
震災直後に比べればかなりまとまった形に区分けされていたはずだ。
しかしそこは文字通り、失われた世界。
豊かな自然に囲まれた穏やかな営みが、津波にすべて奪われていた。
家族、友人、仲間、動物、尊い命が
そして何代も受け継がれてきた歴史や文化や、数えきれない美しい思い出が
恐ろしい自然の猛威によって壊されてしまった。
その光景を目の当たりにした時、あまりのショックで呆然とし言葉を失った。
なんということが起こってしまったのだろう。
そして残された多くの人々が今も悲しみと不安の中、厳しい避難生活を余儀なくされている。

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知人から災害支援組織のCIVIC FORCE、復興支援活動団体のJUST GIVING
被災地支援に向かう車に空席が一つあると聞き、迷わず手を挙げ同乗させて頂いた。
各被災地の状況はそれぞれ異なり、不足物資などの情報が交錯していて、
注意深く行動しなければ現地の方々に御迷惑をかけることにもなりかねない。
今回の訪問での一番の心がけは『与えられた仕事を敏速に的確に』
そしてなにより被災者の皆さんのお気持ちを第一に『御迷惑をかけない』ということだった。

神社で瓦礫の片付けのお手伝いした。
一仕事終えて車にも戻ろうとすると地元の男性が
「おーい!みんなありがとう!これ飲んでってくれ!」とジュースを我々に渡そうとした。
「とんでもない!私たちはお手伝いに伺ったのですから」と何度もお断りしたが
「いいからいいから!」と引かない。
こんな時でもボランティアに対してお気遣いいただく姿に胸がいっぱいになった。
頂いたバヤリースのオレンジジュースの缶を開ける者はいなかった。

避難所では物資の積み込みのお手伝いをした。
持参したマフラータオルを皆さんにお配りした。
小さな子供やお年寄りから「遠いところまでよく来てくれました」とお声がけいただく。
御礼に一人一人にサインをさせていただいた。
「僕はドーベルマン・ツアーに参加したんですよ!」
「いつもブログ、楽しみに読ませてもらってますよ!」
「奥さんの大ファンですよ!」
激励に伺った自分が励ましていただいているような、なんとも胸が熱くなる時間だった。
町長さんともお会いし「今日は何曲か歌ってくれるのでは?」と訊かれ
「御迷惑かけてはと思い、今回はお手伝いに徹するつもりで参りました」と答えると
「布袋さん、私たちはもう悲しみにとどまることをやめようと前を向いてスタートしたのです。
次に来るときは是非歌でみんなに元気を与えてあげてください」
と力強く語られたのがとても印象的だった。

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今回はミュージシャンとして公的に慰問するというより
一個人として泥にまみれて汗をかかせていただくつもりだった。
しかし現地のボランティアの方々から
「せっかくいらしてくれるなら、是非避難所の皆さんにも顔を見せてあげてください」
と御意見いただき、皆さんとお会いし、現地でのインタビューにも応えた。
沢山の笑顔と交わした握手の温もり。
こうして皆さんが一瞬でも元気になってもらえるなら、自分は『布袋寅泰』でありたい、と素直に思えた。
今後も長きに渡って様々な形で貢献出来るよう心がけていきたい。

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様々な情報が交錯し、一体被災地、及び避難所はどんな状況なのか把握しにくい状態だが
前にも記したように、それぞれの場所で状況は刻々と変化していると思う。
被災地への支援の際は各所の状況を役場やボランティア団体などに問い合わせ確認した上
今一番必要とされているものをお送りしたりボランティアとして参加することが大切。
今回伺った南三陸町に関しても、短時間で巡った限られた視点ゆえ語る事は限りある。
こちらの情報などチェックしていただきたい。
(南三陸町支援情報ポータルサイト)
http://minamisanrikushien.blogspot.com/

往復12時間の車旅。
12時間あれば常夏の島に飛んで行ける。
しかし今回、僕は東京の満開のサクラを味わうことより南三陸町を訪れることができて
本当によかったと思う。
これからの自分の人生でもきっと、挫けてしまいそうな時が何度もくるだろう。
しかしその都度、被災地で見た皆さんの勇敢に戦う姿を必ず思い出すだろう。
現地の人々の泣きはらした後の力強い笑顔を忘れないだろう。




東京ではサクラが散り始めた。
いつものように花びらが舞う公園へ愛犬ルーリーと散歩に出かけた。
芝生を駆け回る幼稚園児たちは天使のようだ。
車椅子で風に舞う春風を眩しそうに見つめている御老人は何を思うのだろう。
そんな光景を見ながら南三陸町のことを考えていたら、ポケットの携帯が緊急速報エリアメールを鳴らす。
震源、福島。
咄嗟にベンチに座って様子をみる。
外灯が揺れはじめた。
しかし誰も気づかない。
子供たちは揺れる地球の上で無邪気にはしゃいでいる。
いっそその天使の羽を広げて空に飛び立ってほしい...。
願いは痛みと一つだった。

数秒後、揺れはおさまった。
僕とルーリーは春風に向かってまた歩き始めた。

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