徳川家の大奥では、
元旦に「さざれ石」という儀式がある。
元旦早朝、廊下に敷いたもうせんの上に、
三つの石が入ったたらいがあり、
御台所がその前に着座すると、向こう側にいる中臈(身辺世話係)が、
「君が代は千代に八千代にさざれ石の」
と、上の句を唱えると、
「いはおとなりて苔のむすまで」
と、御台所が下の句を唱える。
その詩に明治2年、
薩摩藩の原田宗助が英国人を接待する際、
苦し紛れに琵琶歌の節をつけて出来上がった。
諸説あるが、どうやら事の始まりはそうであるらしい…
意味は…
あなた方の治世が幸せな数千年であるように
今は小石であるものが
時代を経て、集まって大きな岩となり
その側面に苔が生える日まで
もっとも、
当時の国民は国歌としての認識は無く、
また、国歌が必要でもなかったので、
その存在すら知らなかったそうだ。
わずかに軍隊が外交儀礼の場において軍楽隊が演奏するだけだった。
明治36年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、
「君が代」は一等を受賞し、
大正3年「海軍禮式令」では、海軍における「君が代」の扱いを定めている。
それ以来、「君が代」は事実上の国歌として用いられてきた。
へぇ~
意外と新しい!?
そう考えると、
明治維新から、150年足らず。
以後の日本人の生活と認識の急速な変化がわかる。
あらためてまた思う。
たった150年だけど、されど150年だな…